映画「パコ・デ・ルシア 灼熱のギタリスト」 平成28年7月23日公開 ★★★★★


1947年12月21日、スペイン・アンダルシア地方アルヘシラス生まれのパコ・デ・ルシアは、
幼少時より父と兄にギターの手ほどきを受ける。
兄と一緒に舞踏団で巡演などをしてきた彼は、1967年に初のソロアルバムをレコーディング。
やがてその音楽はジャンルを超え、世界的な評価を得るが……。(シネマ・トゥデイ)


音楽の映画が続きますが、フラメンコギターの第一人者、パコ・デ・ルシアのドキュメンタリー映画です。
フラメンコギターを、生で一度も聴いたことのない私でも、身体が震えるほどの大感動!

やすりで爪を磨くショットからはじまり、大部分がパコが自身をふりかえって語るんですが
インタビュアーの存在は感じず、バックにはずっとギターの演奏が流れます。
曲名がわからないので、説明すらできないのですが、この選曲がたぶん素晴らしいんだと思います。

パコは1947年にアンダルシア地方の最下層の町で生まれ、父は昼は市場で働き
夜はキャバレーでギターを弾き、食べ物に苦労するような貧しい暮らしの中で
父が兄たちにギターを教えるのをみていて、覚えてしまったとか。
「音楽の基本はリズムだ」と言う彼の信念を証明するように、一度もギターを弾いたことのない幼いパコが
父がわずかにリズムを外したのがしっかり分かったそうです。
そして7歳でギターを手にしたとたん、すごい勢いで上達し、生活を支えるために
子供番組に出たり、兄をデュオを組んで演奏活動したり・・・
最初のレコードは1961年というから、わずか14歳のレコードデビューですね。

兄の名前はペペ・デ・ルシアなので、日本人には「デ・ルシア」が苗字みたいに思えますけど
パコの本名はFrancisco Gustavo Sánchez Gómezです。
パコはフランシスコの愛称で、どこにでもいる名前なので、母の姓ルシアをつけて
「ルシアおばさんちのパコ」と呼ばれるのは一般的だそうです。
ちなみにこの映画の監督はクーロ・サンチェスで、これは実名。パコの実の息子です。
息子が監督な割に「家族だから取れたプライベートショット」なんかがあまり無かったのはちょっと意外でしたね。

若いころ彼はホセグレコという人気フラメンコダンサーのアメリカ公演に帯同し、
バックでギターを演奏していたんですが、
そこのトップギタリストだったモドリコが急病で、ピンチヒッターでパコがマラゲーニャを演奏することになり・・・
演奏後、観客はみんな指笛を鳴らすのですが、スペインではこれは「へたくそ!ひっこめ!」のサインだったから、
落ち込むパコに、ここでは大喝采の意味だと知らされます。

当時アメリカではNYグリニッジヴィレッジがフラメンコの中心地で、ここに住む第一人者のサビーカスや
父の知り合いだったニーニョー・リカルドに師事して、パコの技術はどんどん磨かれます。

ある日、サビーカスはパコに向かって
「君はギターは上手いが、(ニーニョ・リカルドの曲ばかり弾かないで)自分の音楽を奏でるべきだ」
このアドバイスは彼の人生を変え、以来、作曲をはじめ、自分のオリジナルにこだわるようになります。

映画のなかで、印象に残ったパコのことばをメモしておきます。

「ひらめきは天からは降りてこないが、いい音が響くところでは心が突き動かされ、インスピレーションが沸く」
「音は生命のように大切な存在」
「天才なんていない。才能があって努力し続けた人のことだ」
「観客の反応が良くても、自分が満足できない演奏では落ち込む」・・・

フラメンコギターって、ジャンジャカジャンジャカかき鳴らす印象があって、
多少リズムが甘くても、場が盛り上がればOK!なのかな?と思ってましたが、
パコは自分にきびしく、とくにリズムに関してはものすごくストイックなのです。
それは他人に対してもで、ある有名なダンサーは
「腕の動きに気を取られると、足の踏み鳴らしが乱れてる。
メトロノーム相手に練習したら?」
とパコにいわれて、ものすごく練習したら、パコはその成果にすぐ気づいてくれた・・・といい、
ある有名なカンタオーラ(女性歌手)は、
「なかなかパコのOKが出なくて、そしてようやく思い描いていた歌が完成した時、
彼がそっと涙を拭くのをみた」と感動体験を口にします。

