映画 「風立ちぬ」 平成25年7月19日 ★★★☆☆


読んで♪観て♪


大正から昭和にかけての日本。戦争や大震災、世界恐慌による不景気により、世間は閉塞感に覆われていた。

航空機の設計者である堀越二郎はイタリア人飛行機製作者カプローニを尊敬し、

いつか美しい飛行機を作り上げたいという野心を抱いていた。

関東大震災のさなか汽車で出会った菜穂子とある日再会。

二人は恋に落ちるが、菜穂子が結核にかかってしまう。            (シネマ・トゥデイ)


観てすぐ書けばいいものを、yahooの賛否両論のレビューなんかを読んでいるうちに、よくわからなくなってしまいました。


前に4分の予告篇をみた時点でいろいろネガティブなことを書いてしまいましたが、

あのときに心配したことは、本編ではほぼ解決していました。

具体的に言うと、


① 「1920年代の日の日本はまことに生きるのに辛い時代だった」

と、言い切ってるところ。

② 主題歌の「ひこうき雲」は「空にあこがれて」とか字面はぴったりっぽいですが、

この映画には違和感がありそう。


大正時代は米騒動、第一次大戦後の不況、関東大震災などもあったけれど、そこからの復興はめざましかったし、

女性が活躍するようになったり、新しい文化が起こったり、

(この時代の歌を最近ボランティアでよく歌うんですが)今よりずっといい歌たくさんあるんですよね~

それを簡単に「暗い時代」と決めつけるのに反発していたんですが、

実際の映画ではそんな描写はなく、全編に久石譲のノスタルジックなメロディーが流れ、

軽井沢のラウンジでは、「ただ一度だけ」(会議は踊る)のピアノに反応してドイツ語で歌の輪が広がる、という素敵な展開。

「ひこうき雲」は本編中は一度も流れず、エンディングのみ。

(いきなりのネタバレですが)

菜穂子はだれにも知られずにひとりでひっそりと死ぬことを選択し、二郎はそのとき空をながめていた・・・・

と、無理やり歌に合わせてきてました。

これ、絶対主題歌決まってからの「あとづけ」ですよね?



映画の世界に限らず、ですが、やりたいことがあるときは、思うまま強引に突っ走る部分と

一方で、批判されないように調整する部分があると思うんですが、

本作では、二人の人間を合体させるという強引なことをやっている以上、矛盾がでることは必至。

それをどうやって微調整するか?・・・・

言い訳くさく思われない程度に、この配慮はきちんとされているような気がしました。


資金も人手も充分にかけて、作品のクオリティは「コクリコ坂」の比ではありませんが、

監督の個人的な「思い」をたくさん詰め込んで、しかもどれか一つを突出させることなく、すべてが「寸止め」。

要素が多いからひとつくらいは心の琴線に触れる確率高いですが、むしろわかりづらい作品になってしまった気がします。

すなわち、

日本のものづくりの先駆者たちの話であり

震災から復興する話であり

少年時代の夢をかなえる話であり

純粋な男女の悲しい愛の物語であり

反戦映画、なのかもしれません。


でも私のような鈍い人間には、もっとあからさまに表現してくれないと、なかなかピンとこないんですけど・・

唯一、二郎が夢の中で出合うイタリアの設計者カプローニ伯爵のことばは

はぎれのよい日本語で(後で知ったのですが吹き替えは野村萬斎)こちらの心にまっすぐ届くメッセージでした。

「大切なのはセンス。技術はあとからついてくる」

「飛行機は美しい夢だ。設計家は夢に形を与える」

「創造的な人生の持ち時間は10年。

きみの今からの10年を力をつくして生きなさい」

とか・・・

(中年のおばさんの人生を変えるのは難しいとしても)

この言葉にハッとする若い人たち絶対いると思うのに、わりと記憶に残りづらい演出でした。

カプローニはホントにこんな↓100人乗りのひこうき作っていたんですね(失敗したけど・・・)


読んで♪観て♪

帝大を首席で卒業した二郎は三菱内燃機に就職。

鳴り物入りの期待の新人だからヨーロッパに勉強にいかせてもらえたり、いきなり設計させてもらえたりの特別扱い。

当時の彼は、クライアントである海軍の提示する数値目標をクリアし、

コンペティションでライバルの中島飛行機に勝って会社に貢献することで頭はいっぱいだったと思います。

枕頭鋲とか主脚格納とかサバの骨の曲線とか、その辺がモノづくり要素?

