映画 「パレルモ・シューティング」 平成23年9月3日公開 ★★★★☆


読んで♪観て♪

世界的に有名なカメラマンのフィン(カンピーノ)は

ドイツのデュッセルドルフを中心に活動していた。

だが、その輝かしい経歴とは裏腹に彼はほとんど眠ることもできず、

短い眠りをむさぼってはいつも死にまつわる悪夢にうなされていた。

ある日、運転しながら風景写真を撮っていたフィンは、ある男性の姿をとらえ……。

                                       (シネマ・トゥデイ)


デュッセルドルフで活動するカメラマン、フィンは、

撮った写真に大胆にデジタル加工を施し、アート作品にする手法で評価をされています。

カメラマンというより、アートディレクターというのがふさわしいような。

彼は多忙で充実した仕事環境にありながら、不眠と悪夢に悩まされる日々でした。

ミラ・ジョヴォヴィッチのモード写真を撮ったある日、

意外にも彼女から撮り直しを求められます。

小道具や奇抜なセットなしに、現実的に撮ってほしい」


そして夢から啓示をうけた、イタリアのパレルモで撮影の仕事を終え、

一人そこにとどまることにするのですが・・・


アンティークの光学一眼レフとデジタルカメラを持って、

パレルモの街を撮影するフィンの前に、

矢をつがえた死神が現れ、放たれた矢はフィンを一撃します・・・・・



しなやかなスリムな体にほどこされた一面のタトゥー。

甘さの全くない苦み走った面構え。

立て続けに繰り出される切り取られた瞬間の映像に

アートな難解な作品の印象があったのですが、

前半は、悩める主人公の前に広がるパレルモの異次元空間を

ロードムービーのように楽しめましたし、

後半で、デニス・ホッパー扮する死神との対峙があるのですが、

こちらも、哲学的な内容を

まるで「お話のうまい校長先生」のように、かみ砕いて話してくれるので、

予想してたような難しい作品ではなかったです。



光学カメラのネガは、人生・光の反対面を表しますが、

自由に加工できるデジカメは、実在を保障せず、真実を撮っているとは言い難い、

というんですね。

これは死神の言葉を借りた、製作者の主張でもあるわけですが、

この作品も、(最終的にデジタル化するものの)

すべてフィルムを使って撮影したそうです。


光学カメラは光をあててしまうとおしまいですが、

デジタルは水に弱い。

冒頭で、プールでカナヅチであることを嘆く「かっこ悪いフィン」が登場しますが、

これが伏線なのか、パレルモの港で、矢に撃たれたフィンは

カメラもろとも海の底へと沈んでしまいます。

死神の姿をとらえた、かもしれない映像は、もろくも失われてしまうわけです。


かの地で知り合った絵画修復士のフラヴィアもまた、

「死」に取りつかれた悲しい過去をもつ女性で、

はた目には「異常行動」ともとれる、見知らぬ旅行者を信じ、守ってくれます。

「神・愛・命

私は見えないものを信じるの」


しばしば登場してはフィンを悩ます死神がついに彼の前に姿を現します。


「私は生の終わりを伝達するもの」

「友人、案内人、時の管理人である」


「君の名はすぐに死者の書に載る」

といわれ逃れようとするフィン。


「ここに出口はない。私が出口なのだ」

「私は君の中にある」


そして

「醜い死神は君たちの思い込み。

私の本当の肖像を撮れ」


といって光のなかに消えていきます。


生の象徴に、30kg太ったという臨月のミラ・ジョヴォヴィッチ、

死の象徴に、死期のせまった頬のこけたデニスホッパー、という

それ以上の説明が何もいらないようなキャスティング。


デジタル全盛の映画界に一矢を放った作品なんでしょうけど、

このぜいたくなキャスティングでは「特殊メイク」さえ必要ないですね。