映画「16歳の合衆国」 平背16年8月7日公開 ★★★★☆
16歳の少年リーランド(ライアン・ゴズリング)は恋人ベッキー(ジェナ・マローン)の
知的障害を持つ弟を刺し殺し、逮捕されて少年院へ。
動機を語ろうとしないリーランドだったが、施設の教官パール(ドン・チードル)に心を開き始める。
(シネマトゥデイ)
静謐な殺し屋、選挙参謀、モテモテプレイボーイ、DV夫にハゲ散らかしたダメ亭主・・・
最近のライアン・ゴズリングの演じる役柄の広さには驚きますが、
彼の出発点はこういうナイーヴな少年なんでしょうね。
とはいえ、この映画の主人公リーランドは、恋人の弟を殺したれっきとした殺人犯です。
虫一匹も殺せないような優しげな少年がなぜこんな恐ろしい犯罪を・・・?
リーランドの父は高名な作家。
彼は息子に直接手を触れることなく、外国から航空券をおくりつけて
「あちこち出かけて経験を積むチャンス」を与える以外には父親らしいことをしてきませんでした。
それはそれで「あり」だと思いますが、息子が孤独を感じていたのも事実。
両親がヤク中のギャング、みたいな劣悪の環境よりはましでしょうけど・・
16歳という年齢は大人から見たらとるにたりない子どもでしょうけど、
自分が16歳の時はどうだったかというと、
学校の授業や本で読んだ知識はグイグイ身について、難なく口で大人を負かせたし、
まわりの大人を多分批判的に見ていたように思います。
長く生きてるだけで物を知らない大人とか
バレてないと思って平気で悪いことをする大人とか軽蔑していたし、
大人の嘘も子どもには秘密の親たちの「大人の事情」なんかも察していたし・・
リーランドは担当教官のパールが
自分に取材したことを小説の題材にしようとしてる下心もわかっていたし、
恋人がいながら浮気をしていることとか、院内の規則に無頓着な事とか
パールの愚かさを承知の上で、それでも対等に話できる、唯一の存在だったから
ようやく彼に心を開く事ができたのでしょう。
アンドリュー・ガーフィールドの出世作「BOY A 」は、罪を犯した少年の再生の物語でしたけれど、
「どこから見てもやりそうもない白人のガキが
なんでこんなヤバイことをやらかしたか?」
一方こちらは彼の生い立ちや環境を検証しながら犯罪の理由に迫ろうとした作品なんですけど、
「なんの罪もない無抵抗な障害者の少年を殺す」というのは
どんな理由があってもどんな言いわけをしてもどうにもならないことです。
この社会の閉塞感に押しつぶされる子どもたちの魂の叫び・・とかいわれてもそれはちょっとね。
事件の瞬間がないから、ホントに彼がやったのか証拠もないし、
なんだか夢物語みたいな描かれ方なんですが、これはフェアじゃないかな?
被害者側のポラード家にしても
麻薬中毒の前歴のある女子高生ベッキーに
親を失ってポラード家に同居している姉の恋人アレン。
他人の家で「良いカレシ」を演じ続けている彼だってまだティーンエイジャー。
彼もまたある日突然に「凶悪な加害者」に変貌してしまいます。
本や疑似経験で知識はあっても現実の人生は生きられない。
達観してる風に見えても、覚悟なんてできてなくて、
「大丈夫、何も心配はないよ」
と耳元で囁いて欲しいんでしょう。
知識と知恵のアンバランスを乗り切ってみんな大人になっていくんだろうな。
全体的にすっきり感ないですし、だから何?って感じなんですが、
忘れかけていたティーンエイジャーの自分に戻れた気がします。
公開時のビッグネームは父親役のケヴィン・スペーシーとドン・チードルくらいかもしれませんが、
ライアンはじめベッキーの姉のミシェル・ウィリアムズとか不良役のマイケル・ペーニャとか
今見るとオールスターキャストの印象です。
ビッグになる人はやっぱり存在感ありますね~