2018 サバニレース 追記
追記
レースの前夜、いつも寝言のように「独り言」を言っている。
内容は、
コース、風向、潮、各海況の変化と特徴などの確認。
それを踏まえて私はこういうコースで行こうと、ブツブツと独り言を言っている。
たまたま隣で聞いているチームは当然ながら同じコースを行く必要はないし、たわごとを聞く必要もない。
あくまでも私の「独り言」として、開催している。
そして殆どの場合、残念ながら、こんな筈では? と計画通りに行かないのが常だ。
むしろ日々刻々と変化する海況にあって、机上の計画なんて、あってないようなものだと認識した方がいい。
だが予めより多くの情報を得ることで即応の引き出しは深まる。
そして最も大切なのは、
自然は予測できないし、その変化やイレギュラーを当然と受け止め対応する力だと思う。
今年、たわごとが他のチームに伝わり、話を聞きたいという。
こんな情報共有の話があったら私も是非参加したいところだが、、、
もしかしたら単純な情報共有とて集めていないチームもあるのかも知れないし、
逆にこの程度の情報なのか?とガックリするかも知れない。だとしたらそれすら情報の一つだと思う。
いずれにしても何も隠すことではないので、OKした。
今年、釜の飯を同じくする仲間は、私のチームの他に女海想、長嶺 誠率いるサバ二トリップ、そして西表島から参加のチーム羽(パ二)と4チーム、総勢40人を超える所帯なので、それに加えて一度に集まるには無理がある。ということで、たわごとは8時と10時、2回に分けてつぶやいた。
簡単な情報共有で小難しい話をする訳ではないので20分ほどで終わった。
貴重な時間を割き聞きに来てくれたチームに対して期待は外れに終わらなければ良かったが、、、
このブログを書く動機はこの日のミーティングにある。
各チームはどんな情報を得て、またどんな計画を立てて走っているのか?
内容の良し悪しはさておき興味があるのかも知れない。
たわごとに参加したチームに、レースの計画と経過を可能な限り知らせることで、自らのチームが次に繋げられる計画が立てられのかも知れない。
と
おわり
2018 サバニレース(2)
荒れる海況にアウトリガーは突っ込み、その度にサバ二が左右にゆれる。
古式の比ではないものの、これだけ揺れるとスピードの感覚が薄れる。
なるべく突っ込まないよう、高い波が当たる前に思いっきりティンナーを引きアウトリガーを上げる。
次の波に備えて風下に向かいティンナーに引きの余裕を持たせ 波に合わせて、、浮きすぎて肝を冷やしたのも一度や二度ではなかった。
この繰り返しを延々と繰り返すことで、終わってみると今年はいつもの年以上に手が腫れた。
ざまみ丸が真っすぐに進んだことで私は中途半端なコースをとった。
一つのコース案として、荒れた海を交わす為にハテ島を抜けて直ぐに130度まで下る。という手もある。
根の南端はコンパス方位にして120度でかわせるが実際はスピードが出ているとは言っても横流れしている。
130度でギリギリだろう。
根を交わしたら、そこからは素直なうねりに乗って真っすぐにゴールに向かえばいい。
だが私は最も荒れるコースを取った。
競った状態では1mでも前に出たい思いから、冷静な判断が出来なかったのかも知れない。
ざまみ丸がこのコースを取ったとしたら私はどう対応しただろうか?
