ノンフィクション -その2- | 冒険手帳のブログ

ノンフィクション -その2-

続き




救助



海に投げ出されて何時間経っただろう? 波間に一瞬白いものが見えた。 

何だろう? その方向から目を離さずに、また現れてくれるのを期待し待った。 


しばらくするとまた見えた。さっきよりはっきりと物体として見えてきた。

何か物体だということが分かり、そしてそれは船のデッキだと分かった。 

私は確信を持って、一点を指差し「ボートだ!」と叫んだ。 それを見たキャプテンのニールセンが「コーストガード!」と叫んだ。 場は一気に希望に変りそれぞれの顔に希望の明るい表情が戻った。 


真っ白な船体はまさにコーストガードの船だった。 波間に消えはするが見失う事はないほどはっきり捉えるまでに近づいた。 ジョンは、ここだ!ここだ!と不安定な場所から立ち上がり波に振り落とされないようジェイソンがそれを支えていた。 皆 笑顔で大騒ぎしていた。 その横で私はまだ助かった訳ではない。喜ぶのはまだ早い。この状況化でどうやってレスキューできるのか?それが気がかりだった。 更には200~300メートル離れているコーストガードが一向にこちらに向かってこないのも不思議だ。 やがてヘリコプターも見えた。 がやはりコーストガードの船から離れようとしない。もしかしたらそこに船の残骸があり、そこがイーパブの発生源だと勘違いして生存者なし。として引き返す という事もありえるのではないか? それほど私たちのいる場所は頼りなく大海の中の米粒に等しかった。 


時間を追う毎に焦りがつのってきた。 立ち上がってヘリの方向を見ていたジョンが「ヘリコプターが何かを引き上げている。」と言った。 誰かが金城さんではないか?と言ったが私には信じられなかった。 やがてヘリコプターが真っ直ぐこちらに向かってやってきた。ヘリコプターの横の扉が開かれレスキュー隊員も確認できた。 確実に私たちの存在を確認したようだった。 

皆 手を振り喜んだ。 突然の衝突から始まった絶望に何にも代えがたい希望の光が差し「助かるかも知れない。」 私はこの時初めて思った。 私たちの周りを何回か旋回した後 風下に回り低空飛行でゆっくり真っ直ぐに向かってきた。 同時にレスキュー隊員がヘリコプターから体を投げ出し、いつでも海に飛び込む構えをしていた。 その姿のかっこ良かった事 映画のワンシーンを見ているようだった。 



ニールセンが「モリサン you have camera?」と叫んだ。 皆 笑った。 

レスキュー隊員がカゴを抱えてワイヤーで降りてきたが大波がレスキュー隊員を飲み込み、さらにウネリが去ると一気にワイヤーが張って衝撃的に吊り上げられた状態となる。それを何度か繰り返し一回目はこうして大波が隊員を翻弄し失敗して上空に舞い上がっていった。

 

ここから、まさに命がけのレスキューが始まった。今度は近くに降り大波でもワイヤーが延びないよう伸ばしてカゴを持って泳いで近づいて来た。 

ささくれ立った木や船釘の中をカゴを抱え大波にもみくちゃにされながら何とか近くまでくる事に成功した。 あと数メートルというところでアンジェラが隊員に向かって飛び込み、やっと隊員とコンタクトに成功し抱えられてカゴに入った。 

隊員は手をぐるぐる回し引き上げの合図を送るが延びたワイヤーはなかなか引き上げられない。 アンジェラと隊員は海中に沈み 大波が去ると衝撃的に宙釣りになった。 何度か繰り返した後 大波は二人に届かなくなり安定しゆっくりと上っていった。 アンジェラのほっとした顔が見えた。 良かった。本当に良かった。


助かったのだ。 ホットすると同時に、このレスキューの後 残り9人 果たして、こんな状態で可能なのだろうか? 隊員の体力はアンジェラのひとりだけでも相当に消耗しているはずだった。 二次災害を恐れレスキューを断念しても仕方のない状況だったと。 諦めずに来てくれ、願うような気持ちでヘリを見ていたら、また同じ角度から低空で近づき降りてきた。 台湾コーストガードの強い意志と勇気がこの二度目の行動で確信できた。 まさに自らの命をさらして事に当たっていた。 何があっても本気で全員助けようとしている。 ヘリそして水中マスクごしの隊員から、「助ける!」 とその強い意志が伝わってきた。 次はカゴを持たずに降りてきた。より身軽に対処するためなのだろう。


コーストガードの船を初めて確認した時 私たちは予めレスキューされる順番を決めていた。 まずはレディーファースト 次にけが人 次は年齢  クルー11人の中に二人の女性がいた。 


