映画「6才のボクが、大人になるまで」 平成26年11月14日公開 ★★★★★


 メイソン(エラー・コルトレーン)は、母オリヴィア(パトリシア・アークエット)と
姉サマンサ(ローレライ・リンクレイター)とテキサス州の小さな町で生活していた。
彼が6歳のとき、母は子供たちの反対を押し切って祖母が住むヒューストンへの引っ越しを決める。
さらに彼らの転居先に、離婚してアラスカに行っていた父(イーサン・ホーク)が1年半ぶりに突然現れ……。
                                             (シネマ・トゥデイ)


上映館の少なさと上映時間の長さからずっと見られなかったこの作品が2015年の1本目。

1本の映画を撮るのに12年かけたという、この映画。
2002年に6才だった少年とその家族を、その子が18歳になるまで撮り続ける・・・
ドキュメンタリーだったら珍しくないですが、ちゃんと脚本があってメジャーな俳優を使って
たった1本の映画のためにそれだけ手間をかけられるって、ありえないでしょう!

リンクレーター監督は本作でも父役を演じるイーサン・ホークとジュリー・デルピー主演で
18年かけて3本の「ビフォアシリーズ」を撮っています。
    1995年 「ビフォア・サンライズ」(邦題「恋人までの距離」)
    2004年 「ビフォア・サンセット」
    2013年 「ビフォア・ミッドナイト」

18年というのも気が遠くなりそうですけど、その都度公開して興行収入を得られるし、固定ファンもつくでしょうから納得。
12年かけて1本では、もし不測の事態が起きたりしたら、今まで撮った分も無駄になりそう。
ともかく、見事に完成したことに拍手をおくりたい。
そして(日本での公開館少ないですが)評価も非常に高いようです。良かった、良かった・・

6才のメイソンは姉のサマンサと母の三人暮らし。
両親は23歳の時に妊娠を機に結婚。
家庭人になりきれないちゃらんぽらんな父と真面目体質の母は喧嘩が絶えずに離婚。
父はアラスカへ。
幼い子どもを二人抱えた母は子育てしながら働いていたのですが、
キャリアアップして自分の実家近くで祖母の力を借りて大学で働くべく、
テキサスからヒューストンに引っ越しをします。

そうしたら音信不通だった父(イーサン・ホーク)が現れて、週末を子どもたちと過ごすようになります。
夫としては問題の多かった彼は、子ども達からしたら、口うるさい母よりずっと楽しくて大好きなパパ。
キャンプしたり、ラグビーしたり、アストロズの試合を見に行ったり、楽しい週末を過ごすのですが、
ところが母は勤務先の教授といい仲になって、子ども二人ずつ連れての子連れ再婚をします。

生活は安定し、義理の兄弟たちとも仲良くなるのですが、新しい父もかなりの「難あり」で
メイソンはいきなり長髪を2台のバリカンで丸刈りにされてしまいます。
「こんな火星人みたいな頭じゃ学校にいけない」というメイソンに母は
「お父さんは問題もあるけど長所もたくさんあるのよ」となだめるのですが
父は酒を飲むと人格が変わり、妻を殴り、物を投げ、子ども達にも暴力で威嚇します。
身の危険を感じた母はメイソンとサマンサを連れて逃げ出します。
可愛そうに、子どもたちはまた転校することに。
そして母は今度は元兵士を再婚することになって・・・・

ごくごく平凡な子どもの12年間の成長を描くのかと思ったら、
母親が三回も離婚して、その都度生活環境が激変するという、けっこう大変な子ども時代なんですね。
それでも大人の言うことを受け入れたり反発したりしながら、とにかく子どもは生きていかなきゃならない。
親の立場から言えば、良かれと思ってしていることが、逆に子どもたちを傷つけることになったり。
母が3回も結婚したのは別に恋愛体質なわけではなくて、子ども達にいい環境を作るためなのに
なぜかいつも裏目にでてしまうんですね。
それでも子どもたちがグレたりしなかったのは、親の想いを言葉にしてとにかく子ども達につたえていたから
「間違いなく自分は愛されている」と実感できていたからでしょう。

母がシングルマザー時代に、友人から夜の集まりに誘われて
「ベビーシッターに頼めないから家にいるわ」と断ると
「あなたはいつも子どもを持ち出して言い訳にする」
と言われるシーン。

日本だったら、小さい子どものいる母親が自分の楽しみのために夜外出するなんてよっぽどのことですが
アメリカでは当たり前のことで、それが逆に母親を苦しめてるとしたら、皮肉なことですね。

2度目の夫の暴力から逃げるところでも、あちらの連れ子たちは残してきてるわけで
彼らの身の危険を心配するサマンサたちに
「法的には保護者じゃないから誘拐になるのよ」という母。
これも日本だったらもう少し柔軟に考えてもらえそうですね。


 

左上から右下まで、12年間のメイソンの変化はこんな感じ。
かわいい無邪気な子供から反抗期を経て精悍な若者に・・・といいたいところですが
18歳にしてはやつれてるというか、(日本の18歳に比べたら)初々しさがないような。
同じ俳優ががやっているから、役作りもメイキャップも不要です。
流行っている音楽とかゲームとかスマホの形とか、政権の移り変わりとか、その辺の時代考証も不要。
12年とはいえ、リアル「フォレストガンプ」って感じでした。

父や母も当然同じように年をとっているはずが、子どもに比べたら変化は少ないです。

 

↑ イーサン・ホークの最初の登場シーンはこんな感じ。
一番上の画像と比べてもあまり変わりないですね。

シーンのつなぎ目は「メイソン〇歳」とか「〇年後」とか出そうなもんですが、
唐突に次のカットで1年後くらいのメイソンがでてくるので、その省略された部分は想像で補うしかなく、
しっかり観てないといけないので、退屈さはなく、上映時間の長さも感じませんでした。

母が異常に男運ないこと以外は、まあありきたりな家族の12年間。
こんな平凡な日常でもドラマがあり教訓があり、
子ども達にはすべてが学びの場なんでしょうね。

親の都合でのたびたびの引っ越しや転校も、(はた目には気の毒に映るけれど)
そういうなかで彼らは生きる術を学んでいくのでしょう。

それにしても15歳の誕生日に銃をプレゼントされたり、性体験や酒やマリファナもそのころ覚え
18歳までにガールフレンドと交際したり別れたり、
そして自分の才能を知り進む道を決められるなんて、この早さはお国柄の違いでしょうか?

子どもが18歳で家を出て大学に行き自立することで、
親の方も「子育て終了」と言い切れるのも早!!

メイソンの高校卒業のお祝いパーティーで、母親が
「苦労して育てたのに、あと残されたイベントは私の葬式だけ」っていうのですが、
23歳でサマンサを産んだのなら、母はこの時40代前半なわけで、その年でこのネガティブ発言はないと思いますが、
実際は30になっても40になっても(特に日本の場合)子どもは子どもで、
親の負担は老年になるまで続くんですけどね。


メイソンが将来の仕事ときめたのは「アート写真家」で、
写真はその一瞬を切り取り封印するもの。
一瞬を逃すな」といわれるけど、一瞬は常に今ある時間のことだ

友人にメイソンがそう話すシーンが印象的でした。
すべての時間が広がっていて、一瞬は常に我々とともにある。
写真や映画ではカットすることができるけど、一瞬は常にここにあって逃れられないもの。
その一瞬の積み重ねを私たちは生きていくんだなあと。

時間の流れをリアルに少年の成長で可視化してくれたこの作品は、すごいアイディアだけれど、
こんな大変なこと、パクる人は絶対にいなさそうです。