映画「十字架」 平成28年2月6日公開 ★★★☆☆
原作本 「十字架」 重松清 講談社  ★★★★★



中学2年生の秋、フジシュンこと藤井俊介はいじめを苦に自殺し、
真田祐(小出恵介)は遺書により生前のフジシュンの親友になってしまう。
中川小百合(木村文乃)は、くしくも自分の誕生日がクラスメートの命日になってしまった。
息子を見殺しにした同級生を憎むフジシュンの父(永瀬正敏)、
亡き息子の面影を追う母(富田靖子)たちは共に苦難の20年を過ごす。 (シネマ・トゥデイ)

「青い鳥」「きみの友だち」など、映画化された重松作品のなかでも学校が舞台になったものは
今の学校がかかえるさまざまな問題を繊細に描いたものが多く、ひたすらシリアスなんですけど、
その中でも本作は、いじめの被害者が自殺してしまう最も深刻なドラマです。

ただ「いじめはよくない」「命の重さを考えよう」なんていう通り一遍のものではなく、
いじめを取り巻くいろいろな人の目線で描かれるので、
今まで思ってもいなかった思いにふれ、はっとさせられます。

本作の主役は、いじめた生徒でもいじめられて自殺した生徒でもなく、
遺書に一方的に「親友」と書かれた男子生徒、真田祐と、
自殺する直前に誕生日プレゼントを一方的に送られた被害者の片思いの女生徒、中川小百合のふたりです。

二人はいじめを止められなかったものの、自殺したフジシュンにはほかの生徒より優しく接していたから
彼らに落ち度はないはずなのに、遺書に名前を書かれたことから、
この十字架を背負って、おとなになるまで苦しむことになるのです。

冒頭はフジシュンの葬儀の日にクラスメートが参列するシーンから。
「ボタンは襟元まで閉めろ」
「白い歯を見せるな」
駆け付けたたくさんの取材カメラを意識して、担任は生徒たちにこまごまと注意をします。

自宅の庭の木で首つり自殺したフジシュンの遺書はすでに公開されており
そこには「ぼくはみなさんのいけにえになりました」とあったことから、
マスコミでは「いけにえ自殺」と報道されていたのでした。

遺書にはいじめの首謀者の名前が書かれ、
「永遠にゆるさない。呪ってやる。地獄に落ちろ」
それといっしょに
祐には「親友になってくれてありがとう。」
小百合には「迷惑をかけてごめんなさい。誕生日おめでとうございます。幸せになってください」

もちろん実名は公開されないものの、すぐに名前も顔も割れるから
「親友なのに見殺しにしたのか」
「見殺しにしたんだから土下座しろ」
などの怒号が飛び交います。

誰かを責めなければいたたまれないフジシュンの父親は↑と同じく
「なんで助けなかった!?」と祐に詰め寄ります。
一方母親は、「祐くん、ほんとにありがとね」「最後まで仲良くしてくれてありがとね」
と、あまりの悲しみに胸がはりさけそうで、感謝の言葉を連発してぎりぎり正気を保っているかのようです。

実は祐は幼なじみではあるけれど、ただのクラスメートで、親友ではなかったのですが
この状況でとてもそんなことは言えず、しかたなく親友を演じていたので
「(棺のなかの)顔、みてやってね」
の母親の言葉にこわばってしまうのでした。

小百合もフジシュンから思いを寄せられていたがために、
彼女もまた、祐と同じく「友人代表」みたいな立場になってしまって、
ことあるごとにフジシュンの家を訪れては、仏壇に手をあわせるのですが、
フジシュンと両親の思いを背負うのは中学生の彼らには荷が重すぎて・・・

祐と小百合を演じるのは、小出恵介と木村文乃。
驚くことに、中学生から、結婚して親になる30代までをなんと一人で演じ切ります。
特殊メイクもなしで、演技力だけで10代から30代まで演じるのはたいしたものです。
雰囲気の似ている子役を使うケースの方が多いでしょうが、うまくつながらないと悲惨ですからね。

フジシュンの弟役は、子役と大人の役が別でしたが、(子ども時代が小学生だからやむを得ないですが)
とても同一人物には見えなくて残念でした。

小出恵介は、フジシュンの父親役の永瀬正敏より長身のはずですが、
中学生時代に二人が並ぶシーンでは永瀬の方が大きく見えたのは撮影テクニックでしょうか??

大人になって家庭をもった祐は、クラスの人気者と親友であるかのように話す自分の息子が
実はたいして仲がいいわけではなく、単にあこがれているだけ・・・と、妻から気益されます。

9月4日の自分の誕生日は、それ以上にフジシュンの命日として重苦しくうけとめていた小百合も
ある年、自分の子どもが熱を出してそれどころではなくて、9月4日をやり過ごしてしまった・・・・
「生きるってそういうこと」と小さくつぶやきます。

クラスメートの自殺、という重い荷物は降ろすことは無理で、
いつまでのその重たい荷物と一体になって歩いていくよりほかはないのです。
降ろすことなんてできない。
でも、背中を丈夫にして、足腰を鍛えて、背負っていくのが辛くないようにすることはできます。
つまりは、そういうことなんですね。

「十字架」というタイトルには背負わされた苦行の意味のほかに、
自殺したフジシュンが旅の最後に行きたかった、
スウェーデンのスクーグスチルコゴーデン(森の墓地)の丘に立つ、大きな十字架を指します。
彼は学校の図書館から最後に借りた「世界の旅 ヨーロッパ」の中に、彼の字で
世界一周の旅の行程のメモがはさんであり、
彼の旅は「森の墓地」がゴールで、もうこれを書いた時点で、彼は死ぬことを決めていたのか??
それは今となっては誰にもわかりません。

原作ではフジシュンの父と弟がスウェーデンを訪れるところで終わっており、
これを読んだとき、重松さんは映画化を想定して、美しいエンドロールを演出したのかな?と思いました。

ところが(森の墓地のことには触れても)エンドロールにこの映像はなく、拍子抜けしました。
公開館も少なく、低予算映画みたいだから、海外ロケまでできなかったのかな?

そういえば、マスコミ代表で衝撃的に登場した榎木孝明演じるライターの田原は尻つぼみで消えてしまったし
学校側の対応や、保護者たちの間での噂話や、生徒たちに書かせた作文の顛末など
カットはされずに少しずつ触れてはいるものの、中途半端な描きかたです。


重松作品はだいたい、原作を上回れない・・・てことは、小説の形がベストなのかもしれません。
映画を観て、ちょっとモヤっとした人は、ぜひ小説で補完することをおススメします。