私の観察からすると、考えすぎる人は、感じることが苦手なようです。
感じることがどういうことかわからないようです。
実際は分からないのではなく、感じることとはどういうことかを考えていて、自分が感じていることに気づかない、ということです。
自分の呼吸を観察することは、自分の感情や気分を感じることと同じです。
呼吸を意識的にできない人は、感じることも難しいようです。
何故なら呼吸が浅かったり、意識的にしていないときは、大抵考えているからです。
考えるということ自体、拒否の形そのものであり、感じることを拒否しています。
この拒否や否定という感覚は自我そのものでありますが、皮膚感覚に蓄積されて、無意識に拒否や否定の反応をしているケースが多く見受けれます。
その為に、私たちの行動、態度、人間関係、人生の体験に制限を加えているのです。
身体感覚に隠された拒否感や否定感などの制限の感覚に気づいてください。
あなたは人から触られるのが好きですか、嫌いですか?
あなたは人に触られたら、くすぐったいと感じますか?平気ですか?
くすぐったいと感じる人や嫌いな人は、無意識に何かを恐れたり、拒否しているかもしれません。
感受性が強く、不安や緊張があるかもしれません。
その無意識の恐れや拒否があなたの人生経験を制限しているかもしれません。
無意識に人を受け入れることが難しいかもしれませんし、受け入れることができていたとしても疲労を感じているかもしれません。
人と接することが苦手かもしれませんし、コミュニケーションを積極的にしないかもしれません。
自分自身を受け入れていないかもしれませんし、嫌いかもしれません。
この世界を恐れているかもしれませんし、警戒して緊張しているかもしれません。
人生に対して前向きで、積極的な人でも可能性を制限しているかもしれません。
そしてあなたは子供の頃、あまり肌に触れられなかったかもしれません。
これらの理由はおいておきます。
人それぞれ理由が存在するでしょうし、たくさんの原因や問題が存在するというスタンスからは、物事は解決しないどころか、複雑になるからです。
さて、オキシトシンというホルモンがあります。
オキシトシンは、愛情の表現に関するホルモンと言われています。
「愛情ホルモン」、「幸せホルモン」とも呼ばれています。
オキシトシンの効果として、ストレス減少、血圧上昇の抑制、人への親近感・信頼感の増加などあるそうです。
オキシトシンは、触れ合ったり、スキンシップすると分泌し、頭をなでたりしても分泌します。
オキシトシンだけでなく様々なホルモンが皮膚の表皮細胞であるケラチノサイトが合成して、分泌しています。
つまり、感情に関するホルモンは脳内だけでなく、皮膚でも合成され血中に放出されているのです。
皮膚感覚は、圧、温度、湿度だけでなく、光や皮膚の外側の環境のすべてを電気信号に変える優れた機能を持っています。
皮膚には振動覚があり、電磁波や光の波動を感知して、分類することができます。
人の思考や感情も波動であり、皮膚は感知しています。
「肌に合わない」とか「身の毛がよだつ」という慣用句がありますが、皮膚は無意識に様々な波動をとらえているのです。
もしあなたが「この世界は危険でいっぱいだ」とか「あの人と会いたくないな」とか「この場所は気持ちが悪い」とか無意識に思っていれば、皮膚感覚はそのように反応し緊張物質を発して、皮膚を固くさせ緊張し、皮膚が過敏になるかもしれません。
「この世は乗り越えなくてはいけないことがたくさんある」、「戦わなくてはいけない」と思っているかもしれば、自分自身の免疫系も戦う状態になります。
戦いはスポーツでも何でも同じですが、攻撃と防御から成り立っています。
皮膚上においては、アトピー性皮膚炎として表現されます。免疫系が過剰に働いてしまうのです。
外の世界の何かが攻撃をしてくるので、皮膚で防御しなくてはいけません。しかし何が、だれが攻撃してくるのでしょうか?戦争中ですか?抗争中ですか?
もちろんこの世は危険ではないし、会いたくない嫌な人は存在しないし、気持ちの悪い場所も気持ちの良い場所も挑戦しなくてはいけないものも、戦わなければいけない状況も存在しません。
一人一人好き嫌いがあり、勝手に価値判断を下しているだけです。妄想です。それぞれが作り出したストーリーです。
物事には本来意味はありません。
つまり、皮膚感覚は外界の環境を感知する優れた超能力を持っているように見えますが、「この場所は気持ちが悪い」というような価値判断を下すように仕向けているのは、私たちの心です。思考です。観念です。思い癖です。
これは五感(見る・聞く・嗅ぐ、味わう、感じる)のすべてに言えることです。
私たちが紙コップを見るとき、紙コップとはこのようなものだという先入観あるいは記憶、思い込み、概念をもとにみています。
紙コップがもともと存在していて、その後見たのではありません。
もともと持っていた記憶や概念にあてはめただけです。つまり勝手に紙コップだと価値判断を下しているだけです。(見るという直接の体験は、そこに物質、物体、現象としての実態があるということは何も示していません。つまり紙コップという物質は存在していません。プレゼンス 安らぎと幸福の技術 ルパート・スパイラ著を参考。)
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私たちは皮膚感覚に対して、「この世は戦う場所だから、防御しなさい」と私たち自身が命令をしているということです。
「この人は肌に合わないから、防御しなさい」と自ら命令し、皮膚感覚から緊張物質を放出させ、不快に思う人を存在させているのは私たち自身です。
身体感覚や皮膚感覚には、否定や拒否という感覚が蓄積されています。
それは私たち自身が、拒否しろ、否定しろと自ら皮膚感覚に命令を下したのです。
オキシトシンという愛情ホルモンは、私たちの感じ方を変容し、自分自身や外の世界に対する制限された思い込みを解放してくれるでしょう。
能年サンを見れば、オキシトシンが大量に放出され一瞬で幸せになれます。このとき感じる幸福感は否定のしようがありません。
ありがとうございました。
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