映画「おやすみなさいを言いたくて」 平成26年12月13日公開 ★★★★☆

 
 
報道写真家のレベッカ(ジュリエット・ビノシュ)は愛する家族の理解に支えられ、
世界各地の紛争地域を取材で飛び回っていた。
常に家族と一緒にいられなくても全て順調だと思っていたが、取材中に巻き込まれた事故を心配した家族から
危険な場所へは二度と行かないと約束させられる。
それをきっかけに、彼女は自らの信念をささげた仕事が家族を苦しめていることに気付き……。
                                        (シネマ・トゥデイ)

母子の2ショット画像とタイトルからは、ちょっとワケありの母子が懸命に生きていく話かな?
と思っていたんですが、母の職業は戦場カメラマン、というシビアなもの。
昨年公開の映画で、公開時は見そびれていました。

今日は「アメリカン・スナイパー」との2本立てで観たのですが、
あちらはイラク戦争で活躍した実在の凄腕スナイパークリス・カイルの伝記映画。
対してこちらは、世界中の紛争地域の人々にカメラを向ける女性ジャーナリストです。
「アメリカン・・」でも、クリスの妻、タヤは、戦地に行く夫をいつもひきとめていましたが、
危険地帯に向かうのが、妻で母親でもある女性だと、家族の心配はそれ以上です。
まして「任務」で行くわけでもなく、民間人が「自己責任」でいくわけですから・・・

冒頭は、カブールでの女性たちの「儀式」から。
ヒジャブをかぶったレベッカが至近距離からカメラに収めているのは、
穴を掘って横たわる若い女性と、その周りで祈りをささげる女たち。
一見「葬儀」に見えますが、女性は目をさまし、起き上がると、建物の中にはいり
身を清め、化粧をほどこし、彼女がこのあと身に着けるのは・・・なんとずっしりと重い大量の爆薬でした。
つまり彼女はこれから自爆テロに向かう女性の姿を取材していたのでした。

なんかこの時点でもう凍り付いてしまいました。
アイルランド人だから、女性だからこそできる取材なんでしょうが、
アラブ語もできない外国人のレベッカが、大きなレンズのカメラでシャッター音を響かせているのに
粛々と儀式が進むのに非常に違和感がありました。
どういうエージェントを使ってるのか?どのくらい対価を払ってるのか?
それとも「好意的な記事を書く」ことを約束しているのか?とかね。

市内に向かう車中でもレベッカは女性の表情をバシャバシャ撮り続け、途中でひとり降りるのですが
その直後に大爆発が起こり、レベッカは意識を失います。

気が付いたのはドバイの病院。肺に穴が開いて死にかけたという・・・
彼女はどうやって救助されたんでしょうか?
カメラも画像も無事で後日戻ってくるんですが、それは奇跡的なこと?
なんて疑問には答えてくれず、情報量は少なく、幻想的な象徴的な映像が空白を埋めます。

迎えに来た夫のマーカスは、無事を喜びながらも、もう心配して待つのはごめんだとつぶやきます。

「アイルランドの家は君にとって次の取材の準備をする場所」
という自宅に帰ると、二人の娘たちが帰りをまっています。
ちょっと不機嫌そうな長女のステフ。
「ママが死んだと思ってお花がたくさん届いた」という次女のリサ。
自分を必要としている娘たちをずっと放置していたのに気が咎め、
レベッカは金輪際、危険地帯に足を踏み入れることを辞める決意をします。

後日無事届いたカメラの画像データをNYの会社に送りますが、
「自爆テロを美化している」という国防総省の判断で出版が取りやめという知らせが届きレベッカは激怒します。

一方、「アフリカプロジェクト」に参加しているステフは、母の撮ったコンゴの悲惨な少年の写真をみて衝撃をうけ、
1枚の写真が人々に与える影響力の大きさに驚きます。
そして、(安全だといわれている)ケニアの難民キャンプの取材に同行したいと。

父のマーカスも海洋学者ですが、「対岸の工場の廃液で変異した生物の調査」をしてるくらいなので
社会に警鐘を鳴らすのを使命と考えることでは家族で一致しているようです。

マーカスの同意を得て、レベッカとステフがやってきたのはケニアのカクマ難民キャンプ。
母子で楽しく取材するも、突如周辺の部族間の緊張が高まり、危険だから逃げろといわれ、
ステフを知人に託して、ひとりカメラを抱えて危険な方へと一目散に走り出すレベッカ。
銃を乱射する男たちやあちこちに倒れている死体を撮りまくります。
彼女の撮った写真が国連に送られると、すぐにセキュリティ強化。
「写真の力はスゴイね~」と感心するも、この危険な経験はパパには内緒にしようと約束します。