アンジャラとネース  

英語 中国語のできない私にいろいろ話しかけてくれる優しさに、ひと時としてじっとできない働き者のアンジェラ  

美味しくもない私の魚料理を誰よりも褒めてくれレシピまで尋ねる優しいネース 彼女の作ったグリーンカレーを航海中私は二度お代わりしたものだった。


レスキュー隊員は一回目と同じ様に10~20mぐらいの所におりて、大波にもみくちゃにされながら少しずつ近づいてきた。3~5メートルあたりでネースが飛び込み予め持ってきたつり輪を体に巻き、同じように衝撃的に宙吊りになっては海に落ちながらも隊員にがっちりとホールドされて引き上げられていった。 カゴより効率的で助けられる側にとっても更には隊員にとっても安全な方法だと思った。 


トムの番だった。  英語 中国語 それに日本語を流暢に使いこなすアメリカの大学教授の肩書きを持つトム  大事な話の時はいつも私の側で通訳してくれた。 私が伝統的な船で航海をする夢を持っている事を知っている船長のニールセンはトムを交えて長い時間いろいろ教えてくれた。 

一向にその場から動こうとしないトムに対して目で合図した。が全く動こうとしない。ぐずぐずしていられない。レスキュー隊員がそばまで来たら直ぐに海に飛び込まなければならない。大波に飲まれ体ごと仰向けになっても全く動かない姿を見て初めてその時 動けない事が分かった。 ライフジャケットを掴み海中から引き上げようとするが重過ぎて引き上げられない。タンに手伝ってもらい何とか引き上げる事ができた。顔をゆがめて「首が痛い! 首が痛い!」とトムが叫んだ。衝突してから初めて聞いたトムの声だった。

タンがその声を聞いて一瞬たじろいだようだった 私はそんな事を気にしている場合ではないと思い非情にも手荒く扱った。 海にトムの体ごと放り出し後をレスキュー隊員に預けた。 


トムがヘリコプターに引き上げられた事で残り7人は比較的元気なメンバー達だった。 


次はジャック、この旅が終わったら沖縄に戻り観光する。と高らかに宣言していた。皆その案に グット アイディアと賛成した。 どうやら内のスタッフを気に入ったらしい。 


4人が引き上げられたところで次は当然船長のニールセンだと思っていたがラズが次はモリサンと私に向けて指を指した。 年齢からするとニールセンではないかと思いニールセンを見ながら貴方の番ではないかと声を掛けた。 すかさずニールセンがモリサン ゴーと船長の威厳を持って指示した。 ここで譲り合っても仕方がない。 私はニールセンの言葉でOK サンキュー と答えた。 6人になった事で体をホールドできる余裕が生まれ、今度は、どんな波が来ても外に投げ出されずにすんだ。 いつ来ても良いように準備を整えていたら4人を乗せたヘリは近くに何かを落として、だんだん離れて見えなくなってしまった。 燃料が少なくなったのだろうか? 落としていったものは、やがて濃い煙が出てきた。 場所を見失わないためのものだったのだろう。ヘリが消えた方向を見ながら、あのヘリが4人を台湾まで運び更に燃料を補給して帰ってくるまで後どのぐらいの時間かかるのだろうか? と漠然と思っていた。


体力は少なくとも数時間は大丈夫だろう。 後はこの残骸がこの形を留めてくれる事を祈るばかりだ。 波間に初めに見た白いコーストガードの船と軍艦らしきボートが遠巻きに状況を見守っているようだった。 またじっと待つしかないと覚悟を決めた頃 遥か上空にいたヘリが降下してきた。色も大きさも違うヘリに、きっとマスコミか何かと思っていたら、やがて、その中からカゴがゆっくりと降りてきた。 今度はレスキュー隊員はいなくカゴだけが降りてきた。これに乗れ という事は理解できたがなかなか、こちらに近づいてくれない。  飛び込むべきか躊躇する私に向かってラズが「ゴー」と大きな手招きで飛び込め!と合図した。 ゴンドラは相変わらず大きく前に行ったり波間に上下し遠く離れたりして落ち着かなかった。 意を決して飛び込み、万が一あのワイヤーに辿り着けなく、ヘリが私を見失ったら?と考えると、その一歩がどうしても踏み切れないでいた。 30メートル以上離れてしまっては恐らく再び、ここへは戻れないだろう。上空から見た私の頭ひとつなんて一瞬でも見失ったら二度と探す事は不可能に違いない。 そんな恐怖が先に立ち、その一歩がなかなかでないでいた。 