スピードの差を埋めるべく、どこかでコースを変えなければならない。
後でコースを確認したら、誠も女海想も西表島の羽も私が走った同じコースを取っていた。
超えられない波ではなかろうが誠の舟は、さぞ大変だったろう。
(誠のチームに後で聞いたらバウ(前)から大量の波を被り一人は水汲みに専念していたようだ。
3人でそうなのだから5人のざまみ丸はどうなっていたか想像に難しくない)
ちなみに女海想のサバ二(海想1号)は、私が乗るサバ二の中では最も波に強くアウトリガーもバランスがいいので、あの波でも全く動じることはない。
舵取りのアイアイは、あの程度の風と波は名護で何度も経験しているので気持ちよく爽快なクルーズを楽しんだに違いない。
羽の舟はアウトリガー、帆、共にバランスが良く、漕ぎも遜色ないので総合力は高いレベルにあり、結果 女海想3位と羽4位の違いは、強いて言えば経験の差かも知れない。
実は最終の準備を終えた時、もしかしたら羽が最初にゴールを切るチームになる可能性もある。
と思っていた。 それほど羽の完成度は高いレベルにあると思う。
仮定・・・
もしもあの時、仮に3位以下が私につかないで更に南下したらどうだったのだろうか?
約3~4マイル、約40分程南下してギリギリ荒れる海域を避け那覇に向かっていたら?
風向は南西、つまり少なくとも方位にして130度南下してもスピードが落ちることはない。
ゴールまでの距離は僅かに離れるが、その分違う風といい角度でウネリを利用できる。
もしかしたら違った結果になっていたかも知れない。
後ろのチームが前にいるチームに勝つ方法はただ一つ、
前のチームを追いかけないこと。
もっとも、もしそのコースを他のチームが取ったとしたら私はそのスピードを注意深く確認し、距離が縮まるようなら徐々に同じコースを入る選択をするだろう。
そうすれば舟のスピードで勝るならコースのアドバンテージを譲る必要がなくなる。
ただこの戦略は全てに通用する訳ではない。
舟にはその舟の得意な海況というものがあり、舟のポテンシャルを最大限に活かすため戦略やコースは自ずと変わってくる。
荒れる海域を抜けると、ざまみ丸が真横に見えた。
ゴールは方位にして110度だから、ざまみ丸と並んだとしたらコンパス方位にして約20度に見える筈だが、北を指す0度の方に見える。
舟は左右に揺れるし、コンパスは僅かな向きによって変化するから確信はなかったが、若干前に出た感はあった。
大きなうねりに乗れるだけ乗った。
このウネリも直ぐに消えるだろうと思っていたが、前日からの強風によって随分利用できた。
舟のスピードとうねりが合っていたので、意識して乗ろうとしなくとも簡単に乗れた。
風の強さもあるが、このウネリに乗れたのがスピードの差に出たのだと思う。
チービシが終わる頃、ざまみ丸との差がゴールのコース上に重なるように縮まってきた。
この時点でかなり差がついていたので、ここから先は抜かされることはないだろう。
波が落ちればざまみ丸の方が有利なのだが、同時に風も落ちた。
これで互いの力は拮抗している。
これまで軽いアウトリガーに最大限の風を帆に伝えるべく、ティンナーを終始手で操作していたが、強すぎた風を逃がす必要が無くなり、ティンナーをカムクリートにかけて私も漕ぐ。
多少落ちた風はギリギリのところでアウトリガーのバランスをキープできた。
この時点で海況は全ての条件が私に味方した。
黒い防波堤がくっきりし始めた頃、潮が若干 上げの南に動き始めていた。
ざまみ丸がこの潮を利用すべく南下する可能性がある。
どこかのタイミングで南に下り、潮を利用してゴールに向かうのを警戒して南に下らないか何度か後ろをチェック。
もし少しでも南に下ったら私もそれに習って下ればいい。
コースの変更もなく、2艇の間隔も変わらずゴールの防波堤が見えてきた。
この先にゴールの船が待機している筈だが全く見えない。
伴走船に船が見えるか聞いても誰にも見えない。という返事。
暫くしてカメラの望遠レンズで確認してもらって分かった。
ゴール位置は確信を持って進んでいるので戸惑うことはないが、もし慣れないチームが先頭を切っていたとしたら、さぞや不安で穏やかではないだろうなー。
つづく
2018 サバニレース (1)
2018 レースの目標
・ 長嶺 誠と武林さんが造ったサバ二で結果を出したい。
・ サバ二のオーナーである佐藤さんにその雄姿を見せたい。
・ 以前から海想チームで出るのを望んでいたクルーと出たい。
結果が出ている同じスタイルのサバ二で出ても面白くない。という面もある。
ちょっと生意気な言い方をすれば、愛情を込めて準備さえ怠らなければ舟は応えてくれる。
「弘法筆を選ばず、」を証明したい。
