映画「海よりもまだ深く」 平成28年5月21日公開 ★★★★★
原作本 「海よりもまだ深く」 是枝裕和 幻冬舎文庫



15年前に1度だけ文学賞を受賞したことのある良多(阿部寛)は、
「小説のための取材」と理由を付けて探偵事務所で働いている。
良多は離婚した元妻の響子(真木よう子)への思いを捨てきれず、
響子に新しく恋人ができたことにぼうぜんとしていた。
良多、響子、息子の真悟(吉澤太陽)は、良多の母・淑子(樹木希林)の家に偶然集まったある日、
台風の一夜を皆で過ごすことになり……。      (シネマ・トゥデイ)

去年の「海街diary」はコミック原作の映画化でしたが、
本作は是枝監督のオリジナル脚本で、ホントに楽しみにしていました。
母と息子は「歩いても歩いても」と同じく樹木希林と阿部寛。
阿部演じる息子の名前も、同じ「良多」というからびっくり。
家族の設定はかなり違うけれど、これはもう「アナザーストーリー」といってもいいかもしれません。

「歩いても歩いても」のタイトルは、いしだあゆみの「ブルーライトヨコハマ」の
♪歩いても~歩いても~小舟のように~♪でしたけど、
「海よりもまだ深く」もやっぱり歌の歌詞でした。

♪海よりもまだ深く~空よりもまだ青く~
あなたをこれ以上愛するなんて私にはできない~♪

これはテレサ・テンの「別れの予感」で、
ラジオから流れるこの歌を聴きながら、母親は
「私は海より深く人を好きになったことはないけれど、
それでも毎日楽しく生きているのよ」
なんてことをつぶやくのです。

「良多」が久しぶりに実家に帰ってきます。
「歩いても・・・」では父親は世間体を気にする元開業医で、失業中の良多は
そこに子持ちの女性を結婚相手として連れていく・・・
という複雑な気の進まない設定でしたが、今回の良多はすでに離婚していて
父親は半年前に他界、ひとりぐらしで団地住まいの母を訪れるのです。

姉役は(前回はYOUでしたが)小林聡美で、本作も冒頭は母と姉との会話から・・・
「〈父が亡くなって)ひとりになったんだから、友達でもつくんなさいよ」
「けんか相手がいなくなるとボケるわよ」
「ドリフじゃないんだから」
「煮物が時間をかけてゆっくりさますのよ」
「それ、お弁当用にもらってくわ」
アドリブでしゃべっているんじゃないかと思うほどの自然な流れです。

母の留守中にあがりこんで家のものを片っ端から物色する良多、
やがて母が帰ってきますが、家には父の金目の形見もめぼしいものもなく、昔話を始める二人。
ベランダのみかんの樹に水をやりながら
「あんたが持ってきた苗だから、あんただと思って水をやってるけど、花も実もなりゃしない。
でも蝶がここで卵を産んで、ここで育って飛んでいくから、それでも何かの役にはたってるのよ」
母のことばはいちいち名言で、長いこと生きてきた人生の重みがあります。

良多は、昔に小説を書いて文学賞を獲ったものの、それ以来鳴かず飛ばずで
今は興信所の探偵をやっているけれど、プライドが高くて、探偵もあくまでも「小説の取材」のため。
そのくせ小説は全くかけず、仕事をまわしてくれても、見栄っ張りだから純文学にこだわって断ってしまいます。
そして稼いだ金はすぐ立川競輪につぎ込んで、生活費まで使い込んでしまいます。

そんなことだから、妻には離婚され、中学生のシンゴと月に一度会うことだけが生きがいとなっていますが
毎月の養育費もまともに払えない状態。
妻のキョウコには再婚を考えている恋人もいるのでもう縁を切りたいんだけど、
良多の方はいつまでも未練たらたらで、あわよくば復縁できないかと考えています。

後輩から借金してまでもギャンブルにつぎ込むのが一番問題かもしれませんが、
「自分のなりたい姿」にこだわって、それに追いついていないブブンを嘘でごまかすから
周りからは単に見栄っ張りの嘘つきなんですが、その嘘も下手だから、すべてバレています。

