映画「ハッピーエンドの選び方」 平成27年11月28日公開 ★★★☆☆


発明が好きなヨヘスケルは、妻のレバーナと共にエルサレムの老人ホームに住んでいる。
ある日、彼は死の床にある親友マックスに、
何とか自らの意志で穏やかな最期を迎えられる装置を発明してほしいと頼み込まれる。
人のいいヨヘスケルはレバーナの反対にも耳を貸さず、新たな発明に挑む。 (シネマ・トゥデイ)

ほのぼのコミカルな予告編とはちょっとちがう印象。
夫婦で老人ホームで暮らすおじいちゃんの妻に病気が見つかり・・・というのは
陽だまりハウスでマラソンを」と似た設定。
あちらのおじいちゃんは元マラソンのチャンピオンでしたが、こっちのおじいちゃんヨヘスケルは
発明大好きのアイデアおじいちゃん。
予告編でもやっていた「薬のお知らせマシーン」とかをせっせと作っていました。
知り合いの作業所も借りてたようですが、老人ホームの自室スペースで。
イスラエルの老人ホームって、部屋が広いんですね~!

ある日友人のヤナからあるお願いをされます。
それは死の床で苦しんでいる夫のマックスを安楽死させる機械を作って欲しいと・・・
「もう死なせてくれ。生き地獄だ」
苦しみから解放されて早く逝きたいのに、医者はすぐに応急処置をして延命してしまうのです。

「安楽死」の認められていないイスラエルではこれは「殺人」にもなりかねないことですから
ヨヘスケルは当然断るのですが、自分の親友でもあるマックスの最期の想いはかなえてあげたい・・・
筋弛緩剤が手に入る元獣医や元警官の入居者たちとチームを組んで
「安楽死マシーン」がなんと完成してしまうのです。

自殺したい本人が自らの意思でボタンを押すと、点滴に麻酔、筋弛緩剤が混ざり、
1分後に自動的に塩化カリウムが血液中に送りこまれて心臓が止まる・・・
というようなシステムのようです。
本人がカメラに向かってメッセージを残したあとで自らの意思でボタンを押し、
映像はすべてビデオに収めているから、「殺人」にはならないでしょうが、
「自殺ほう助」くらいにはなりそうですけどね。

このマシーンのうわさは死期の近い家族のいる人たちに評判となり、
ヨヘスケルたちは戸惑いながらも断りきれずに、
たくさんの人たちの自殺のお手伝いをすることになります。

そしてついに愛する妻のレバーナが認知症になり、ホームをでなければいけなくなります。
「認知症は保険の適用外」とかで、これ以上病気が進むと
同じ病気の患者たちと「作業療法」をうけるためにヨヘスケルとは離れ離れに。
「まだ意識のあるうちに、自分のことは自分できめておきたい」
といって、レバーナもこの自殺マシンを使うことになり・・・
というような話で、あまりのブラックな展開に焦ってしまいました。

自殺については
「自分の命なのだから、自分で決めるべき」
「自殺できるのは人間の特権」
という意見のある一方で
「与えられた命は全うしなければならない」
「家族も最後まであきらめないで支えるべき」
というのもけっして間違ってはいないと思います。

そして一番残酷なのは(借金や人間関係で悩んでる人は自殺できるけど)
末期の患者には自殺する力も残っていないということ。
その意味ではこのマシーンはすごく有り難いとは思いますが、
(死後のことがまったく出てこなかったのですが)普通に病死で片付けられたんでしょうかね?
バレてたら裁判ざたでしょうし、
まったくスルーというのも、それはそれで恐ろしいです。

それにもましてショックだったのは、
レバーナのような初期~中期程度の認知症でこれをつかってしまうこと。
私の母もこの病気なのでほんとに他人ごとではないのですが、
認知症は直接死に至る病ではないですから、まだまだ命は続きますよ。
命が続くと言っても次第に自分が分からなくなるのは、本人が一番辛いし
支える周りの人たちの負担も相当なものです。
イスラエルでは「保険の対象外」というくらいだから、まだ珍しい病気なのかしら?
日本で認知症を医療保険や介護保険の対象外にしたら、保険料は浮くでしょうが
認知症になった時点でお先真っ暗ですよね。

映画の中では、まだ充分美しいレバーナがみんなにお礼をいって旅立って行くシーン。
ここは泣くところなんでしょうが、
周りの人の手をわずらわせつつ今日も生きてるうちの母なんかが否定されているようで
非常に複雑な思いになりました。

政治や紛争がらみでない「イスラエル映画」は初めてだったので
病院や老人ホームのシステムとか非常に興味深かったですが、
それにしてもチラシや予告編との印象が違いすぎです。

「自分らしく選べれば、それが私のハッピーエンド」
「幸せな最期を選ぶのは幸せに生きること」
なんて、一方的に安楽死を肯定しているし、
「イスラエル版おくりびと」← これは全く関係ないです!