映
画「KANO ~1931海の向こうの甲子園」平成27年1月24日公開 ★★★★☆
ノベライズ「KANO~1931海の向こうの甲子園」 ウエイダージョン 河出書房新社

 

1929年、日本統治下にあった台湾で、近藤(永瀬正敏)は弱小チーム嘉義農林野球部の新監督に就任する。
日本人、台湾育ちの漢人、台湾原住民の混成チームは新監督の導きでそれぞれの能力をフルに発揮し、猛特訓にも必死で食らいついていく。
それまで連敗続きだったチームは少しずつ成長を遂げ、部員たちは甲子園を夢見るようになる。 (シネマ・トゥデイ)

1944年、戦時中の台湾基隆港に降り立った兵士たちは鉄道に乗り換え南方の戦地に向かうのですが、
そのうちの一人の日本兵が窓の外の景色を見ながら、1931年の甲子園を回想する・・・
というところから始まります。

飛行機から投下されたのは爆弾?と思ったら、それは日章旗に包まれた野球ボールで
昭和6年の高校野球開会式の演出だったのでした。
日本各地の予選を勝ち進んだ強者たちが入場行進、その中で遅れて到着したのが
初出場の台湾嘉義農林の生徒たちでした。

話はさらにさかのぼって、1929年、嘉義農林の野球部。
負けてばかりのこのチームをなんとか一勝させようと、顧問の浜田先生の努力で元高松商の近藤を招へい。
漢人3、蕃人4、日本人6のこの混成チームは仲が良くて、野球好きの純粋な子ばかりなんですが、
ふざけあったり歌ったり緊張感まったくゼロ。
「お前たちを甲子園に連れて行く」と宣言した近藤は、まず徹底した走り込み。
田んぼのあぜ道や市場の中を「甲子園、甲子園」と連呼しながら、ひたすら走る部員たちに町の人たちもあきれ顔・・・

それでも特訓の成果が出て、次第にましな野球になるも、試合にはなかなか勝てず、
3年生最後の試合も降雨コールドで負けてしまいます。
台湾はたしかに雨が多いですけど、それにしてもグラウンドの状態悪すぎ。

前半は、泥まみれのスライディングシーンばかりで、野球というより泥レスみたいでした。
近藤は名門高松商を追い出された訳あり監督ですから、 まあ悩みもあるでしょうけど、
酔っ払って朝まで泥の中で寝てたり、そんなエピソード必要??
部員の家族のエピソードもいろいろ出てくるんですが、それほどたいした伏線にもなっていないのでちょっといらいら・・・

この映画、このジャンルで、なんと3時間越えなんですよ。
この調子でだらだら続くのかと思って心配になったんですが、年度が替わってピッチャーがアキラ(吳明捷)になったあたりから
俄然テンポがよくなって、予選を勝ち進むところなんて、大興奮でした。

「蕃人(高砂族)は足が速い、漢人(台湾人)は打撃に秀でている、日本人は守備に長けている。
こんな素晴らしいチームが他にあるか!」
と近藤が胸を張るだけあって、鉄壁の守備に好走塁に超高校級のピッチング。
足でかき回して長打で一気に本塁を落とす、機動力野球ですよ!
カットをつなぎ合わせてそれらしくみせたり音楽でごまかしたりすることなく、
マジでこの子たち野球が上手いっ!!

エースのアキラなんて、手足の長いモデル体型のイケメンで、どうせ野球は吹き替えかと思ったらとんでもなくて、
村田兆治ばりのダイナミックなフォームからの剛速球はお見事の一言。  

演じたツァオ・ヨウニン君はレトロなユニフォームもよく似合ってますが、
ホントに彼はワールドチームの一員の20歳の学生だそう。


 アキラ(吳明捷)は漢人だから、日本語がたどたどしくても問題ないといえばないんですけど、
日本語教育受けてきた割にはちょっと・・・と思ったんですが、
これだけ野球がうまいんだからもう、許しちゃいます。
漢人の人たちは呉とか劉とか蘇とか中国名なんですけど、先住民の人たちは平野とか上松とか日本名だから
(見た目もほとんどわからないから)日本語の発音で区別できるから逆にいいかもしれないんですが
時々字幕がないと(日本語なのに)聞き取れない個所もありました。
それでも、慣れない日本語のせりふを頑張ってくれたことは尊重しないとね。

