映画「クラッシュ」 平成18年2月11日公開 ★★★★★
ロサンゼルス。ハイウェイで一件の自動車事故が起きた。
日常的に起きる事故。
しかしその“衝突”の向こうには、誰もが抱える“感情”の爆発が待っていた。
ペルシャ人の雑貨店主人は護身用の銃を購入し、
アフリカ系黒人の若い2人は白人夫婦の車を強奪。
人種差別主義者の白人警官は、裕福な黒人夫婦の車を止めていた。
階層も人種も違う彼らがぶつかり合ったとき、悲しみと憎しみが生まれる。
その先に、あたたかい涙はあるのだろうか。 (GOO映画)
2006年3月。
その年のアカデミー賞は、「ブロークバックマウンテン」が有力、
というおおかたの予想を裏切って、
「クラッシュ」が作品賞と脚本賞を受賞。
私が映画にちょっと興味がわいてきた頃だったのですが、
「人種差別(クラッシュ)がゲイ(ブロークバック・・・)に勝った」
みたいな報道をきいて、
賞をとるような映画はただ面白いだけじゃダメなんだぁ~と。
ちょっと自分には難しすぎると思いこんで
4年間放置していました。
「クラッシュ」とは、車が衝突するアレですね。
クリスマスも近いある日、LAで、一つの交通事故がおきます。
その事故の36時間前からさかのぼって、
この事故に間接的に関係する何人もの人たちの日常が描かれ、
彼らをとりまく、差別や偏見、憎悪・・・・心の裏に隠された心理を
残酷なまでにあぶりだしていきます。
とにかく、計算されつくした「群像劇」です。
主人公はひとりではありません。
覚えているだけでも(役名はわすれたのでキャスト名で・・・)
マット・ディロンの白人警官。人種差別主義者で、父の介護をひとりでやっている。
彼の相棒で、彼の人種差別が我慢ならないアイリッシュ系(?)の部下。
ドンチードルの黒人刑事は、薬物中毒の母とチンピラの弟がいる。
彼のパートナーであり恋人の女性刑事はヒスパニック。
ブレンダン・フレーザーの検事は、自分の社会的地位が傷つくのが一番心配。
彼の妻のサンドラ・ブロックは恵まれた生活をしているのに、不満たらたら。
テレンス・ハワードの黒人演出家は、成功して高級住宅街に住んでいる。
彼の妻は自分にセクハラしたあげくお詫びの一言もない警官
(マット・ディロン)と夫に憤慨。
ペルシャ系の商店主は、アラブ人と勘違いされて反感をかっているのに腹をたて
護身用のピストルを購入、
鍵屋を逆恨みして放った銃弾は
父親をかばう幼い娘に当たる(↑の画像)
その鍵屋のマイケルベーニャは、タトゥーを入れた黒人だけれど
真面目な仕事人で娘を愛する家庭人。
アメリカの社会の中では、様々な人種の人たちが
混じり合いながら問題なく共存していると思っていたけれど
差別意識をすぐに口にだすひとも、出さない人も
それぞれの本音を爆発させる場面が何回も出てきます。
口汚くののしる、耳をふさぎたくなるシーンもあるけれど
これがアメリカの実態なのかと思うと悲しくなります。
自分たちは全ての白人に差別されている、と思いこんでいる
黒人の若者は、アジア系の人間は自分たちより下だと信じているし、
差別する方はメキシコ人とプエルトリコ人のちがいも
ペルシャ人とアラブ人の見分けもつかないのに
差別される側からすると、それは大変な問題だったり・・・
ちょっと前まで(今もそうかな?)
日本の学校での「人権教育」がとっても盛んで
特に同和問題の絡んだ地域での
徹底ぶりは尋常じゃない・・・
と個人的には辟易していたのだけれど、
とにかく自分の心の中にある
「差別の芽をつぶせ」というんですね。
私は「人に不愉快な思いをさせなければ
心の中ではなにを考えていようと
自由じゃん!」
と思ってたのですが、
そんなこと口に出したら袋叩き・・・されそう。
この映画の中では、
差別心は誰の心にもあるものだけれど、
無知や偏見によるものだったら、
それは「謝って済むことだ」といってるように思いました。
仕事で成功している黒人とか
白人の部下を持つ黒人とかって
アメリカでは珍しくないのだけれど
彼らの顔にはださない屈辱感とか、
有色人種だというだけで
信用することができない白人がいることも事実。
アフリカ系の大統領が誕生する時代でも
解決できない問題なのですが、
それを群像劇の形で徹底的にみせてくれる映画って
やっぱり珍しいのでしょうか。
映画の中では台詞のある日本人がでてこなかったので
ちょっと客観的に見られたのですが、
きっと「日本人のランク」みたいなのもあるんでしょうか・・・
もうひとつ、日本人としては
「誰もが簡単に銃をもてる社会」というのは
どうしても受け入れられないです。
「ショッキング度」はこちらのほうが高いかも。
銃で脅されたり殺されたりが日常茶飯事
では、安心して生活できません。
日本の未来はこうであって欲しくないです。
「天使の透明マント」のエピソードは
銃社会ならでは、で、
あの可愛い女の子の純真な心に涙し、
よく考えたら、銃に空砲をしこんだ
父を殺人者にしたくないという、
ペルシャ人の方の娘の愛にもうるうる・・・
という、つくりもののお話としては
ものすごく完璧な出来でした。
作品賞、脚本賞、
あらためて納得、ですが、
あの社会の渦中にいるアメリカ人は
この作品をどうみているのかが気になるところです。