映画「世界にひとつのプレイブック」 平成25年2月21日公開 ★★★★☆

原作本「世界にひとつのプレイブック」 マシュー・クイック 集英社文庫 ★★★★☆


読んで♪観て♪

妻の浮気が原因で心のバランスを崩し、すべてを失ったパット(ブラッドリー・クーパー)は、

実家で両親と暮らしながら、社会復帰を目指してリハビリをしている。

そんなとき、近所に住むティファニー(ジェニファー・ローレンス)と出会う。

ティファニーは愛らしい姿からは想像もつかない過激な発言と突飛な行動を繰り出し、パットを翻弄する。

実は彼女も、夫を事故で亡くし、心に傷を負っていた。

立ち直るためにダンスコンテストへの出場を決意したティファニーは、パットを強引にパートナーに任命する。

こうして、2人の人生の希望を取り戻す挑戦が始まった……。 (GOO映画)


↑ブラッドリー着用の黒いポンチョ?は実はなんとゴミ袋です!

妻の浮気にキレて暴力沙汰を起こし精神病院送りになったパット。

8か月の入院の後母の尽力で「早すぎる退院」をした彼は

薬に頼らず、本を読んで肉体を鍛えれば躁鬱を乗り切れると信じ込み、

連日ゴミ袋かぶって走ってるわけです。

「より高くが今後のモットーだ!」

時間をかけて調和や自制心を取り戻し、そして愛を手にすることができる・・・


妻はすでに家を売り彼女の写真は外され、半径150mの接見禁止まで宣告されているのに

まだ愛する妻のニッキを忘れられず、かならずヨリが戻ると信じているから

周囲は心配でたまらない。


浮気現場で聞いた「マイ・シェリー・アモール」がかかるといきなりスイッチが入ってぶちキレたり、

「武器よさらば」の結末に納得いかなかったり、探し物がないだけで夜中に大騒ぎ。

通報続出、パトカー出動、という大騒ぎになることもしばしば。


この辺まではドタバタホームコメディみたいなんですが、

イカレてるのはパットだけでなく大事なお金をすぐ賭け事に使ってしまう父や

ひたすら過保護な母、地元のフットボールチームイーグルス依存症の友人たち・・・

そしてパットの前に登場したのは、親友トミーの義妹で、最近夫を事故で亡くしたティファニー。


リチウム・・・セロクエル・・・クロノピン・・・トラゾドン・・・ザナックス・・・・

太ったり、ぼうっとしたり・・・

抗鬱薬の副作用で意気投合したふたりは、お互いに愛する者を失い

精神バランスを崩していることを知って、一緒に協力し合うことになりますが、

このティファニーがかなりエキセントリックな女性。

「貞淑なアバズレ未亡人」と自嘲して尻軽な過去を受け入れながらも

踏み出す一歩に迷っている・・

冷静な判断をしたと思ったらいきなりの暴力・・

このふたり、「似たもの同士」でありながら自分のほうが正しいと思ってるし

罵り合っている時間のほうが長いのですが、

再生のために投入したアイテムが「社交ダンス」というロマンチックなもの。

まったくの素人のパットがそんなにすぐ上達するわけもないのですが、

ダンスの大会にでることが決定。

そしてその審査結果までもを賭けの対象にしてしまうパットの父。


ラストはまるでウリナリの「芸能人社交ダンス部」なんですが、

ご都合主義の奇跡のパーフェクト演技というわけでもなく、

「そこそこ頑張った」感がまたこの映画っぽいですね。


病気を「乗り越える」のか「受け入れる」のか

言葉にするのは簡単ですが、

本人を含め周囲の対応の難しさに共感できます。

なぐさめ、叱り、忠告し、抱きしめ・・・

ともかく誰もがパットを愛しているのに

それが直に伝わらないことがもどかしいのです。

元妻のニッキの「愛しているが今後はかかわらないで」という

パットへの微妙なニュアンスの手紙も、その真意が彼に伝わるのは時間がかかりますね。


円満な家庭と自慢のマイホームをもち、登場人物の中で一番まともにみえるパットの親友トミーは

実は

「仕事にも妻にもストレスだらけ。

好きな音楽をガンガン鳴らしながら、壁に頭をぶつけて耐えている」

といいます。

彼もまた実は躁鬱予備軍なのかもしれません。



読んで♪観て♪


ところで、原作の小説は

2008年に元国語教師のマシュー・クイックが書き上げた小説。

国語教師だけあって「武器よさらば」のほかにも

「ハックルベリーフィン」とか「ライ麦畑でつかまえて」とか小説のストーリーが絡んできますが

映画では(相関図も含めて)けっこうあっさりまとめていました。

登場人物も兄弟関係が逆だったり・・・

ティファニーを妹にしたのは、ジェニファー・ローレンスの年齢からでしょうかね?

本を読んだときは、「プレイブック→脚本」と思ったのですが、

「アメフトのフォーメーションを書いた戦略本」とのこと。

でもそれにだってすべてに適応できるわけじゃなし。

人生はひとりひとりが悩み傷つきながら書き上げる「たったひとつのプレイブック」なのでしょう。


この作品もアカデミー賞「脚色賞」ノミネートでした。

それをふまえてもう一度本を読んでみようと思います。