「爆弾つまなければもっとスピードを出せる」なんていうのは、反戦要素??

ちょっと弱いですけどね。


震災で出合った菜穂子と軽井沢で再会。

避暑地の恋はすぐに終わるのが定番ですが、彼は一気に婚約までこぎつけます。

早っ!!

そもそも彼らの出会いは、震災直前の東京に向かう列車のなか。

二郎がつぶやいた 「Le vent se lève 」(風が起きた)に、菜穂子が

「il faut tenter de vivre」(生きてみなければならない)

とつづけたんですよね。なんとフランス語で。


もしも、自分の好きな詩をそらんじていて誰かが唱和してくれたら、それは感激ですよね。

ポール・ヴァレリーの一節なんかにさりげなく続けてくれたら、それはもう、ドキッとしちゃいます。

知的レベルも証明されるし。

もうこれで運命的なものを感じて当然と思います。

ただ、紙飛行機や帽子の「ナイスキャッチ」はあまりにベタで私なんか恥ずかしいんですが、

平成生まれの人たちの目には新鮮に映るのでしょうか?


あと、平成生まれの人には多分気づかれないだろうことを書きますが、

二郎愛用のヘンミの計算尺。

飛行機の設計にも使う繊細なものを骨折の固定につかっていいのか?とか、

いくらなんでも片手じゃ操作できないでしょ!とか突っ込みどころもありますが、

これは昭和生まれとして懐かしかったです。


それにシベリア↓


読んで♪観て♪

彼は貧しい姉弟に恵むために買ったんでしょうか?

「どんなにひもじくても施しはうけない」

小さな女の子のプライドがまだ発展途上にあった日本の自尊心みたいで、好きなシーンです。


効果音に人間の声を使ったり、震災のシーンで群衆のひとりひとりを手作業で書いていったり、

手間をかけることへのこだわりは、ジブリスタッフの層の厚さゆえに実現できたことでしょうが、

私はむしろ、震災当時のリアルな復元にこだわって欲しい気がしました。

上野とか本郷とかだったら資料も残っているでしょうにね。

たとえば(自分が生きてたわけじゃないからわかりませんが)おそらくあの界隈の一番のニュースは

12階建ての凌雲閣が震災でぽっきり折れてしまったことのように思うんですけど

それらしい画像はありませんでしたね。


私はさほど気にならなかったけれど、二郎の吹き替えをした庵野監督の声が評判悪いみたいです。

でもそんなこと公開前に十分予想できたことで、それでもGOサインを出したのはなんでかな?

ついでに言うと、喫煙シーンがやたら多くて、結核で寝ている妻のそばで吸っちゃうのだって

この嫌煙の時代にバッシングされるのは必至なのに、なぜ?

もうひとついうと、結核は飛沫感染が主な感染ルートですから、

ストマイのなかったあの時代に、あんなディープキスは自殺行為ですよ!

まったくもう、「承知で無茶する映画だなぁ・・・」とかなりひやひやしておりました。


ほとんどのシネコンが、ものすごいスクリーン数で上映しており、興行収入も半端ないようですが、

レビューを観る限り、かなり一般の観客の評価は割れているようです。

おそらく、「観客を楽しませる」という要素はかなり低く

「売れるものをつくろう」なんていう涙ぐましい努力もしていないように思えます。

だけど、話題性はあるし、「風立ちぬ論争」の仲間入りするためにも、劇場鑑賞はオススメします。

ただ、あの「3歳以下でもご覧になれます」というのは、配給会社が決めるの?劇場が決めるの?

あれ、ちょっと無責任です。小さい子がぐずったら自己責任で退席しろというんでしょうか?

ひどすぎますね。


今日は「スタートレック」の前作を監督たちの「副音声入り」でDVDで見ていたのですが、

意外なところでロケしてたり、結構いい加減な撮影だったり、ありえないくらい自画自賛しあってたり・・・

とっても面白いです。

宮崎監督は、ぜひともDVD発売時には、副音声で思いのたけをすべてぶつけて、そして今回で引退もありかと。