映画「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」
平成27年4月10日公開 
★★★★★


 
かつてヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡(ふうび)した俳優リーガン・トムソン(マイケル・キートン)は、
落ちぶれた今、自分が脚色を手掛けた舞台「愛について語るときに我々の語ること」に再起を懸けていた。
しかし、降板した俳優の代役としてやって来たマイクエドワード・ノートン)の才能がリーガンを追い込む。
さらに娘サム(エマ・ストーン)との不仲に苦しみ、リーガンは舞台の役柄に自分自身を投影し始め……。
                                          (シネマ・トゥデイ)

今年のオスカーは大豊作、というか、すでに日本公開された「アメリカン・スナイパー」も「ゴーン・ガール」も
「6才のボク・・・」も「フォックスキャッチャー」も「イミテーション・ゲーム」も
すべて素晴らしかったのに、作品賞・監督賞、脚本賞、撮影賞を独占した「バードマン」って一体!!
と思っていたのですが、観て納得。
2時間に収まったとは思えない濃密で心揺さぶられる時間を満喫しました。

予告編や事前情報からは、スーパーヒーロー映画「バードマン」の主役だった俳優が中年になり
仕事も家庭も危機に陥り、舞台劇で復帰を図るも、いろいろ問題が起きて・・・
というような自虐的な「コメディ」を予想していました。

まあ確かに設定はそうですが、実際はメタフィクションというのでしょうか、劇中に演劇を入れ込んで
虚構の世界を観客に意識させつつ、いろいろ仕掛けてくる作品です。
映画そのものについて語ってしまう作品はアカデミー会員の好物のようで、過去にも
「アーティスト」「アルゴ」「ヒューゴの不思議な発明」などなど。

本作はそれだけじゃなくて、全編をあたかもワンカットで撮ったかのような
超長回しのカメラワークが何と言っても見どころ。
私たち人間が朝起きて寝るまでに見えるシーンにカットなんてないから、
映っている光景はまさに生々しい現実世界なんですけど、そこにいろんな要素をぶち込んでいるのがスゴイ。
それに、編集もできない長まわしで撮るのは舞台劇以上の緊張を強いられます。
最近見たのだと、三谷監督の「大空港2013」は全編90分のワンテイク撮りでした。
空港を借り切って90分の出来事を90分のフィルムに収めるという実験的作品。

ただ本作のは2時間のできことではなく実際は4,5日くらいの話だから、ワンカットはありえず、
実際もけっこうカットしてうまく編集でつないでいたそうですが、ほとんど違和感は感じませんでした。

ストーリーに戻ると、「バードマン」で一世風靡した崖っぷち俳優リーガンは全財産をかき集めて
脚本・演出・主演を自らやり、親友の弁護士にマネージメントを、娘サムに付き人を頼んで
ブロードウエイでの演劇を成功させて起死回生を狙っています。

最初のシーンはその楽屋でリーガンがパンツ一丁でなぜか空中浮遊してる後姿。
何事もなかったかのようにゲネプロに向かうのですが、この時点ですでに一筋縄ではいかない予感がします。
「こんな場所は俺たちの居場所じゃない」
とぶつぶつ独り言言っているのが、次第にバードマンの声になり、幻聴やら幻覚やらが表れてきます。

彼は下手くそな俳優ラルフの演技に不満だったんですが、
なんと練習中に舞台照明がラルフの頭に命中。
「俺の超能力さ」と言い放つリーガンですが、明日のプレビュー公演はどうなる?!!

共演者レズリー(ナオミ・ワッツ)の紹介でマイク(エドワード・ノートン)が代役を務めることになるのですが
彼はレズリーの恋人で彼女のセリフ稽古につきあっていたからすべてのセリフを覚えていて
しかも演劇界の人なので、「セリフを掘り下げよう」なんていって、どんどん脚本を手直ししてしまうのです。
明らかに良くなっているので従わざるを得ないのですが、リーガンとしては面白くない。
でも明日のプレビューに間に合わせるのはもう不可能で、しかもマイクの人気でチケットの売れ行きも上々。

彼らが舞台上で演じるのはレイモンド・カ-ヴァーの短編小説「愛について語るときに我々の語ること」

 
邦訳にして30ページ足らずの短編で、
2組の夫婦がキッチンでジントニックを飲んで半分酔っ払いながら
愛についておしゃべりする話です。
永年つれそった老夫婦や一人の女性の元夫の暴力的な愛情表現のエピソードとかも出てくるので
劇中劇のなかにさらに話が入れ子になります。
複雑!
私はたまたま予習をしていったから何となくついていけましたが、
カーヴァーの代表作なので、アメリカ人だったら知っていて当然なのかな?

リーガンは主演ということですが、ナオミ・ワッツの演じる役(小説ではテリー)の元夫もやっていたから
一人二役ということでしょうか?
それより、幕間に長い休憩もあるような長い演劇にするにはあまりに短い原作だと思うんですが・・
よっぽどオリジナルの脚本でふくらましたんでしょうかね?