ラズがまた「ゴーゴーゴー!」と大きな声で躊躇する私の背中を押してくれた。 ここで躊躇していられない。全ての恐怖を取り払い。 「オーケー!」と大きく叫び 恐怖を置き去りにして遠く離れたゴンドラの見えないワイヤーに向かって思い切って飛び込んだ。あらん限りの力を振り絞りワイヤーめがけて泳いだ。それでもワイヤーは一向に近づいてくれない。ワイヤーと仲間の中間地点で一瞬戻ろうか?と迷った。が、無理だと思った。この波では仲間の場所を見失い戻る事は不可能だと理解した。


私の生きる選択はこの時点でただ一つワイヤーに辿りつくしかない。ワイヤーは前後 左右大きく移動してはいるが上に伸びたワイヤーは私から見失う事はない。 上のヘリがどうか私を見失わないでくれ。と祈りながら必死にワイヤーめがけて泳いだ。 息を止め頭を下げて渾身の力で泳いだ。 苦しくなってそろそろ近くまで来ているのではないかと顔を上げてワイヤーを確認すると、その距離は全く変わっていないようだった。泳ぎながらもなかなか前に進んでいない事は感覚で分かった。着ているものがブレーキとなって思いの外 前進していない。 思い切って泳ぎを止め寝巻き代わりにしていた スエットパンツをその場で脱ぎ捨てた。そしてまた息を止めて更に遠くに離れたワイヤーに向かって泳いだ。そして泳いだ。泳いでいる時間は、ほんの一瞬だったのかも知れない。がこの時間は長くとにかく苦しかった。


恐怖をとりあえず隣に置き去りにして、とにかく今できる事を精一杯やる。 そう決めてはいても恐怖は影のようについてくる。 ワイヤーがやっと手の届くところまで来ていた。 大波にカゴが上下しないよう深く下げたワイヤーが大きく弓なりになっているのが見えた。ヘリは見えなくとも私より大分後ろを飛んでいるな。そんな事も想像していた。 そして大きくひと漕ぎして目いっぱい手を伸ばしワイヤーを掴んだ。 掴んだ瞬間 「これで本当に助かるかも知れない。」大きく深呼吸してそう思った。 


ワイヤーを手繰り寄せ大波が去って一気に加重が掛かってもいいように両手でワイヤーを掴み、足を絡ませた。これでたとえカゴの中に入らなくとも上までは行ける。このまま引き上げて欲しいと思ったが中に入らない事で、いつまでも引き上げてもらえないかも知れない。そう思って足がカゴに掛かったところで振り落とされないよう慎重にカゴの中に向かった。カゴはまだ海の中だったが不安定な空中で入るよりは安全だと思った。 

大きく深呼吸して海中のカゴに入った。 これで数秒後には空中に引き上げてもらえるだろう。水中で両手足はもちろん全身で体を支え踏ん張って一気に海中から出る衝撃に備えた。引き上げると同時にヘリが前進している。カゴが少し傾き、そこから水面が現れた。またいつ大波で水中に沈むか分からないので苦しくは無かったが少し頭を上に向けて深呼吸をした。 


その後カゴは沈む事無く、また衝撃もなく水面を滑るように吊り上げられた。吊り上げられている間 強い風の音を目を閉じ聞いていた。風の音を掻き消すようにヘリの音が大きくなってきて到着が間近なのだと感じた。カゴがヘリに着いた所で体をヘリ側に向けたら、まだ動くな!と手で静止された。カゴごとヘリに引き込まれた。倒れるように床に這い蹲り壁に寄りかかった。 



「助かった!」 何も考えられなかった。 毛布を被ったまま、ただただそこに放心状態で皆が上がってくるのをぼんやりと待った。


間もなくタンが上がってきた。船長のニールセンをサポートし、唯一ニールセンの支持なしで船をこなしている。口数は少ないが頼もしい奴だ。 二人でヘリの中で抱き合った。


続いて上がって来たのは映画俳優のウィルスミスにそっくりなジェイソンだった。ハワイでは銀行員だったという。この船に乗りたいばかりにその職を辞した。 この航海が終わったら中国で仕事を探す。 そんな事を言っていた。 


次に上がってきたのはジョン サワラのズケを造ったらレシピを教えてくれ。と頼まれた。決して美味しいとは言えないものだったが細かなところにも心配りができるヤツだ。 


最後にラズ このアクシデントで最も輝いていた。海に何度となく振り落とされながらも重いイーパブを高々と掲げ続け、ひと時として下げる事はなかった。更に自分以外を最もいい場所に誘導するのも彼だった。終始彼からは悲壮感は全く感じられなかった。私以外は集めたような、いい男の中でも彼は最もハンサムでもあった。 あの状況の中で自ら最後にヘリに乗る。というのも現実を経験したものにとってはすごい事だと思う。 


