映画「セッション」   平成27年4月17日公開 ★★★★☆

 

名門音楽学校へと入学し、世界に通用するジャズドラマーになろうと決意するニーマン(マイルズ・テラー)。
そんな彼を待ち受けていたのは、鬼教師として名をはせるフレッチャー(J・K・シモンズ)だった。
ひたすら罵声を浴びせ、完璧な演奏を引き出すためには暴力をも辞さない彼におののきながらも、
その指導に必死に食らい付いていくニーマン。
だが、フレッチャーのレッスンは次第に狂気じみたものへと変化していく。 (シネマ・トゥデイ)

 
J・K・シモンズは本作で助演男優賞を総なめしたようで、こんなに獲るのはクリストフ・ヴァルツ以来?
助演が良い映画はたいてい面白いし、音楽映画は好きなジャンルなので,期待満々でした。
シモンズはさすがに評判通りの圧倒的な迫力でしたが、
私はむしろ主役のマイルズ・テラーをもっと評価してあげるべきだと思いましたが・・・
あと、これを音楽映画と思って観ないほうがいいかと。スポーツ映画、いや格闘技に近いかもしれません。


名門シェイファー音楽院に入学したニーマンは、プロをめざし練習に明け暮れる日々。
ある日彼はフレッチャー教授から彼の指揮するスタジオバンドの控えのドラマーにスカウトされます。
彼はたいへんな鬼教官で生徒たちに罵詈雑言を浴びせ、物は投げるは平手は飛ぶは・・・
クラシックならともかくジャズやるのに生徒たちがこんなにピリピリしていていい演奏ができるのか?
って思っちゃいますが、結果として彼のバンドが学院一なんだから、一応成功はしているのでしょう。

ただ彼は演奏の技法を教えているわけでも、その曲に込められた心を教えているわけでもなく
理不尽に叱って学生たちを追いつめているだけなんですね。
たとえば誰から音を外すと即、犯人捜しをするわけですが、正しく演奏している人を犯人扱いします。
ブタ野郎とののしって彼を教室から追い出し、彼が出て行ったあとで本当に外した生徒を名指しする・・
というやり方は、教師としてはあり得ないですよね。
人格を否定するような叱り方で、気に入らないと荒れ狂い、暴力上等・・・
ただそんな彼だからこそ、ちょっと目をかけられれば有頂天になるし、
優しい言葉をかけられれでもしたら、一生この人について行こう!なんて気になってしまいます。

昔はこういうフレッチャーみたいな教師、そこそこいましたよね。
私の父はまさにこのタイプでしたから、こういう人に出会ってもあんまりビビらずに人生送ってこられました。
「ひどく怒った後に優しさを見せて、お前のためを思って・・・」みたいなことを言って
それで他人の心を掴んだ気でいる「手法」は子どもの頃から「まるっとお見通し」で
こういうタイプは大嫌いだけどむしろ扱いやすいタイプだと思っていました。
フレッチャーのことも最初は楽々理解可能だとおもっていたんですが、
彼はちょっとその枠を越えちゃってますね。

それとは逆に、ニーマンのパパは優しすぎるほどの父親で、世話好きで温かい。
でも、生活のために夢をあきらめて教師になった父親をニーマンはむしろ軽蔑しているんです。
「学生のマイナーリーグでフットボールのMVPになった」とか
「校内のベストティーチャーに選ばれた」とかのちっちゃい名誉に大喜びの親族たちにも不満で
「プロから声もかからないような三部の大学でプレーしてどうする」
「自分はプロのドラマーになる夢は死んでもあきらめない」
そして
「元気で90歳まで長生きしてみんなに忘れられるより
自分は歴史に名を残す人物になる!」と。

映画館のフードコートでバイトするニコルという可愛いGFができるのですが、
彼女にも
「僕は偉大になりたいから、君の存在は邪魔だ」と(最初自分が誘っておきながら)一方的に別れるのです。

この「何様?」的な尊大さは、フレッチャーにしごかれてから性格が変わったように思いがちですが
もともと彼の内面にあったもの。
二人は出会うべくして出会ったのでしょう。

