映画「インポッシブル」平成25年6月14日公開 ★★★☆☆
2004年末、マリア(ナオミ・ワッツ)とヘンリー(ユアン・マクレガー)は、3人の息子と共にタイにやって来る。
トロピカルムードあふれる南国で休暇を過ごすはずだったが、
クリスマスの次の日、彼らは未曾有の天災に巻き込まれる。
一瞬にして津波にのみ込まれ、散り散りになった家族はそれぞれの無事を祈りつつ再会への第一歩を踏み出す。
(シネマ・トゥデイ)
東日本大震災が起きたため、直後に公開を控えていた中国の「唐山大地震 」の映画が延期され、
冒頭の津波のシーンが問題になって「ヒアアフター 」も公開打ち切りになりました。
私は両方とも震災前に観ていたんですけれど、2作ともけっしてパニックエンターテイメントではないし、
災害にあった人の目線で、彼らが苦しみから立ち上がるところまで描いていましたから、これって不適切?
ただただ配給会社の企業イメージを守るため、と思っていました。
結局、「唐山大地震」のほうは1年たっても公開が決まらず、中止が決定、いまだDVDでも観ることができない
幻の映画となってしまいました。
映画って、観たい人が時間を割いて自分のお金を払って出かけて行って観るものですから、
観たくないひとが「うっかり」観ることもないわけで、何でもかんでも打ち切るのが無難、ていうのはどうなんでしょう?
公開中止で大きな損害を受ける人たちもたくさんいるわけで、新たな人的な損失作ってどうするんでしょ。
被災者の人たちに哀悼の意をあらわすのとはまた別物のような気がします。
震災から2年余りたって、津波を題材にした「インポッシブル」が日本公開!
ここへきてGOサインを出したのはどういう理由からなんでしょう?
スペインで大ヒットしたから?
東京国際映画祭で高評価だったから?
ナオミ・ワッツがオスカーノミネートされたから?
3.11の3回忌も済んだから?
ともかくこの映画、津波のシーンが予想以上にリアルで、中継カメラのような客観的な映像ではなく
あくまで波にのまれた人の目に映ったものが流れます。
完全に水の中に引きこまれ、画面が真っ暗になったところでは、思わず呼吸を忘れ、観ているだけで失神しそうでした。
実は、映画で観てすぐ感想を途中まで書いて下書きにしておいたのが、気づいたら消えてしまっていて、
思い出しつつ最初から書き直してるんですけど・・・・
観てすぐは家族を想う強い気持ちと執念にただ感動して、★もたしか4つつけていたんですが、
日が経つにつれてなんか納得いかないところがいろいろ気になって、
今の心境だと、正直★2つ半くらいの感じです。
日本で働いていたイギリス人の家族が、クリスマス休暇をタイのビーチで過ごすことに。
ちょうどその時に2004年のあの「スマトラ沖地震による大津波」に遭遇するわけです。
ビジネスマンと育児休業中の医師の夫婦、ということで、そこそこ高所得の一家のようです。
これから起きることがわかるだけに、前日までの家族水入らずで楽しく過ごしているシーンを観るのはつらかったです。
東日本大震災でも2万人近い人が亡くなったり行方不明になっていますが、
この地震の被害はその10倍以上の28万人といわれています。
マリアとヘンリーの夫婦とルーカス、トマス、サイモンの三人の男の子たちは、
ビーチに近いホテルのプールで遊んでいたときに津波に襲われ、家族は散り散りになります。
長男ルーカスは母マリアと同じ方向に流され、命からがら現地人に助けられ、病院に運ばれますが、
マリアは足に大けがをしていて適切な処置をしなくては命も危ない状況。
一方、父ヘンリーと弟二人も流されずに助かるのですが、マリアとルーカスの安否が心配で・・・
まず、彼らは「津波」なんて知らないから、何が起きたかもよくわからないんですが、
そんなことはどうでもよくて、気がかりなのはひたすら家族の安否、です。
持ち物はすべて流され、連絡手段なし。
