映画「100歳の華麗なる冒険」 平成26年11月8日公開 ★★★☆☆
原作本「窓から逃げ出した100歳老人」ヨオナス・ヨナソン 西村書店

 
かつて爆弾の専門家として各国要人と渡り合い、数々の歴史的事件に立ち会ってきたアラン
(ロバート・グスタフソン)は、100歳の誕生日に老人ホームを抜け出す。
その後予期せず高額のお金が入ったケースを手に入れた彼は、ギャングと警察両方から追跡されるハメに。
途中出会った個性的な仲間たちを巻き込んだ珍道中を通し、
アランは自身の波瀾(はらん)万丈な人生を思い返していく。    (シネマ・トゥデイ)

大ベストセラーといわれる原作未読のまま観賞。
「100歳の年寄り+ダイナマイト+ゾウ」
チラシに写っているのは、一見関係のなさそうな3アイテムが。
さてこの3つがどうなるかは見てのお楽しみなんですが、
それより、これがスウェーデン映画と知ってビックリ!
スウェーデン映画と言ったら「ミレニアム」とか「ぼくのエリ200歳の少女」とかの寒々とした印象。
この国のこんな楽しげな映画で楽しめるのか??
たしかにコメディセンスはかなり独特で、受け入れるのに時間かかりましたが
うーん、悪くないかも。
ただ決して万人向けではないから
「本国ではホビットを押さえて5週連続第一位」というのは鵜呑みにしないほうがいいと思います。

老人ホームに住むアランじいさんの100歳の誕生日。
介護士たちが100本のローソクをケーキに刺している最中に
アランは窓から外に出て、ホームのスリッパのまま、マルムシェーピング駅へ向かって歩き始めます。
ポケットの小銭で買えたのはビーリングまでのバスの片道切符。
大きなスーツケースが邪魔でトイレにはいれないスキンヘッドのギャングから
「おい、じじい、これを放すんじゃないぞ」とスーツケースを預かったものの
バスが発車してしまうので、迷わずスーツケースを引いてバスに乗り込むアラン。
着いた先で食事をごちそうしてくれたユーリウスと意気投合。
ところがスーツケースを追ってさっきのギャングが乗り込んできて暴れるので、
冷凍庫に閉じ込めて冷風のスイッチを切り忘れているうちに、彼は凍死してしまいます。

スーツケースを開けると、なんとそこには5000万クローネの札束が!!
それでもアランとユーリウスはあわてることなく、死体と大金をもって悠然とトロッコにのって・・・・

一方、老人ホームではアランが行方不明になって大騒ぎ。警察が捜査を開始します。
また、大金をもったギャングと連絡がとれなくなって、その親分たちが大騒ぎ。
アランたちは警察とギャング両方から追われることになります。
途中車にのせてもらったり、泊めてもらったり・・そのたびに仲間が増えていきます。
家に泊めてくれた男運のないグニラはサーカスから盗んだゾウを飼っていて
このゾウまでが彼らの一行に加わります。

アランのすごいところは、ピンチに陥っても、打開策を考えたり、嘘をついたり、
証拠隠滅を図ったり、ごまかしたりしないこと。
とにかく運を天に任せて、なるようにしかならない、と達観すること。
彼はこれで100歳まで生きてきたのです。

「老人ホームを逃げ出してからの冒険譚」と並行して、アランのこれまでの人生がフラッシュバックするのですが
これがまた、とんでもない人生!

子どもの時に革命家の父が処刑され、母も咳で苦しみながら天国へ。
9歳で爆破する喜びに目覚めた彼は、何でもかんでも次々に爆発させ、
終いには人を巻き添えにしてしまって、精神病院行きに。
パイプカットされて遺伝子を社会に広めないように牽制されるのですが
やがて戦争が始まると、爆破オタクはいろいろ重宝され、
フランコ将軍や、トルーマン、スターリン、ニクソン、ゴルバチョフとも友達。
100年生きただけじゃなくて、冷戦下で二重スパイをしたり、世界の重要なシーンに立ち会ってきたアラン。
まあこの辺は「壮大なほら話」の域をでないし、
日本人としては「マンハッタン計画」で笑いをとるのはやめて欲しいな、と思ったりして・・・

アランもかなり変わっていますが、次第に増える彼の「同行者」たちもかなりの変人ばかり。
なかでも、お勉強大好きの真面目青年ベニーは、なんでも考え考え考え倒して、
ややこしくしてしまう、アランとは全く逆の性格。
大学では920単位取って、知識に対する欲求が強いのに
「ほぼ心理学者」「ほぼ栄養士」「ほぼ動物学者」・・・と、何ひとつものになってない。
その彼がアランに背中を押されて新たな一歩を踏み出すあたり、これは嬉しいシーン。

結局、いろんなものを壊しまくって、少なくとも2人の人間を亡きものにしているのに
敵の方から自滅してくれて、何から何まで都合よく転がってのハッピーエンド。

考えたって無駄。
なるようにしかならない」

という母の遺言はアランの座右の銘なわけですが、
これをそのまま教訓にするのは無理としても、
100歳をすぎてなお、好奇心満々で、冒険を恐れず、
今日が最後の日でも悔いのない生き方にはちょっと魅かれるものがありました。