(とはいっても遥龍(はる)号はいい舟です。)
アウトリガーも誠が製作したもので出たかったが、節からの水漏れが止まらなく、
急遽、前年使用していた竹のアウトリガーを使うことにした。
竹のアウトリガーは海況によってその良し悪しが大きく変わるのでベストな選択ではなかったが、こ
の期に及んで他に選択肢がなかった。
波が高い日の練習では定員3人の誠に全てのコースで後れをとった。
レース当日の海況は恐れていた最も条件の悪いものとなった。
ロッカーの効かない竹、浮力が足りなく高い波に頭から突っ込み、風が強い時は、軽さゆえに十分に
風を帆に伝えられない。
突っ込みを最小限に抑えるべくアウトリガーのバウ側を150mm程上げた。
これによりスターン(船尾)側に乱流が起こり若干スピードは落ちるが、バウ(船首)が波に突っ込む抵抗を考えればまだましだ。
軽さの欠点を60mm程サバ二本体から離すことで若干の重量を増した。
もう少し広げたかったが横棒の長さはこれが限界だった。
後は前に当たる波を帆とラダーでかわす。
これで多少なり誠の舟に対抗できるだろう。
何しろこっちは6人いるのだから、、
今年のスタートはゆっくり出ることにした。
最初のコーナー・灯台下までのコース上にブイが打ってある。
(毎回思うことだが、なぜあそこにブイを打つのだろうか?説明では左は浅くて危険だというが、そんなことはない。サバ二が通れる十分すぎる水深がある筈だ。混戦を割けるためにあのブイはない方がいいと思う。)
ブイを左にかわさなければならない。
恐らく各チームはそこで混戦するだろう。
中にはスタートの混戦でトラブり、レースそのものをドロップアウトせざるをえないチームも出ている。
急いで出てもゆっくり出ても5秒と変わらないのだから慌てる必要はないのだ。
私のチームは最も左に位置しているのでスタートから歩いてサバ二に向かい、横一線 他のサバ二が出たのを確認してから自らのサバ二に乗る。
案の状、一方向へ全てのチームが向かうので前方はかなり込み合っている。
後ろから空いているスペースをかいくぐるように進む。
灯台下は方位にして90度、南西の風なので幾ら上っても(南下)スピードが落ちることはない。
とにかく安定した風を拾いながら慎重に空いたスペースをかいくぐる様に進む。
スタート時は波がないのでアウトリガーによるデメリットもなく、一艇そして一艇とゆっくりだが確実に抜いていく。
灯台下まで来るとサバ二トリップの誠と、ざまみ丸がいた。
今年、ざまみ丸はサバ二を変えて小さな舟で参戦している。
前日から見ていたが、失礼ながらあの舟では勝負にならないだろうと見ていた。
ところがところである。
波が出てきたら波に翻弄されて船速も落ちるだろう。と思っていたが、私の見立ては間違っていた。この後、ゴールまで息をぬけないデットヒートとなった。
灯台下から儀志布まで多少のコースの違いはあるが3艇は同位置にいた。
それにしても驚いたことに、全コースの中間近くに当たるハテ島まで、全長6m クルー3人の誠がしぶとく着いてきた。
誠の舟は毎回レース直前に突貫で準備を済ませ今年などはそれでも間に合わなくて座間味に入ってからも遅くまで作業に追われていた。
そういえば昨年も仕事を終え南城市から通って夜遅くまで準備をしていた。
すごい頑張り屋なのだが、何事にもせっかちな私からすれば「もう少し前から準備すればいいじゃない?」と突っ込みたくなるのだ。
クルーもやんばるチームから一人、海想チームから一人、と失礼ながらベストなクルーを集めた訳ではない。にもかかわらず早いのである。
不思議だなー。
十分な準備の時間とベストなクルーの海想チームからすれば何か腑に落ちないのである。
黒島からハテ島まで、面白いことに3艇ともそれぞれが我が道を行くが如く違うコースをとっていた。
誠は直線、ざまみ丸は若干南側、私は更に南。
潮は南に流れているのでセオリーからすれば誠がいいコースということになるが、多分そんな単純なことではない。
この風は潮を気にする必要はない。
今年に限っては潮の影響を受けないので単純に最も早いと思われるコースを取ればいい。
(と思う。)
私の場合は風の強弱を見て、ついつい南に下った。
多少下り過ぎたところで何も問題ないと思った。
ハテ島にはざまみ丸が僅かに早く着いた。
そこからざまみ丸が徐々にスピードを増し、2艇のサバ二を引き離し始めた。
この海況条件(強い風、平水域)では、ざまみ丸の方が早い。というのがこれではっきりした。
ここから先、ざまみ丸はいつもなら殆どの場合120度程南に下って強い風を拾うのが常だった。
ところが今年はなぜか那覇に向けて真っすぐに進んで行った。???