観光客同士は英語でしゃべれるけれど、現地語はさっぱりわからず。
子どもたちを安全な山に行かせるということになって、父はトマスに末の弟サイモンを託し、
ひとり、妻と長男の探索に出かけます。
この判断は「ええっ~?!」って思いましたが、ともかくいろんな偶然も重なって、5人は再会を果たすのです。
父と再会するまでの間、
最愛の母を守るためにルーカスは逞しくならざるをえません。だって自分しかいないんだから。
「人の役にたつことをしなさい」という母の教えを守って、病院内を走り回って、
離れ離れの親子たちを引き合わせたり、けなげに働くルーカス。
飛行機の中では反抗期まっさかりのくそガキだったのにね。
トマスだって幼いサイモンを守るのは自分しかいないから、泣きたい気持ちを我慢して強い子になります。
私はこういう、非力な小さい子供が健気に頑張る・・・というのにめっぽう弱いので
もう涙腺うるうるでした。
ルーカス役のこの子、トム・ホランド ↓
実績のある子役だと思ったら、はじめての大きな役みたいです。これから楽しみ。
ただ、実話だからストーリーに文句つけたくないですが、
いろんなことが都合よく起こって、最後は保険会社のチャーター機でシンガポールに飛んで最先端医療が受けられる・・・
めでたし、めでたし・・・・
って、「いい保険に入っててよかった!」みたいなオチです。
たしかにこの家族は飛行機で飛び立ってしまえば もうそこからは「安全で幸せなこっちの世界」でしょうが、
現地の本当の悲劇はこのあとで、地元に住んでいる人たちの置かれた状況を考えると、なんかすっきりしません。
モデルとなった家族はスペイン人で、タイとは遠く離れているから、
「はるかかなたの国で九死に一生を得た家族のアンビリーバブル体験談」ということなのか。
もちろんこの家族は素晴らしいけれど、スペインだけでひっそりやっておけばよかったんじゃないの?
あの状況で何より大事な携帯電話。
快く貸してくれる観光客はもちろん白人だし、
助け合う対象はことごとく白人。
ことばの問題もあるからどうしてもそうなるんでしょうが、
あの津波で被災したのは「危険なよその国で災害に巻き込まれちゃった外人観光客」という印象です。
家族とかごく身近な関係の間の「ちっちゃい世界」で交わされる思いやりだったり美談だったりするので、
それはそれでいいんですが、被災者のほとんどは現地の人達ですからねぇ~
たとえば、仙台や松島にたまたま来ていて、津波から奇跡的に助かった外国人観光客だってきっといたでしょうが、
彼らの「家族愛」の映画がもし日本で公開されたら、ヒンシュクかうこと必至と思います。
そういえば、最初の飛行機のなかでの小さな夫婦の口げんかのシーン。
ちゃんと鍵をかけて防犯センサーもつけたという妻にいやいや忘れているという夫。
しばらく言い争った挙句
「じゃあ今頃は悪党に自宅は乗っ取られている」とかいって笑って仲直り・・・
自宅は日本ですよ。そんなセンサー忘れたくらいで空き巣が居すわらないと思うけどね~
日本人としてはなんかいや~な感じっ・・・
「インポッシブル」の原題も「The Impossible」ですから、キーワードのように聞こえますが、
この言葉が使われたのは一か所だけ。
ひとりで星空を見上げるルーカスに白人老女(ジェラルディンチャップリン)が寄り添い、
「今あなたがみている星の中にはすでに消滅している星もあって、
その最後の輝きが今届いているのよ」
「死んだ星と生きている星はどうやって見分けるの」
「それはインポッシブルね」
という会話がありました。
「家族が生きているか死んでいるかはわからないのだから、最後まで希望をもって探せ」
ということなんでしょうか?
このメッセージは、いまなお行方不明の家族をさがしている被災者の方たちの気持ちを癒すのか?逆なでするのか?
私は後者のような気がしてなりません。
もちろん公開を「自粛」する必要は全くないですけどね。