確かにレベッカの撮った写真はマーカスには内緒にしたものの、実は恐怖の瞬間をステフが動画に撮っており、
銃声のなか、娘をほうってカメラをもって走っていくレベッカの行動がマーカスにバレてしまいます。

これにはさすがの温厚なマーカスもブチ切れ、妻を家から追い出します・
「お前は死臭がするんだ、もうごめんだ、ここから出ていけ!」
自分の仕事を理解してくれたと思っていた娘のステフまで
「ママが死んじゃえば、みんなで悲しんで、やっと終わりが来る」と言います。
そして悲しむレベッカの顔を大きなレンズで連写で撮り続けるのです。

自爆テロの儀式の写真集の出版許可がおり、会社からはもっと写真が必要と言われ
レベッカは死に場所を求めるようにまたカブールへ向かいます。

出発の前にステフのアフリカプロジェクトの発表会を見に行くのですが、
「悲しんでいる人をカメラで撮るのは変な気がしたが、彼らはそれを望んでいる」
「誰かが撮り続けるべき」
「あの子たちは私よりももっと母のことを必要としている」
とステフがみんなの前で発表するのを聞いて、危険地帯へ向かう決心を固めるのですが
今回の「自爆に向かう儀式」では、女性の年齢がさらに低くなり、
自分の娘くらいのいたいけな少女の身体に爆薬が巻きつけられるのを見て
レベッカはついにシャッターが切れなくなってしまうのです。

さんざん迷って仕事の方を選んだのに、この期に及んで「母親」になってしまった、という皮肉で辛い結末!

戦場カメラマンは相当に特殊な仕事だから、
働く女性が「仕事をとるか、家庭をとるか?」みたいな普遍的な問題にはすりかわらないですが、
今回は「アメリカン・スナイパー」と一緒に観たものだから、われながら冷淡な反応しかできませんでした。

そもそもレベッカを戦場に駆り立てるのはジャーナリストとしての「使命」なんでしょうが
それはアメリカン・スナイパーのクリス・カイルのような「任務」ではありません。
失礼を承知でいうと、「勇敢な」というよりは、「頭のネジが1本くらい緩んでる人」にしか出来ない仕事です。

目の前の事実を多くの人に知ってもらいたいという熱い思いも、
「ママは(私よりも戦場の子どもたちが)必要とされている」というのも正しいとは思いますが
とりあえず「目の前で死に直面している子どもたち」を救うことはできず、
何か月か後に出版される写真集を見て平和ボケしている私たちがどこまで啓蒙されるか?
にかかっているわけですが、出版社はよりインパクトのある衝撃的な写真を要求するでしょうし、
今回のように事実なのに誰かの判断で「不適切」とされてしまう可能性もあるのだから、因果な商売です。
最後レベッカはあまりに幼い少女の身体に爆薬が巻きつけられるのを見て動揺しましたが
そういうのこそ、嫌な言い方をすれば「美味しい写真」だったりして・・・!

いっさいの感情を封じなければ獲れないのだったら、もう人間が撮る必要もなくて、
高性能のドローンに撮らせれば?とか、戦場カメラマンは結婚してはダメ!とか
極端なことまで考えてしまいます。

でもこれが男女が別になったら、(戦場カメラマンはともかく)従軍する兵隊たちの妻子は
ひたすら帰りを待ち続けているのが普通なわけで、
やっぱり女性の忍耐強い特性はこういうところでも発揮されるのですね。

ジュリエット・ピノシュはほとんどノーメイクで戦場スイッチの入ってしまうカメラマンを熱演。
子どもの年齢からいって40歳くらいの設定なんでしょうが、そうすると、
戦場カメラマンになってから妊娠出産をくりかえしてたわけ?
なんかそっちのほうもショックです。

「アメリカンスナイパー」は(凄腕の狙撃手ムスタファとか)フィクション部分もあるものの
ほとんど史実なのでみんな説明がつきますが、
全編フィクションの本作は、あんまり考えすぎると逆に空しくなってしまいます。

飯田橋ギンレイホールは今後、今年のアカデミー賞作品賞ノミネート作を次々に上映してくれます。
6才のボク・・・博士と彼女のセオリー・・・フォックスキャッチャー…
イミテーションゲーム・・・バードマン・・・
私は全部観たのでしばらくお休みですが、みんな秀作なので、
もしまだ観てなかったら、DVD待ちよりも映画館の大きな画面でぜひご覧ください。