船長のニールセンは後から来たレスキューボートから救助された。5人を乗せたヘリは台北の空港に下り二台の救急車で運ばれた。 


ジョンとタンそして私が1台の救急車に乗った。 タンが中国語で何か話をしている。救急スタッフは事の状況を理解しているようだった。二人の会話を遮り タンに金城さんの事を聞いてくれと頼んだ。 

そしたら金城さんは助けられたという。 にわかには信じられなくて 日本人は何人か? 全部で何人救助されたのか?矢継ぎ早に質問するが、そのどれものが信じられない朗報だった。 

事故直後から重く心に圧し掛かっていたものが外され、緊張の糸が一気に切れた。 

狭い救急車の中で3人はあらためて強く抱き合った。



                                終わり



追記



病院に運ばれた5人は新しい服を与えられ点滴を受けながら検査を受けた。 

ベッドの中で食事を頂き 飲み物を頂き 果物まで頂いた。 


部屋にはいろいろな人が尋ねてきた。皆 誰に対しても身に余るほどの優しさで接してくれた。  着替え バック 靴 お金 パスポートの申請 ビザの申請 台湾滞在の全食事 宿 ホテル 全てを無償で献身的に尽してくれた台湾の友人に何とお礼を述べたらいいのだろう。 


事故は不幸な事だったが台湾近海で起こった事は私たちにとってとてもラッキーだったと思う。   あらためて関係者に感謝を申し上げたい。 


少し気がかりなのは日本に帰る日にトムのいる病院に見舞いに行けなかった事だ。どうしても事故処理用に書かなければならないものがあり思いのほか時間がかかりギリギリで空港に向かった。そのため見舞う事ができなかった。 

あの手荒く扱った私の行為を一言でも誤りたかった。 トムはそれでもきっと分かってくれると思う。




上記は事故当日病院のベッドの中で書いたものだ。 明確な目的はなかったが、とにかく、まだ記憶がはっきりしている内に書いておこうと思った。 


後からプリンセス タイピン号の関係者から、それぞれ体験した事故の詳細が欲しい。と言われた。殆ど書いた後だったのでちょうど良かった。

沖縄に帰ってから誤字脱字を修正し、これをそのままタイピンゴンズー号の関係者に送る。


事故が起こってから台湾の対応はコーストガードの対応に限らず全てが文句の付けようのない素晴らしいものだった。  出来れば、多くの台湾の人達に、この事を知って頂き自らの国の普段はなかなか見えにくい素晴らしさを再認識してくれればと思う。 それを伝えられるのは全てを経験した11人の乗組員である私達しかいない。 


良くして頂いた台湾の関係者に私なりの感謝の仕方でもある。 

また台湾の関係者に限らず、この内容を日本を始めより多くの人の目にとまって欲しいと願う。 


マスコミを始め台湾は遭難者に対してとても優しい国だった。 

当然と言えば当然の事なのだが、そうとも言えない場面が、この日本ではなんと多い事か、、、、




最後に


退院した日の夜、(と言っても事故当日だが、)面倒を見てくれた台湾の友人が、私にこんな質問をした。 

「これからもセーリングを続けるのか?」 私は「もちろん!」と答えた。 


友人はこんな事が起こると二度と海に出ない人も多い。 と言った。 

これからこの事故が私にどのような影響を与えるのか今は分からない。 

何も変わらないかも知れないし、気づかないところでトラウマがあり後で少なからず影響してくるのかも知れない。 ただ 今 私の心境はお世話になった台湾の友人に対して元気な姿を見せる事なのではないかと思う。  


私がこの船に乗せて欲しいとお願いした時 船長ニールセンの最初の質問が「どうしてこの船に乗りたいのか?」その質問に「私と貴方は規模が違っても伝統的な船で航海をする。その夢は同じなのです。 興味本位で乗りたいのではない。私はこの船で観光するつもりはない!」そう答えた。その気持ちは今も全く変わっていない。 乗せる事を許可したニールセンをはじめ、短かったが旅を共にした仲間 そして台湾の友人に感謝を込めて伝えたい! ありがとう また海で会おう。






それにしてもよく助かったもんだ。 良かった。 良かった。



さーて 今年のサバニ旅は何処にしようかなー 

 

                                 森





事故当時の記事は海想スタッフブログ



またはこちらから

Yahoo台湾


You Tube