映画 「パリ20区、僕たちの教室」  平成22年6月12日公開  ★★★☆☆

原作本 「教室へ」 フランソワ・ベゴドー 早川書房



読んで♪観て♪


移民が多く暮らすパリ20区の公立中学校。

正しい国語を身につけさせることこそ生徒たちの将来の幸福につながると

信念を持つフランス語教師のフランソワだったが、

様々な出身国を持つ24人の生徒たちが混じり合う新学期の教室で、

思いがけない反発や質問に翻弄されてしまう。

去年は素直だったクンバは反抗的な態度で教科書の朗読さえ拒否する始末だ。

また、自己紹介文を書かせる課題が大きな波紋を巻き起す。
                                   [ GOO映画 ]


去年のカンヌのパルムドール受賞作。

岩波ホールで見逃していたのですが、運よく武蔵野館で間に合いました。


パリ20区というのは、セーヌ河北東部の下町。

さまざまな人種の人たちが住んでいる地域。

そこの公立中学4年3組のクラス。


もうここまで聞いたら、

「学級崩壊」とか「校内暴力」とか「いじめ」とかのネガティブな単語が

思わずうかんでしまいますが、

たしかにこは、教師泣かせの、その手の学校です。

(ただ、陰湿ないじめとか、モンスターペアレントとかないないので、

ある意味、日本よりマシかも・・・とちょっと思いましたが。)


始業ベルから15分は騒がしくて授業がはじまらず、

教師のことばに集中している子はわずか。

まったく聞いていなかったり、言葉じりをとらえて反論する子。

下品なヤジをとばす子。


「クズで無知なガキどものくせに

教えようとすると無視する。」

「三歳児以下の集中力だ」

「クソみたいな人生を送るがいいさ、

それがお似合いだ」


教師は教師で、職員室で同僚相手に悪態をつくことで

ようやく精神をたもっているような状況。

けっこう深刻です。



一方、国語教師のフランソワは、生徒のふざけた発言も無視することなく

ひとつひとつ掬い取りながら授業を進める、ひたむきな先生。


子ども達に共通しているのは14~15歳と言う年齢だけで、

人種も国籍も肌の色も教育レベルも将来の夢もちがった24人。

この24人がすべて素人の子ども達で、しかもドキュメンタリーではなく、

用意された脚本に基づいた「演技」であることには

ただただ驚きます。

よくある学級崩壊ドラマとかヤンキー映画のわざとらしさは少しもなく、

ものすごいライブ感。

聖人君子でもなく熱血漢でもない、普通の先生のしゃべり、

それに対する24通りのリアクション。

せまい教室の中の、たかだか15年しか生きてない子ども達だけれど、

ここには世間のいろんなものがギュッと詰まっているような感じさえします。


その「まるでドキュメンタリーみたい」

というのがこの作品の高評価の要因なのですが、

じゃあ、ドキュメンタリーだったらどうなの?

って話ですよね?


私の一番好きなテレビ番組(でもほとんど放送がない)

フジテレビの「ザ・ノンフィクション」だったら、

もっともっと心に突き刺さるようなの、何回も見たぞ~!



だって、フィクションだったら、もっと完成度の高いストーリーがあってもいいし、

「一年を追った」といいながら、なにひとつ進展していなのが悲しい。

自己紹介文を書かせて冊子にするのに何週間(何ヶ月?)もかかるのだったら、

生徒達が達成感をもてなくても仕方ないです。



なんとか言葉が理解できる程度の中国出身のウェイとか、

スラングしかしゃべれないカリブやアルジェリアやマリ出身の生徒たち、

彼らを相手に

ひとりの教師が同時にフランス語(国語)を教えるのだから、

まともに教科書は進められないし、しかたないのかなぁ~



フランソワのことばにいちいち上げ足をとる女生徒に対して

うっかり使った「ペタス」ということば。

彼は「行儀の悪い」という意味で使ったと言うのですが

「娼婦」という意味もあるらしく、これが大問題となります。


フランス語わからないので、日本語に置き換えたらどうなるのかな?・・・


売女? 男たらし? ヤリマン? ズベ公? 淫売?

         マズイ・・・私、こういう言葉の語彙力ありすぎ。



それがきっかけでスレイマンの暴力事件がおき、退学処分という最悪の結果に。


私はフランソワの失言は「ペタス」ではなくて、

「スレイマンは、懲罰を与えたところで(能力が無いから)

良くなる可能性がない」

というような発言で、

これを間接的にきいたスレイマンがショックを受けた・・

と理解していたのですが、

これ、違っていますか??    まあ、それはそれとして・・・



ひとりひとりに向き合ったら、みんないいところを持った子ども達で

問題児といわれる子にだってそれなりの背景があるのでしょう。

自分の問題行動をフランス語のわからない母に通訳するスレイマン、

前の学校を退学させられて転向してきたマランが

身を挺して喧嘩の仲裁にはいるところなんて、涙がでそうでした。


他にも、態度は良くても授業についていけない子もいるし

逆にもっとレベルの高い授業を望む子どもだっています。

普通の教師が24人相手に大立ち回り、というのは・・・無理?

無理でもやらなきゃならないのが学校です。


そしてなにかの拍子で「事件」になってしまうと、

学校の規定があり、懲罰委員会があり、

所定の手続きを経て、粛々と処分が決まっていくのです。

それがいい結果だろうと、悪い結果だろうと。


ともかく空しく一年が過ぎ、けっしてハッピーエンドではないのですが、

バスケに興じる彼らの無邪気な笑顔、

教室にとりのこされた、あちこちに散らばった椅子、

倒れている椅子・・・・

ああ、これがノンフィクションの上をいく

「計算しつくされた」今の学校の映画なのでしょうか。