そして、一勝もできなかった嘉義農林があれよあれよという間に勝ち進み、強豪台北商業をやぶって甲子園の切符を手にします。
甲子園でも神奈川商工をあっさり完封して次は札幌商業。
ここにも大勝しますが、相手の錠者という投手こそが、最初に登場したのちの日本兵だったのです。
自分の投球に自信がもてない錠者は、監督から
「怒るのはいいが、諦めるな。カノウの選手たちはけっして諦めない」と言われるのですが
結局打ちこまれて自分からマウンドを降りてしまいます。
後悔とカノウの選手たちへの尊敬の念が、彼を後々嘉義のグラウンドへ向かわせたのでしょう。

決勝戦は中京商業。
甲子園で相対するのは(満州や朝鮮をのぞいたら)すべて日本人のチームですから、
「敵」チームは悪く描きそうなもんですが、監督は温厚だし、選手たちもフェアプレイという、非常にフェアな描き方で
私たち日本人が見ても清々しいったらありゃしないです。

もうひとつ、親日要素としては、烏山頭ダムを作って「嘉南大圳の父」と呼ばれた八田與一氏の登場シーン。
日本ではあまり有名ではないですが、八田さんは台湾で最も有名な日本人のひとりで、
台湾の人たちはこの戦前の偉人を今でも心から感謝してくれています。
たまたま時期が同じだったことと、部員のひとり小里の父が技師(これは事実のようです)だったんですが、
野球とは関係ない気もするけれど、台日友好の嬉しいエピソードです。

甲子園での試合結果はけっこう有名な話で私は知ってたので、「あ、そのままなんだ」と思いましたが、
ディテールは結構盛っていましたね。
「パパイヤの実の秘密」とか「血染めのボール」とかで涙をさそう戦略だったかもしれないけど、
そこはあまりに嘘っぽくて逆に私は引いてしまいました。
でも試合のシーンは鳥肌もので、3時間こえて4時間でも5時間でも観ていたいほど。
エースピッチャーのいるところは確かに勝ち進むけれど、高校野球は基本全員野球でひとりひとりが力を出し合うんですね。

一瞬ストップモーションからの「奇跡のホームラン」一発で感動させる・・なんてのは邪道です。
「高校生が甲子園の一番深いところにノーバウンドのライナーを当てる」とか
「史上初のホームスチール」とか「セフティバンドやヒットエンドランの足のある野球」とか
なにより、きびきびした高校球児らしいプレイ、仲間を信じ最後までけっして諦めない彼らにもう心打たれました。

近藤が高松商時代の恩師と和解するシーンで
「攻撃側でなく、守備側に主導権がある競技が他にあるか?」
っていうんですが、ホントにそのとおり。
確かに守備の間は点数は入らないけど、球を握っているのは守備で、
その時はチームの仲間全員がグラウンドに散らばっているんですからね。

こんなに面白い野球がオリンピックから姿を消したのがほんとに悔しいです。

最後に選手たちのその後がテロップで流れるんですが、
日本のプロ野球に入った人はいないと思っていたら、なんと一人いました!
しかも殿堂入りもした超有名人。
あの人間機関車といわれた呉昌征。
高校生でもないのに、野球が好きで好きで、いつも裸足でバケツもって走り回ってた少年がいましたが、
なんと彼が後の呉昌征だったのです。
あの子が出てきたとき、すぐに彼だと分かった人、いたらスゴイです。

吳明捷については、台湾のwikiに記載がありました。
日本にきて早稲田大学にはいったんですね。
台湾は略字を使わないので、中国語わからなくても何となく内容がわかるから楽しい!

河出からノベライズが出たのと、野球殿堂博物館で特別展をやっているのも今日知りました。
呉昌征についてもこちらから読めるようです。

 
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嘉義農林限定ではありませんが、
外地の高校球児たちのことはこの本が詳しそうで、またまた読む本が増えてしまいました。