映画 「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ」平成21年10月10日公開 ★★★★☆
原作本 「ヴィヨンの妻」太宰治 新潮文庫


読んで♪観て♪

戦後の混乱期、酒飲みで多額の借金をし浮気を繰り返す小説家・大谷(浅野忠信)の妻・
佐知(松たか子)は、夫が踏み倒した酒代を肩代わりするため飲み屋で働くことに。
生き生きと働く佐知の明るさが評判となって店は繁盛し、
やがて彼女に好意を寄せる男も現れ佐知の心は揺れる。
そんな中、大谷は親しくしていたバーの女と姿を消してしまい……。
                    (シネマトゥデイ)

私が太宰治をいちばん読んだのは、小学校高学年から中学にかけて。
というと、早熟な子どもに聞こえますが、そうではなくて、
ただの乱読、というか、活字中毒で、
「今週は図書室のこの段のここからここまで」みたいな感じで
恐ろしいペースで読み散らかしておりました。

その後は高校の教科書とか、受験対策で少々。
あ、最近ベストセラーになった、斉藤孝「若いうちに読みたい太宰治」の中に
「ヴィヨンの妻」ありましたね。

その程度で、我が家には太宰の本、多分一冊もないので、
ほぼ子どものときの記憶しかないのですが、
意味はわからずとも、エピソードの端々は記憶のどこかに残っていて、
映画をみるとつぎつぎに思い出してくるのにビックリ!

「二重まわし」の意味がわからなくて、おばあちゃんに聞いたら
「とんびのことだよ」といわれて、またわからなくなり、
母に聞いたら、「男性が和服の上に着るマントみたいなコート」
だとわかったこととか、そんなことまで思い出しました。

映画の冒頭、「鉄の輪が逆戻りすると地獄に落ちる」
という回想シーンが入るのですが、
これは、明らかにヴィヨンのエピソードではありません。

あ、これって、「太宰治チャンチャカチャン」みたいに
いろんな短編がごちゃごちゃ挿入されるんだぁ~!
と思ったら、急にテンションが上がってしまいました~


大谷が飲み代を踏み倒し、妻の佐知がその借金を背負うところからは
ほぼ原作通りなのですが、
(岡田との関係はちょっと違っていましたが)
1時間くらいで「ヴィヨンの妻」ほぼ終了。
後半のクライマックスともいえる「心中事件の顛末」は
ほかの作品からの借用ですよね。
つぎはぎしながらストーリーは進み、
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
の佐知のせりふでまたヴィヨンに戻ってきました~


鉄の輪が逆回りすると地獄に落ちる・・・・・「思い出」
タンポポ一輪のやさしさ・・・・・・・・・・・「二十世紀旗手」
背骨の中で小さなこおろぎが鳴いている・・・・「きりぎりす」
桜桃を子どもに食べさせずに親が食べてしまう・・・「桜桃」
万引して、私をろうやにいれてはなりません・・・・「灯篭」
そして、水上温泉での心中事件は・・・・・・・「姥捨」

題名はキイワードをいれて、あとからネットで調べたのですが、
弁護士の辻とのエピソードや、
赤い口紅をつけるところも、きっとどこかにあるのでしょうね。

たしかに「ヴィヨンの妻」本編だけではとっても2時間もたないでしょうが、
いろいろ寄せ集めて「太宰治ワールド」とくりひろげるのって、どうなんでしょう??

文学者としてはOKでも、家庭人としては零点のどうしようもない夫と
最後まで夫を見放さず、献身的につくす妻。
私が子どもの頃はこれに近い夫婦って、たまにいたから
そんなにビックリしなかったんですね。
確かに救いようがないけど、暴力を振るうわけでもないし、
夫の才能に惚れていたかもしれないし、
この人を救えるのは世界中で自分だけ。
という確固たる自信があったのでしょう。

太宰作品は私はけっして好きでもないから
(だから家に一冊もない)
あんまり興味ないのですが、
ここから何か教訓を得ようとか、
恋のテキストにしようというのは、
ないと思います。

斉藤先生のいう「若い人」というのが
何歳くらいなのかはわからないけど、
オススメするような内容かな?
私はもっと小さい時に読んだから、
男女の機微なんて、わかるはずもなかったんだけど、
すくなくとも、人間に対する守備範囲は広くなったかもしれないです。
とすると、太宰治は小学生向け??


母親になってからまた読むと(ってほとんど読んでないのですが)
あまりに子どもの存在が薄いのが
気になってしかたありません。
太宰作品にでてくる子どもって、発育不全だったり、
知能が遅れていたり、どこかに障害があったり、
にもかかわらず、
たっぷり愛情を受けて育っていないような気がして・・・
子どもに対して、スゴク冷たいんだよなぁ~

夫がどんなにめちゃくちゃでも、子どもを守るために
女は強くなる、というのなら共感できるのですが
(でもそれじゃあまりに普通ですが)
佐和は母親のブブンがあまりにうすく、
同じ母親としては納得できません。
これは個人的は「考え」なので、
映画のできとは関係ないですが・・・

で、また、「寄せ集め」のことに戻りますが、
万引き現場から救ってくれた、
という夫との「出会い」は、ちょっとしっくりこなかったし、
ほかの女と心中するというのもちょっとやりすぎ・・・

服と靴と帽子をおなじブランドで統一したらいいってもんじゃないですよね。
私はクイズ感覚で、個人的にはとっても楽しめたのだけど、
ちょっと整合性に書けるように思います。

大谷はもともと「生きる」欲に欠けた人間で、
自分の命の存在がとっても薄いから、
自分と同様、ほかの人を大切にするという意識の欠如した男です。
・・・というのも、映画化で後付けした主人公の性格でしょうが、
どうしたって、私たちの頭には
太宰本人が山崎富栄と玉川上水で入水自殺したことがはなれず、
自殺未遂→生き恥さらして繰り返す太宰の姿を投影してしまいます。

たまたま小説家という天職にめぐまれたけれど、
いつも死ぬことを考えている大谷。
戦後のこの時期って、日本はすごく貧しかったけれど、
人々は生きるために何でもしたし、生命力の強い時代だったんじゃないかと、
私は勝手に思っているのですが、
こういう屈折した人もいたんですね。

むしろ、生きることにさほど執着しないのは今のこの時代のほうかもしれません。
生活はこんなに豊かになったのにね。
そして佐和みたいな妻ももう消えてしまったのかな。

この映画の中の佐和は、原作の短編よりさらに「肝っ玉の据わった」女性で
脚本もかなり「無茶ブリ」してるように思えてならないのですが、
これをこなせるのは、松たか子くらいでしょうね。

モントリオールで賞をとったのも嬉しいニュース。
(私は「ディアドクター」に獲ってほしかったのですが)
フランソワ・ヴィヨンもフランス人だし、
コキュのエピソードとか、フランス語圏のモントリオールで
受けたのかな?
それとも外国人の眼で「日本の女性」のイメージを松たか子のなかに
見つけたのでしょうか。

2,3年前に映画の世界でも「昭和30年代ブーム」がありましたが、
一連の太宰作品や、「ゼロの焦点」など
20年代が舞台の映画が公開されるのは楽しみです。
さすがに映画だと、セットにかけるお金や技術がすごいので。
物質的には今よりずっと貧しい時代が、
豊かにみえてくるから不思議です。

太宰作品のことは、ほぼ記憶だけで書いているので、
勘違いがあったらすみません。