ところで、マイクはとにかく才能はあっても思いつきでやらかす男なので、
小道具の酒を水に変えたのに切れたり、ベッドシーンで本番やろうとして、
勝手な行動はレズリーやリーガンの反感をかい、
リーガンは彼が娘のサムにまで手を出しているのを知って、怒り心頭。
それでもマネージャーのジェイクが
「スコセッシ監督が新作のキャスト探しに来るらしい」とかウソをついて、リーガンの心をつなぎとめるのに成功。

プレビュー公演の日、劇の途中にタバコを吸うためにバスローブを羽織って外にでたら
オートロックで締め出されてしまい、ドアに挟まったバスローブも取れず、仕方なく白ブリーフ一枚で
ニューヨークの街中を歩くリーガンに群衆は大騒ぎ。(予告編で流れているのはこの辺)
それでもなんとかパンツ一枚の客席からの登場ですが出番には間に合い、事なきを得ます。

そして初日公演の前夜、バーで影響力強い演劇専門の批評家のタビサを見つけて挨拶に行きますが
彼女はまだ見てもいないうちから「未熟で無味乾燥」とか、リーガンをこき下ろすことを決めているようです。
「(あなたたち素人は)演劇のジャマをしないでほしい」
「あなたは役者じゃない、ただの有名人よ」

要するにブロードウエイの人たちは売れてるか落ちぶれているかに関係なく、
ハリウッドの映画人をワンランク下に見下ろしているんですね。
たかが被り物役者のくせにカーヴァーやるなんて100年早い、って感じです。
これにはリーガンも腹を立てて
「俺はこれに命をかけてる」
「批評家は批評書くだけで何も代償を払わない」

このへん、先日観た「シェフ三ツ星フードトラック始めました」のグルメ評論家と似てますね。
娘のサムがフォロワー数やツイートに敏感なのも、息子のパーシーとかぶります。


すっかり意気消沈したリーガンでしたが、またバードマンの声が彼を奮い立たせます。
そして初日は客席も埋まり、好調な滑り出し。
ただラストシーンで、リーガンは自分のこめかみに銃を当て、(演技ではなく)本当に自殺します。

ここでカット。
はじめての明確なカット。
本来ここでエンドロールが流れ、ここより後のシーンは(付け加えるとすれば)
エンドロール後が普通では?
人によって解釈がまちまちと思いますが、あのとって付けたようなハッピーエンドは
映画ならではの大きなウソではないかと思います。

なんだかこうやって書いていくと、面白い話か?って思いますが、
実際見るといろんな小ネタがちりばめられていて楽しいったらないです。

たとえば、実在の俳優の名前が当たり前のようにいっぱい登場します。
マーク以外の代役として名前が挙がるのが
マイケル・ファスベンダー、ウディ・ハレルソン、ジェレミー・レナー、ライアン・ゴズリングなど・・・
ジャスティン・ビーバーやメグ・ライアンなんかは気の毒な使われ方。
アイアンマンのロバート・ダウニーJRなんて
「ブリキを着て大儲けしている。俺の半分の才能なのに」
なんて、こんなこと言って大丈夫なんでしょうか?

リーガンもマイクも劇中の架空の人物ですが、
マイケル・キートンは初代バットマンだし、エドワード・ノートンはハルク、
エマ・ストーンはアメイジング・スパイダーマンの彼女です。
 
とくにマイケル・キートンは最近は当たり役がないうえにバッドマンもクリスチャン・ベイルにとってかわられて
パンツ一丁でやけっぱちになるシーンでは痛々しくも感じてしまいました。
ただ、中年太りでハゲ散らかした役作り、というほどでもなくて
一般人よりは身体も頭髪もちゃんとしていた気もします。

ナオミ・ワッツも遅咲きの女優さんで、「売れない女優」は若いころの彼女自身、と何かに書いてありましたが、
私はその時期を知らないのでよくわかりませんでした。

むしろ、脇役の人たちは、(私が知ってる)いつもおなじみの役とは真逆のイメージ。
エマ・ストーンは
「ヘルプ」も「ラブ・アゲイン」も「アメイジング・スパイダーマン」でも、賢くて元気で健康的な等身大の女性。
ところが今回は薬物中毒で痩せて目だけぎらぎらしているような見た目は危うい役。
ことばづかいも乱暴で下品だけど、セリフの応酬、頭の回転は素晴らしいです。

エドワード・ノートンも私が知っているのはウエス・アンダーソン監督作品のほんわかした役なので
早口でまくしたてたり、楽屋でマッパになったりするの見て、愕然としてしまいました。

一番驚いたのはジェイク役のザック・ガリフィナーキス。
ハングオーバーのアラン役で汚いお尻出してたりしてたのと同じ髭面メタボの風貌なのに、
真面目で知的な弁腰で違和感なし。
彼の本当の姿はこっちなんでしょうか。

あと、スコセッシ監督の名前が挙がっていましたが、ホントに彼は出演していました。
初日の幕間に(私の記憶があっていれば)
「一幕目いいね~」といいながら出てきたのが監督じゃないかと思うんですが。
私が見ても分かるくらいだから、詳しい人がみたら、もっと隠し絵のようにいろんな人が隠れているのでは?

とにかく手持ちカメラの長回しの臨場感で、ブロードウエイのバックヤードに紛れ込んだかのような興奮。
膨大なセリフの応酬劇に、ひたすら濃密な2時間を堪能しました。

 
バードマンの造形もリアルですが、心なしか、マイケル・キートンのバットマンのマスク(左下)に
一番近いような気がします。