映画「永遠の0」平成25年12月21日公開 ★★★☆☆

原作本「永遠の0」 百田尚樹 太田出版




祖母の葬儀の席で会ったことのない実の祖父・宮部久蔵(岡田准一)の存在を聞いた佐伯健太郎(三浦春馬)。

進路に迷っていた健太郎は、太平洋戦争の終戦間際に特攻隊員として出撃した零戦パイロットだったという

祖父のことが気に掛かり、かつての戦友たちを訪ねる。

そして、天才的な技術を持ちながら“海軍一の臆病者”と呼ばれ、

生還することにこだわった祖父の思いも寄らない真実を健太郎は知ることとなり……。(シネマ・トゥデイ)


百田尚樹さんの原作本が講談社から文庫化されたのは2009年。

その本は300万冊も売れて文庫の記録をつくったそうなんですが、なんと私、未読です。

夫の本棚にあったので、(百田さんの本は速読可能なので)映画観る直前にサクッと読んでから行こうと思っていたら

娘が友人に貸してしまったそうで・・・・

この読みやすさが売り上げアップにつながったのでしょうが、

もう1冊買うほどのファンではないので未読のまま鑑賞。


自分の祖父と思っていた人とは血がつながっていなくて、本当の祖父は特攻で死んだことを知った姉弟が

祖父宮部久蔵はどんな人だったのかを知りたくて戦友の老人たちに話を聞きに行く・・・

どこかで聞いたことある、と思ったら、これ「真夏のオリオン 」と同じですね。

戦争を全くしらない世代に戦争映画を見せようとしたら、どうしてもこういう手法になるんでしょうね。


濱田岳→橋爪功

三浦貴文→山本學

新井浩文→田中泯

染谷将太→夏八木勲


青年時代と現代パートそれぞれにいいキャストをそろえて(岡田准一は戦死するので現代パートなし)

零戦の機体もVFXで見事によみがえって、とにかく映画の質はとても高かったように思います。

で、原作も(私は読んでないけど)盤石ということだったら、もう良作間違いないんですけどね・・・


①感動して涙がとまらなかった

②原作の大事なところがカットされていて腹立たしかった


↑本作を見た人の感想はこの二つに分かれるようですが、

私はどこも泣けるところはなかったし、(申し訳ない!)えらく退屈してしまいました。


とにかく観客が理解できるように説明することが第一と考えているのか、

分かりやすすぎて、もどかしい・・・

できることならリモコンボタンで早回ししたい気分でした。

原作はどうなっているのかわかりませんが、高齢の人たちに取材するのだったら

相手の負担を減らすためにも最低限の下調べくらいしていくのが礼儀だと思うのですが、

この姉弟何も知らな過ぎ。

ミッドウェイ海戦、ガダルカナル、ソロモン戦・・・これくらいは中学~高校で習いますよね?


宮部でなくても、生きて家族の元へ帰りたいと思う気持ちは誰にだってあるのに

それを口に出したことで「臆病もの」「卑怯者」と言われた時代、

覚悟をきめて旅立っていった特攻隊員の心のうちはわかるつもりでいます。

今さらこの映画を観て泣けたかどうかなんて、あんまり重要なことでもないように思います。


「神風特攻隊員はイスラムの自爆テロと同じ」

「狂信的な愛国主義者だ」

と知った風な口をきく友人たちに健太郎がキレるシーンがあるのですが、

まさにそういう風に誤解している若い人たちにはこの映画はそれだけでも価値あるものになることでしょう。

彼らの祀られている靖国神社の参拝にもいろいろな意見がありますが、

少なくとも自分の意見を口にできるこの世の中に生きていられることを幸せに思います。


「風立ちぬ」ですでに注目の集まった零戦。

あちらは、反戦主義者だけど戦闘機は大好き、という人の作った映画なので、真意は理解しづらかったですが、

機体の美しさは堪能できました。

今までゼロ戦の映像はモノクロの実写映像か、不細工な張りぼてだったりしていたのが

ジブリアニメの世界でよみがえっただけでも感動だったのに、

VFXお得意の山崎監督の映画で、実写で見事に再現されて、これは文句なく鳥肌ものです。


ラストのファンタジーっぽいオチのつけかたや、エンディングテーマのサザンの「蛍」は

(曲としては好きですが)軍国色を薄めて娯楽作だと印象づけるためでしょうか?

このあたりは人によって好き嫌いがありそうですね。


今年亡くなった夏八木勲さんがここでも大事な役でキャスティング。

いったい死の間際に何本の映画に出られたのでしょう?

「そして父になる」では後妻だった風吹ジュンがここでは娘だったのがちょっとご愛嬌でした。


最初書いたように、この映画、とくに前半部分はかなり退屈しながら見てました。

暇だからずっと年齢計算していたのですが、

この話の設定は2004年なんですよね。

祖父(宮部)は大正7年生まれなので生きていたら86歳(2014年では96歳)

母は昭和16年生まれなので当時63歳(2014年では73歳)

このあまりの年齢の高さに唖然としませんか?


私たちが子どものころには「戦争に行った」話が日常会話で語られていましたが、

いつの間にか戦争体験談というと

「東京大空襲」や「広島長崎の原爆」や「沖縄の地上戦」で生き残った人の話に限られてしまったのは

近隣諸国への「配慮」ということなんでしょうか?


すでに時遅し!ではありますが、

戦争を体験した世代の人たちにもっともっと話を聞いて、次の世代につなげていかねば!

と真剣に思います。