映画「顔のないヒトラーたち」 平成27年10月3日公開 ★★★★☆


1958年の西ドイツ・フランクフルト。
第2次世界大戦の終結から10年以上が経過し、
復興後の西ドイツではナチスドイツの行いについての認識が薄れていた。
そんな中、アウシュビッツ強制収容所にいたナチスの親衛隊員が、
規約に違反して教師をしていることがわかる。
検察官のヨハン(アレクサンダー・フェーリング)らは、さまざまな圧力を受けながらも、
アウシュビッツで起きたことを暴いていく。                 (シネマトゥデイ)

ちょうど同じ時期(10月16日)に「ヒトラー暗殺、13分の誤算」が公開されて、
私はこの2作品を混同していました。
先日の「ヒーローマニア」もですが、似たようなタイトルの映画が同時に公開されること、多いですね。
「はやぶさ」や「白雪姫」が何作も競作になることもありました。
偶然か?戦略か??

本作も「ヒトラー」の名前がついていますが、ヒトラー自身はまったく登場せず、
ヒトラー体制を支えていた多くのドイツ市民の話です。

今でこそ私たち日本人でも知っている「ナチスによるユダヤ人大量虐殺」ですが
1958年当時にはそれはまだ公にされていなかったから、知っている人はほんの一部でした。

主人公のヨハン・ラドマンは新米検事で、取り扱うのは少額の交通違反案件だけ。
殺人事件の起訴状の朗読を、こっそりトイレでしてるような毎日です。
彼は成績は優秀みたいなんですけど、法律どおりの量刑を与えることが、自分の使命だと思うような
まったくもって四角四面な人物なので、まわりからは少々煙たがられています。

ある日、トマス・グニルカというジャーナリストが、ユダヤ人シモンをつれて、
当時アウシュビッツで親衛隊の伍長だったシュルツが小学校の教師として働いている・・と訴えてきます。
ほかの検事たちは全く無視しますが、これは法律で禁じられていることなので、ヨハンひとりが反応。
書類をしらべると、その男の経歴がその部分だけ空白になっていることがわかります。
シモンの持ち物をこっそりチェックすると、彼は看守たちの日記など証拠になるものを持ち出しており
逃走したユダヤ人を射殺したという記述などもありました。
でも事件としては時効が成立しているものがほとんどで、上司の検事正たちはヨハンの行動に批判的。
シュルツも文部省に連絡して退職させた、というものの、実際は教師不足でまだ仕事を続けていました。

その調査資料をグニルカに知られ、新聞にスクープされるという失態を演じてしまいますが、
アウェームードの職場の中で、検事総長のフリッツ・バウアーはヨハンの後ろ盾となり、
君がこの案件のリーダーになれ、と言ってくれます。

生き残りのユダヤ人たちからの証言から思ってもいなかったような残酷な事実が浮かび上がり、
ヨハンの正義感に火をつけますが、名前の挙がった元親衛隊のドイツ人たちは(シュルツもふくめ)
みんな親切で心優しいまっとうな市民として平和に暮らしているのです。
あの時代は一握りのレジスタント以外はみんなナチ党員で、彼らは命令にしたがっていただけなのです。
いきなり彼らのところに起訴状をもって拘束するのは、まるでかつての「ユダヤ人狩り」のよう。
皮肉なことです。

さらに、ヨハンにいつも「正しいことをしろ」と言い続けてきた尊敬する父親が実は親衛隊だったこと、
ジャーナリストのグニルカですら、ユダヤ人が逃走しないよう見張りに立っていたことを知り
ショックをかくせず、自分の怒りの矛先をどこへむけたらよいかわからなくなってしまいます。

彼は戦時中まだ子供だったので、ナチスに加担はしていないことは明白ですが
大人世代は多かれ少なかれ「ナチスの手先」だったというわけ。

先日観たインドネシア映画「ルック・オブ・サイレンス」でも、大量虐殺で兄を殺した人物を特定していくうちに
自分のごく親しい人たちまでかかわってたことを知るシーンがありましたが、
自国民が自国民の罪を暴こうとすると、網にかかるのは市井の好々爺ばかり。
一番責任を追及したいアイヒマンやメンゲレたち上層部は、名前を変えたり国外脱出したり
うまいこと逃げおおせているのがもどかしいです。

史実でいうと、バウアー検事総長は実在の人物で、1963年12月の「フランクフルト・アウシュビッツ裁判」は
彼が原告団を率いたということです。
あと、ジャーナリストのグルニカがアウシュビッツの生き残りのユダヤ人の持っていた資料を持ち込んだ
というのも事実のようです。

戦争中まだ子どもで、初めて知る事実に驚き怒り戸惑うヨハン、
圧倒的な反対勢力で彼を否定する検事正、
彼を支え、冷静に粛々と資料を精査する先輩判事のハラー、
証言の口述筆記で仕事をこなすも、その内容の凄まじさに廊下でそっと涙をながす女性秘書、
ヨハンと心が通ったり離れたりしながらも彼を受け入れようとしていく恋人のマレーネ・・・

この辺りはドラマの中だけの人物のようですが、当時のドイツ人たちを象徴的に描いていると思いました。

ナチスの罪は戦勝国たちによりニュールンベルクの軍事裁判で裁かれたのですが
ユダヤ人への虐殺の事実などはそれほど重要視されず、1963年12月からの
このフランクフルト裁判ではじめて歴史的認識が変わったとされています。

この裁判がなかったら、あの大虐殺は闇に葬られたんでしょうか?
世界中に散らばったユダヤ人の人たちは何も声をあげなかったんでしょうか?

日本も敗戦国で東京裁判で戦犯が処刑されましたが、その後も中国と韓国から
戦争加害者としての責任をずーっと追及され続けています。
ドイツのように自国民からの働きかけでないのは残念ですが、
アウシュビッツのような事実があるわけでもなく、従軍慰安婦の生き残りの皆さんも
反日運動に利用されているようで、そのへんももやもやします。
「歴史認識」は絶対的なものではないけれど、アウシュビッツに関しては言い逃れできない、
それでも生存者への補償金は従軍慰安婦以下だったと聞きます。
シリア難民の支援などに積極的に貢献することで過去の埋め合わせをしようとするドイツには好感が持てるし、
シンドラーや杉原千畝をいつまでも忘れないユダヤ人の感謝の心にも感動しました。

オバマ大統領がもうすぐ広島を訪問しますが、原爆を落とされたらどんなことが起きるかを知って
「原爆投下は戦争を早く終結させるための最善策(確かにこういう一面もあるけれど)」
と思っていたアメリカの人たちが
ちょっとでも歴史認識を変えてくれたらうれしいです。