とにかくスゴイ演奏者になるためには努力も手段もいとわないと思っているニーマン。
そこまで導くことができるのはフレッチャー先生だけだと思っているから
明らかに理不尽なことを言われても従うしかないのです。彼にとってフレッチャーは神だから・・・

「B16号室、明日6時忘れるな」
最初逢った時、フレッチャーは間違いなくそういったのですが、練習開始は9時。
そして9時きっかりにフレッチャーはやってきました。
実はこの日ニーマンは寝坊をして到着したのは6時をまわっていたのですが、部屋には誰もいず。
でも最初に指示された時間からは(自分の不注意で)遅れたわけで、
先生はそれを知りながら黙っているのか?
3時間ここでひとりで待つことになんらかの意味があるのか?
まるで物言わぬ神の意思を必死で考える信者のようです。

結局なんでフレッチャーが6時と指示したのかは最後まで明かされませんが
(第三者の目から見たら)あきらかに「嫌がらせ」「いじわる」の類いですかね。
とにかく遅刻することへのストレスが後半のニーマンの異常とも思える行動の伏線となっています。

首席奏者だったタナーの楽譜を預かったニーマンが椅子に置いて失くしてしまったことで
全て暗譜しているニーマンがその日の演奏者となれたんですが、
この「紛失事件」の真相も最後まで明かされず。
これもなんとなくフレッチャー(神)のおぼしめしと言う気もしますが・・・

遅刻はNG
置き忘れはNG
1回は許されても2度は許されないもの。
ところが、大事な大会の日によりにもよってニーマンはそれをやらかしてしまい、事故にあって血まみれ。

それでもどうしても演奏者の地位を失いたくなくて血みどろでスティックを握って、
演奏をめちゃくちゃにしてしまいます。
まわりからは「頭がおかしい」と思われても仕方ないけれど、ニーマンの気持ちも嫌と言うほど伝わります。

その後学院を退学になったニーマンは、偶然バーでピアノを弾くフレッチャーと再会。
彼もまた、元教え子が鬱で自殺した責任をとらされて学院を辞めていました。
「(今自分が指揮をしている)うちのバンドはドラムがダメだ。お前に演奏してほしい」
ところが、本番でやったのはフレッチャーに言われたのとは全く別の曲。
楽譜もないし弾いたこともないニーマンがまともに演奏できるはずもなく・・・・
フレチャーは、自分を密告して退職に追い込んだのはニーマンだと思い込んでいて、
観客の前で大恥をかかせてやろうと思っていたんでした。
「私を舐めるな、密告したのはお前だろ」
フレッチャーは神でも恩師でもなく、ただのクソ野郎だったと確信したニーマンは
その想いを晴らすべく、素晴らしい演奏を聴かせる・・・・・といったラスト。

とにかく音楽映画なのに、楽しいシーンがほとんどなく、嫌な気持ちにさせる「嫌がらせ映画」(これ、褒め言葉)
私は、個人的には罵倒も暴力も練習シーンでは「あり」だと思っているんですが、
独りよがりな演奏は、もっと大物になってから初めて許されるもので
たかが学生の分際で客席の観客たちを巻き込んではダメだよね~
とは思いますけど。

ところでこの「セッション」というタイトル。
原題は「Whiplash(ムチ打ち)」で、本編中に演奏されるジャズの曲名でもあります。
「セッション」というと、ジャズでは演奏家が集まって即興的に演奏すること。
でも楽しくセッションするシーンなんてほとんどないし、12年公開の名作「セッションズ」とも紛らわしいし、
原題のままでいいような気がしますが・・・

「鳥肌ものにすばらしい」という触れ込みのラスト9分の演奏シーンも、
たしかに映画としては大変な高揚感で、今までつかみどころのないボンクラ役しかやってなかったマイルズ・テラーが
まさに本気を出してるのが感動ものですが、音楽としてはどうよ?って思います。
一度もゲネプロなしでステージに立つなんてありえないし。
繰り返しになりますが、観客のことを全く考えてない演奏者なんてやっぱり許せないなぁ~
ドラムを楽しみたかったら、むしろライバルの「バードマン」のほうをオススメしますね。