奔放さを感じさせながらも、繊細さも持ち合わせ、寸分たがわぬ演奏をこなす彼をどう表現するか?
「超絶技巧」なんていうありきたりな言葉は使いたくないです。

この後カマロン・デ・ラ・イスラという天才カンタオールとの出会いがあって、
パコは、このジプシー出身の泣きそうな顔で熱唱する青年に惚れこみます。
彼の歌は、魂に響くような歌唱で、フラメンコというより、ゴスペルやホーミーを生で聴いた時の
身体からわき上がるエモーショナルな感動があります。
「自分は裏方で、カマロンの伴奏者ができれば満足」
「伴奏者にスポットライトがあたるなんておかしい」なんていう控えめなスタンスです。

実は、この手のドキュメンタリーにはつきものの「女性遍歴」が本作にはまったくなく、
あんまりにも彼が「カマロン推し」なので、「もしかしてそういう関係?」とか疑ってしまいましたが、
これはまったくの勘違いでした。ごめんなさい。

それにしても女性遍歴はおろか、(監督が息子だから結婚はしたと思うんですが)
妻の話すらゼロ、というのは意外でした。


若いころのパコはすごいイケメンで、絶対に女性にモテたはずです!


スペイン人には珍しい草食系というか、貴公子タイプというか、きれいな優しいお顔立ちです。
そのイケメン君が真摯にストイックに演奏に取り組む姿は、とっても素敵!
(歳と共に生え際が後退し、次第に薄毛でロン毛の内田裕也スタイルになりますが、
それでも問題なくかっこいいです)

そして、1973年、彼は「二筋の川」という曲を発売し、世界的ヒットになります。
これはそのときの仲間たちと即興で作った曲なんですが、
このジャズのような「即興」というのは、ありえないものだったんですね。
ヒットの裏側で伝統的なギター奏者たちの反感をかい、クラシックの重鎮アンドレア・セゴビアとか
師匠のサビーカスにまで「フラメンコを汚した」と言われる始末。
(あなたに言われてオリジナルの道をいったのにね)

一時音楽界から姿をけすものの、1977年、ドローレスのメンバーと出会って、セクステッドとしての活動は18年に及びます。
ここでは、楽器を買えない黒人たちが起源の箱型の打楽器カホンを広められてよかった、と。


コプラという日本でいう昭和歌謡みたいな懐かしい歌を復活させられてよかった、とか。
彼は自分がどう評価されたか、いくらレコードを売ったか、とかより、
自分が幼いころから親しんできた音楽に、どれだけ貢献できたか・・・というのが彼の基準なんですね。

そして彼は2014年、メキシコで、このドキュメンタリーの撮影直後に心臓発作で急死してしまいます。
66歳。ほんとうに惜しまれます。

師匠のサビーカスも、最期にはパコが世界一と認めていてくれたそうで、ホッとしました。


都内で唯一上映してる渋谷のル・シネマで初日鑑賞したのですが、座席は狭いし、満席だし、
もちろん端の席を予約しましたけど、身体を乗り出すのも自制して、窮屈な思い出見たのがちょっと残念。
すこし空いてきたころに、今度は夫ともういちど見に行きたいです。

ところで、見ていて気になったことがいくつか。
パコは作曲もしてるはずなのに、とにかくスコアが一度も写りませんでした。
自分では書けなくても、他のメンバーのために誰かが採譜してくれたりしないのかな?
長い曲を全部耳で覚えるとしたら、それはそれでスゴイことですね。

それから、パコは足台を使わず、ずっと右足を床と平行になるくらい組みっぱなしなんですけど、
疲れないのかな?
酒場でちょっと一曲弾くようなスタイルでステージでも弾き続けるのは彼のポリシーなんでしょうか?
私なんて足を組んでマンドリン弾いてた時に、すぐ肩が凝ったり、膝の外側があざになったりしてましたけど・・・

即興の秘訣はF#mのコードでなんとかなる、というようなセリフの意味も良く分からなかったし・・・

ギターを全く弾けない私ですが、中途半端に弾ける夫の演奏を毎日聞いていることで、
パコの超人的なレベルの高さが実感できて
、ホント、感謝しています。