旅の日記を,時に笑い,時に泣き,時におとぼけながら綴っていければいいんだろうけども,大体はふっと気付いたことをてれてれ書いてます。
30歳がなんだ!30歳オーバーがなんだ!!
タイミングに早い遅いはない。自分が決めたときがベストタイミング。
そして旅のハッピーをみんなと一緒に。
そんなブログになったらいいな。
‘kaisize’で検索 『生ビ,いつもハッピー 』
ここ一カ月の空白に
さて、早いもので今年も11月、昨日なんて実家の八戸では水まじりの雪がちらほらするくらいな季節になってきました。
しばれるぜぇ、八戸は!
1カ月以上ご無沙汰の本ブログですが、あまりにご無沙汰のため本人が日記帳を実家に置きっぱなしで東京に出てきてしまうという失態。
ぜんぜん記憶があいまいなため、旅ブログを書くことができないっていうわけなんです(悲)
ちなみにこの間の空白では、
ブログで最後の国となっているエチオピアからヒッチハイク、トラックの荷台などを駆使してケニアに入国、その後、ウガンダでナイル川で死ぬ思いをしながらラフティング!
さすが、アフリカ。途中でヘルメット脱いで数キロくらい川泳ぎ。もはやラフティングではない。
タンザニアのンゴロンゴロ保護区で像とかシマウマとかサイとかヌーとか見て、
ザンジバルでまったり、二泊三日の国際電車TAZARA鉄道ででザンビアに入国し、世界三大滝の一つヴィクトリアフォールの滝上ぎりぎりのところまで攻め込み、
乾季のため水量は少なめ、だからこそこんなことが↓ができた!!
上の写真のちょうど真ん中あたりの岩の上から。おちたら間違いなく‘あの世行き’ですな。
バスでナミビア入国、かの有名なナミブ砂漠をレンタカーで周り、
道中もビールはかかさず。
ナミビアで結成&解散した‘ナミブ2000’
まじで退屈しない毎日だった。
一路南アフリカへ!
南アではいきなりカメラ故障というアンラッキーにもめげず、アフリカ最南端のケープポイント、昔最南端と呼ばれた喜望峰を制覇し、さらに世界最高地点からのバンジージャンプを足がくがく言わせながら乗り切り、これまでの旅でまたまたまたまた日本での結婚式に御呼ばれしたため東南アジアはマレーシアに飛び、ティオマン島でダイビングした程度にして帰国したっていう次第です。
しっかし、撮ったはずの写真がない・・・はて?どこに入れたのやら
で、今は関東の友人宅でまったりとしています。
ま、ブログが書けないってことで、ちょろりちょろりと日々のことでもmixiの方にアップしようかと考えています。
mixiIDない人はこの機会にぜひ。
もちろん本ブログは閉じません!まだ。。。
なんとかアフリカ縦断編を終わらせて、それからそれからぁ・・・・・・っと。
mixiもkaisizeで一発検索!
今後はしばしこちらをよろしくお願いします!
ロゴレイクで地元っ子と行水
さて、ハイクという村に到着したわけだが、村はとっても狭い割に何もない・・・。果たして夜まで時間をもてあますかと思っていたところ、バスで乗り合わせたフレンチカナディアンのサイモンってやつが村外れにある湖で行こうと誘ってくれた。
こいつは底なしにやさしいやつで笑顔を絶やさない。こっちまでなんかウキウキしてくるような笑顔パワーを如何なく見せつけられた。あぁなりたいねぇあっしも。
バスでは一言も話さなかったわけで、それでもその笑顔にコロリとやられ、地元っ子数人を引き連れ散歩に出かけた。
ちなみにこのサイモン、この後ケニア入国までたびたび出くわすことになる。
いやーん、撮らんといてぇ。未舗装の田舎道を地元っ子とふれあいながら歩く
首都のアジス・アベバとは違い、ここハイクの人達はピュア。カメラ向けると、恥ずかしがる子がいたり、写りたがる子がいたり、さらには逃げまどう子、泣き叫ぶ子といろいろな反応が見られる。
「悪い子はいねがぁ!?」
とでも言ったらみんな泣いちゃったかもな。
前にも書いたが、この時期のエチオピアは雨季。オレが訪れたとき、ハイクでは雨は降っていなかったが、ジャケットを羽織って歩くくらいの気温だった。
そして山々の間に広がるエチオピア第2の大きさだというロゴレイクに辿り着いた。村の中心から歩いて30分と行ったところだろうか。軽い運動にはお手頃な散歩コースだった。
さーて、写真も撮ったしそろそろ帰ろうか?
と、おもむろに服を脱ぎだすサイモン。サ、サイモン!オレにはその気はないぞっ!