潮は気にしなくていいなら今年こそは沖に出た方がいいと思うのだが??と思いつつ、私はざまみ丸を横目に沖に向けて舵を切った。
私の勝手な想像だが、多少下げ潮も意識したのかも知れないが小さなサバ二ではあの波を超えられないと判断して、比較的 波が穏やかなコースを選んだのではないか?
私が乗っている7,5mのサバ二は6人の男でもまだ十分余力がるのであの位の波ではビクともしない。
ところがこのアウトリガーでスピードを落とさずに超えられるかが心配だった。
私にとっても荒い海況は一つの賭けでありリスクを伴っていた。
つづく
SABANIKY(サバ二カイ)
SABANIKY(サバ二カイ)
漕ぎのスペースをどうクローズドにしたものか?
どうもしっくりした案が浮かばず、暫くサバ二から離れ良い案が自然発生的に浮かんでくるのを待っていたが、なかなか出てこない。
そうこうしているうちに10月になってしまった。
まだ温かい内に海に出したくて、この際 未完成ながらも海に出すことにした。
海に出ることで、また新たなアイデアが生まれるかもかも知れない。
当初はそのままどこかの島へ出かけよう。と思っていたが、やはりもう少しテストを兼ねて試して見ることに、
興味のある方は是非 遊びに来てください。
サバ二のS カヤックのK ヨットのY の頭文字をとって SKY(スカイ) と名付けようとしたが、何だか気恥ずかしくなって辞めた。
サバ二にカヤックのK と ヨットのYを足して SABANIKY。
読みはサバ二カイ?
基本的には帆かけサバ二に最も近いがクローズドデッキにキールはやはりサバ二とは言いにくい。
(これはサバ二かい?) てな訳できっと私だけに流通する名で「サバ二カイ」という名にした。
進水式
10月28日(土) AM9時~10時
名護ビーチ
10時以降 乗って遊びます。
指導について
今度、西表島で操船と帆や艤装品製作のお手伝いに。
島へは何度も行っているし、サバ二仲間へは機会を見て浅い経験ながらも伝る
れるものは伝えてきたつもりだが、今回は「指導」の目的で招待されること
に。これまでのように遊び感覚で行くわけにはいかない。
ちょっとプレッシャー。
そもそも私が指導していいものか?という基本的な問題があるものの、求まら
れるとその任に相応しいのかを判断しないまま、のこのこと行ってしまうこと
に。
第1回 帆の製作
「帆の製作方法とその形の解説」
上記の講習があるなら私も参加したい。
私は帆について流体力学などといった専門的な知識はないし、そんな解説はで
きない。
帆の設計はどうしてその形になったのか? と問われたら「何となく使い勝手
がいいんだよねー」というしかない。
「ラインの解説もして欲しい」との要望を受けて、改めて、どういう説明をしたものか?考えてしまった。だがなかなか上手い言葉が浮かんでこない。
揚力や風圧中心などと、どこかで拾ってきたような小難しい言葉を並べても、私の言葉ではないので、最近はそれも仕方ないのかも知れないなーと思い始めている。
私もはじめ意味を知りたくて、そんな質問をサバ二大工の新城さんに投げかけ
ていた。だが期待する回答を貰う場面は少ない。多分それは理屈ではなく、
フィールドで養われた感覚的なものではなかろうか?