別れたい元妻とよりを戻したい元夫。
キョウコの心は決まっていても、義母のことは好きだから、この団地にくるとホッとしてしまうのです。
そんな元夫婦が息子を連れてたまたまこの団地の部屋に居合わせた日、
関東地方を台風24号が襲撃し、足止めをくってしまいます。
台風の一夜の顛末を描いた、ちょっと舞台劇の香りもする、ふしぎな魅力のドラマです。

とにかく、セリフやカットや小さなエピソードに無駄なものが一つもなく、
すべてが生かされてうながっていく、まさに「是枝劇場」
それなのに「作りこまれた」感じが全くせず、まるでドキュメンタリーをみているかのようです。

もうひとつ、これは最高の「団地映画」でもあります。
監督が実際に住んでいた清瀬から西武バスで行く実在の「旭ヶ丘団地」が舞台で、
団地に住んだことのない私でも何か懐かしい思いでいっぱいになってしまいました。
昔は子供たちの遊ぶ声で騒がしかったのに、今は住んでいるのは高齢者ばかり。
公園の巻貝のような滑り台(ホームレス中学生にもでてきました)の中で夜中にすごした思い出や
危ないからと言ってすぐ滑り台に囲いを作ってしまう今のご時世や、まさに「団地あるある」です。

良多は、探偵の依頼人の印象にのこる言葉を書き留めて(小説のヒントにすべく)壁にはっています。
「どこへいったんや、私の人生」
「〈夫の不倫は知りたくはなかったけど)全部ひっくるめて私の人生や」
なんてことばをポストイットに書いているのですが、
母の言葉のほうがいいこと言ってると思ったんですが・・・・

「私が少しずつ弱っていくのを見ていなさいよ」
「(ぽっくり逝くのがいいといわれるけど)いつまでも夢に出てくるのよ。
ほっくり逝っていつまでも夢に出てくるのと、ずっと寝たきりなのとどっちがいい?」

「なんで男はなくしたものをいつまでもおいかけるのかしらねぇ」

「誰かの過去になるのが大人の男の勇気ってもんだ」(←これは興信所の所長のことば)

そして、
「幸せは何かをあきらめないと手にいれられないものなのよ」


私はキョウコと同じく、宝くじで「夢を買った」なんていう人の気持ちが全く理解できないので
「(宝くじやギャンブルに頼らない)勤勉な子どもに育てたい」には同感だし
ギャンブル依存の夫をさっさと見限って新しい人生を歩もうとする彼女には共感します。
「養育費をちゃんと払わなくちゃシンゴには合わせない」というのも(お金が欲しいわけではなく)
良多のだめだめなところをはっきりさせたいからだし
「あなたとふたりで人生ゲームなんて、しゃれにならない」には笑いました。

でもシンゴから
「宝くじ当たったら大きな家を建てて、おばあちゃんもいっしょに住もう」
なんていわれたら、うれしくて泣いてしまうかもしれません。

母は良多よりもさらに金銭感覚のない夫と50年も添い遂げ、やりくりしながら
二人の子どもを育て上げてきたわけで、どんな哲学者よりも作家よりも
彼女の言葉に重みがあるのは、当然のことかもしれません。

私は良多の
「そんな簡単になりたい大人になれると思ったら大違いだ」
という言葉が一番印象的だったのですが、
「なりたい自分」になれなかったとしても、どのへんで折り合いをつけるのか?・・・
おそらくは女性のほうが上手に見切りをつけられそうですが、
これは子どものころから、女の子のほうが将来の可能性に限界を意識していて
より現実的な考えかたをしてきたからでしょう。

漠然と「大きな夢をもて」という教育はバカを育てる・・・と言うのは言い過ぎでも、
ちゃんと夢のあきらめ方や折り合いの付け方もセットで教えてあげなければね。

ラストはなんとなくプチハッピーエンドっぽかったですが、
私はこの先、シンゴが新しい父親とうまくやっていけるか心配。
できのいい弟が生まれちゃったりしたらどうなるんだろ?
「歩いても歩いても」の良多と父親のような関係に近い気もするし、
是枝監督はきっとなにか次回作の構想のひとつに考えているかもしれません。