そう、忘れてはいけない、サイモンはカナダ出身なのだ。多分オレがジャケットを必要とするくらいの寒さはあいつにとっては汗ばむ暑さなのかもしれない、というかそう思いたい。
そしてオレの番がきた。なぜオレの番かと言うと、ふと目を向けると一緒に来てた地元っ子達もすでに脱ぎ脱ぎし始めてるじゃないか!?
ふーん、行くかオレ。行く?よし、行く!
ま、今まで寒くなきゃってか寒くても大体水という水には入ってきたしね、この湖もオレを呼んでるような気もしないではないしね。
で、行っちゃいました、行っちゃいました。やっぱり気持ち良かった!
地元っ子はよくこの湖で泳ぐらしく、しかしそのくせ泳ぎには自信がないらしく、我々がちょっと足のつかないところまで泳いでいくと「ダメだダメだ!そっちは危ないぞ!」と、電気ウナギかワニでも出たのかと思うくらい血相を変えて注意を促してくるのだが、その横ではちび地元っ子がちんちん丸出しの生まれたままの姿ですごいダイビングを決め込んでいた。
お前ら、あの子を見習え。
帰りはもちろん、ずぶ濡れおパンツの上からズボン履いてTシャツ着てってなったわけだが、やっぱり泳ぐのって最高!
ラリベラへの道
バスが出発したと同時に安心したのと、やっぱり眠かったのとが重なり、オレは夢の中で幸せを感じていた。ときどき跳ねるバスも、もうちょっとデザイン考えろよって思うド直角シートも、普通に腰かけると膝が前の席の鉄板にガツガツッと当たるのもこのときばかりは気にならなかった。夢ってステキ☆
途中お昼休憩をとり、物売りのおばさん、少年、少女たちをからかい、バスはひたすらにラリベラを目指す。
この時点で、すでに乗車率120%を越えており、通路、ドア前の階段、一番後ろの席に至っては5人が精いっぱいなはずなのに7人と、改めて後ろに乗らなくて良かったというのと、エチオピア人の男気、もちろんおばさんもいたが、に敬服した。
しかし、目が覚めてからというもの普通に深く座っているのにも関わらず、両膝が前の席の鉄板に当たって痛いのが気になる。オレは自慢ではないが、まったく自慢の自の字にも値しないが、身長が高い方ではない。それにも関わらず、オレの両膝は前のシートの裏側、日本だときちっと緩衝材がつまっているであろう場所の鉄板むき出しのところにバシバシッと当たり、若くして膝に水がたまってしまうのでは?と心配してしまうくらい痛い。まさか身長は高くないが、人一倍足だけが長かったのか!?という錯覚すら覚えてしまうから恐ろしい。
なぜだ!?他の人は痛くないのか?まさかアフリカ人、バスに乗るときは‘膝にプロテクター’の合言葉でもあるのか!?
通路にも人がいて、席を動くことすらままならない状況なので確認することはできなかったが、プロテクターの様子はないことだけは明白なようだ。
痛みに耐え、夕方4:30、バスは当然のように停車。この日はハイクという途中の町で宿をとるようだ。
みんなが下車した後で車内の点検に入る。もちろん座席のだ。
すると思いもよらないことが発覚!
同じ間隔で配置されていると勝手に思い込んでいた座席だが、1つ1つ確認してみると、どうもそうではない。ある席は広く、ある席は狭い。さらにうっかり壊れている席の後ろに至っては小さな子供でも入れるかどうかの隙間しか空いていない有り様だった。
むふぅ、そうか、あの朝っぱらからの席取り合戦はただ前の席を取るってだけではなく、より広くより快適な空間を確保するためのものだったのか。エチオピアのバス、なかなかに奥の深い乗り物だ。明日はなんとしても広い空間のなるべく前目を確保することを心に決めた。
そして、明日は朝10時出発だという。
なんて寛大なんだろう、でももうちょっと早くてもいいのに、と思いながら、もう一度確認してみる。
すると、「エチオピア時間で10時、お前らの時間では、えーーーっと4時だな、朝の」
やっぱり!?
結局真っ暗な中走るなら夜中走っても変わらないんじゃない?という疑問はオレの胸の引き出しに終い、だまって指示に従う。
エチオピアにはエチオピア時間なるものがあり、一般エチオピア人が用いるのはこのエチオピア時間。我々の時計で言うと、朝4時なのだが、エチオピア時間で言うと朝10時。つまり日本とエチオピアの時差が6時間だから、エチオピア時間は日本時間と同じっていうなんだかしちめんどくさいのだが、ここはきちんと確認しておかないと、起きたらもうバスがいなかったってことになるので気をつけよう。
あと、半日我慢すれば、目的地ラリベラだ!