少し話はずれるが、以前奄美大島から宝島への航海時、あるラインから潮に流されて若干方位を修正した。後にGPSを確認したら修正する前に流され、そして修正したのが航跡にはっきりと残されていた。クルーのマコトから「なんで分かるの?」の質問に「うーん何となく」と答えてから、改めて自分でも何を目安にしていたのか明確に答えられなかった。
航海中たまにスピードを確認することはあるが殆どの場合、後に航跡を確認する目的以外はGPSを使用することは少ない。
これなども言葉では説明できない感覚的なものだったのではなかったろうか?
帆もしかり、多分私はその形を力学などの専門的な解説を交えての説明できないと思っている。これまで大小合わせて30枚近くの帆を製作してきた。修正したばかりは満足できても何回か使用しているうちに必ず不備や不満が出てくる。きっとこの過程は留まることはないと諦めている。
帆に限らず帆かけサバ二全体に言えることだが、私のスタート時は情報も限られ周りに指導してくれる人がいなかった。
すべては海(レースや航海)での試行錯誤を繰り返し手探りでやってきた。帆の製作に限らず、操船方法から全ての装備品も例外なくそうしてきた。
今思えば少し時間はかかったがそれで良かったと思っている。
帆かけサバ二はシーカヤックやヨットの要素を備えてはいるが、あくまでも帆かけサバ二という得意にして独特なジャンルだと思う。
昔の海人は専門的な知識を持ち合わせていた訳でもないのに、帆に膨らみを持たせたり舟の形をフィッシュフォームにしたりとシンプルながらもあらゆるところに工夫を凝らし多くの面で現代の専門家をも唸らせるデザインになっている。
それは日々、海と共に暮らし時には命をも危険にさらしてきた道具なのだから否が応でも洗練されてくるのだろう。
そこには理屈ではなく海という最も信頼できる厳しい先生がいて結果として修練されてきたのだろう。
もし私に指導するに値する何か一つでも誇れるものがあるとすれば、その完成
度の良し悪しはともかく、製作の数、サバ二と共に過ごした時間、フィールド
に出る回数、だけは他の誰より勝っていると自負している。
そしてこれこそが最も価値あることだと思っている。
昔の海人とは比較するのはおこがましいが、難しい理論の理解力がない以上、
フィールドで経験を重ねる他ないのだろう。
こんな私でも知りたいと言ってくれる人がいるのは光栄なことだし、僅かばか
りの経験でも知りうる全てを伝えたいと思っている。
森
航海
カケロマ島周辺のビーチに結局一週間程滞在 カケロマ島東端 徳浜から古仁屋へ、クーラーの利いたスーパーに食堂 このまま文化的な生活に浸かりたいところだが二時間で出発 奄美大島を回り込む予定が風が思うように上がらずカケロマ島西端の集落 実久集落へ、今日は古仁屋を挟んでカケロマ島の東端から西端まで来た。実久と言えば約10年程前 友人の伊東さんがシーカヤックはズブの素人の私を連れてエニヤバナレ島の途中に立ち寄った。私は慣れないパドルで疲れてボロボロになってここの東屋にへたりこんだのを思い出す。その後 天候は回復しエニヤバナレ島で数日間至福の時を過ごした。奄美大島へサバニでの旅は今度で6度目となるが、あの時の思い出がこの旅の原点なのかも知れない。 明日は奄美大島西を緩い風を拾ってゆっくり北上します。天候はあくまでも良好 トカラに行けるんだが、、、