映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」 平成24年1月21日公開 ★★★★☆



読んで♪観て♪

昭和39年、日本中が高度経済成長と東京オリンピックに沸く中、

東京・夕日町三丁目はいつものように住民たちが和気あいあいと暮らしていた。

小説家の茶川(吉岡秀隆)は間もなく新しい家族を迎えようとしており、

鈴木オートの則文(堤真一)も事業を軌道に乗せ、三丁目中が活気にあふれていた。

しかし、そんな中転機を迎える人もいて……。  (シネマ・トゥデイ)


三作目で今や国民的映画みたいになってきた「三丁目の夕日」ですが、

たしか、一作目は公開当初、それほど話題にもなってなかったように思います。


昭和のテレビドラマのチープなセットみたいな路地を一歩抜けると、

そこはダットサンやミゼットやボンネットバスや都電が行き交う大通り。

正面には工事中の東京タワー。

ゴムをいっぱいに巻いたおもちゃの飛行機が空に向かってどこまでも飛んでいく・・・・


最初に映画館で観たときの衝撃は今でも忘れられません。

時空を超えて、昭和30年代の東京の下町にすっぽりとタイムスリップしたかのようです。

最新鋭のVFXをこんなユルイホームコメディに使うという意外性は

原作コミックののファンにも、私の様な原作知らない人にも受け入れられて、映画は大ヒット。

1年後には続編もつくられました。


そして続編から5年後、昭和39年といえば、東京オリンピックです。

公開時期もリアルにほぼ5年後で、子役たちもそれぞれ成長し、

赤いほっぺの六ちゃんもすっかりきれいになって、恋をするお年頃。


今回は原作コミックを離れて、オリジナルのストーリーということですが、

あの時代が多少なりとも分かる世代にはほぼ予想できる展開です。

それでもなお面白く感じられるのは、すべてオリジナルメンバーで

なんか、昔知っていた近所の子どもたちに久しぶりに再会したような高揚感からかな?


前作を見てない夫は、喧嘩っぱやい鈴木オートや、あまりに痛すぎる茶川のキャラ設定。

それに芥川龍之介や吉行淳之介のパクリの名前があざとくてイヤ、といってましたが、

それは原作コミックありきの世界ですからねぇ・・・

むしろコミックでは男の子だった六ちゃんを掘北真希にしちゃったのがけっこう非難されてましたが、

今回は「女の子で良かった~」と心から思いましたよ。


1作目と2作目は時間もたっていないし、ホントに「続編」という感じでしたが、

さすがに5年たつと日本の国自体がけっこう変わっているように思います。

昭和30年代初めのほうは、戦争が終わって10年ちょっとですから、

お父さんたちはほとんどみんな戦地帰りだったし、

東京に住んでいた人たちは空襲も体験していたでしょうし、

苦しい記憶、悲しい記憶を胸に、やみくもにガンパル時代でした。


「一面の焼け野原だったところにだんだんビルヂングができて

日本もすっかり豊かになって、

そして今度は なんとオリンピックだ!」


94もの国が参加する世紀の祭典。

アジア初の代イベントが東京で開催されることを、日本人は全員、

ホントに誇りに思っていましたからね。

世界の中で日本も「ちょっといい感じかも?」っていえるところまできました。


でもみんなが上を目指している時代に、

違う道を行こうと言う考えを持つ人があらわれたのもこの時代。

このあたりのことを「六ちゃんの恋」にからめて伝えようとしているのかな?


彼女は「口減らし」のために青森から集団就職で鈴木オートにやってきた女の子。

15歳で来たから20歳くらいでしょうか。

仕事も覚え大人になった六ちゃんが片想いしているのは凡天堂病院の医師キクチ。

彼はなにかと評判悪いのですが、六ちゃんのやけどの治療のときにいったことば

「やけどもしみもしわも、一生懸命生きている人の証だから美しいのです」

・・・というのが忘れられず、

六ちゃんだけは「悪い人のわけがない」とキクチを信じています。


そして次第にキクチの人となりが明かされてくるのですが、

あのタクマ先生のことば


「なりふり構わず出世したいとみんなが上を目指している時代に得難い若者です」

そして

「幸せってなんでしょうなぁ~」



そしてもうひとり、血のつながりのない家庭で成長し、今旅立とうとしている若者。

茶川の家に住む、親に捨てられた淳之介(須賀謙太)です。

自分を育ててくれた茶川には心から感謝しているものの、小説を書く事はやめられない。

いい大学に入っていい会社に就職することこそが、「幸せへの最短距離」

と思っている茶川に逆らってでも小説家になりたい淳之介です。

「ぼく、おじちゃんの気持ち全部わかっていますから」

「それでも僕から書くことを奪わないでください」


貧しさゆえに子どもを自分の手で育てられない親、というのは今より多分多かったでしょう。

それでも子どもらはなんとか生き抜き、自分の力で生活する道を選び、

自分の考える幸せに向かってはばたいていったんだなぁ・・・・


一方で鈴木オートの一人息子、一平(小清水一揮)みたいなモラトリアムな若者も多かったんでしょうね。

エレキが流行れば夢中になり、「鈴木オートの後継ぎはゴメンだけれど、

カーデザイナーはもてそうだなぁ・・・」なんて。

一平たちの世代は今だと60歳すぎくらい。

親たちの世代になると90歳近くなるのでしょうか。


ああ、昭和も遠くなっていきますね。


最後に一平のお母さんトモエ(薬師丸ひろ子)の台詞を。


「(ホントに大変な時代だったけれど)一緒にいたい人がいるのって幸せ」

「今度は六ちゃんたちが新しい家庭を築く番よ」

「覚悟を決めましょ!お父さん!」


幸せのかたちはみんな同じではないけれど、

人のことを思う愛の気持ちを次の世代に伝えていきたいなぁ、と

お年頃の娘をもつ身にはとても温かく響いたトモエの言葉でした。


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