●悪魔の偶然 | サンロフトの本とテレビの部屋

●悪魔の偶然

●ああ~君は変わった~
小6初日、玄関に貼られていたクラス表で、同じクラスのある女子の名が目に止まった。小2の時クラスに怖い女子が2人いて、その1人と一緒になったのである。非常に恐れたが、いつの間にかすっかり性格が丸くなっていた。もう1人とは二度と同じクラスにはならなかったが、時々見かけると相変わらず怖そうであった。暴力的ではないが、そうとうヤバイ。ずっと後になって気がつくが、中2~3で同じクラスで中学唯一といっていい好きな人と顔が似ていた。中学のその人は『宇宙戦艦ヤマト』の森雪でおなじみの麻上洋子の「ヤマト2ロマンアルバム」の座談会の時の顔に、本人かと思うほどそっくりだった。中学時代、友人たちとともに驚いたものだ。他の時の麻上洋子とは似ておらず、不思議だった。

 

●唐突な引っ越し話
小6の4月23日、父と一緒に西新井住宅展示場へミサワホームOII(オー・ツー)型のモデルハウスを見にいった。思えば、これが人生を暗転させた瞬間だった。総二階建てで44坪という巨大さや、普通の住宅とはまるで違うデザインにとりつかれた。夏休みには、福井県福井市に買った土地を見に行き、冬にはOII型ではないがそこにミサワホームで家を建て始めた。完成予定は4月中旬。父の性格も、私同様の行き当たりばったりで、引っ越しは無計画なものだった。中1の夏休みに転校することが、バタバタと決まっていった。

 

夏頃か、小4の親友が、川島海荷似のあの人が北海道へ引っ越してしまうかもしれないと話していた。いずれ立ち消えになるが、その時は動揺した。ひょっとすると、あの人をそれを回避するために私立中学受験に挑んだのかもしれない。◯◯のばっちゃんも別の私立中学へ行ったが、彼女たちが頭が良いというのは卒業間際まで知らなかったし、そういう基準で見たこともなかった。私の頭の良い人好きは、無意識なものである。

 

●プラネタリウム
秋の社会科見学で国会議事堂やNHKを見学。さらに後日の出来事だと思うが、6年生全員で電車で渋谷のプラネタリウムへ出かけた。東武伊勢崎線で浅草まで、そこから銀座線に乗り換えたと思うが、違うルートだったかもしれない。プラネタリウムを鑑賞した後、半球が露出した屋上で弁当、そして帰路へついた。ラッシュ前とはいえ電車はやや混雑し、帰りの席はバラバラであった。私は、同じクラスの一番しっくりくる女子と二人きりで座った。小5、小6と何かあるたびに一緒だったし、出来るならずっと一緒にいたいと思っていた。天才の彼女や川島海荷似のあの人ほどには強い情熱を持っていなかったが、優しく大らかな彼女には2人に無い魅力があった。

 

12月、新1年生の健康診断が行われた。6年前、母と初めてこの学校を訪れた日のことを覚えている。裏門の前にある駄菓子屋兼文具店で、みつあんずを買った。その時入った新校舎の教室がえらく広く感じられたものだ。それが今、最上級生として、幼稚園児を連れて各検査を行う教室を回る立場となった。1人目を終え、2人目へ。混雑を避けて回るが、なかなか終わらない。途中で最もしっくりくる彼女と出会い、空いている検査を教えてもらった。連れているのが我々の子供のように錯覚したのは、残念ながら私だけのようだった。

 

ここ一週間の一連の話、相手だけが分かればいいので本人を特定する記述はほとんどしてこなかったが、彼女に限っては気づいても覚えてもいないかもしれない。当時のクラスメイトたちも同様に違いない。いったい誰のことなのか? ペンギンといえば関係者には分かるだろう。

 

家の建築は順調に進み、完成予定は4月上旬と改められた。近くに父の実家もあるので、母と私だけ先にそこへ行って、はじめから福井の中学に入学した方がいいという話になった。2月に入ってからの突然の計画変更であった。

 

●悪魔の偶然
3学期の中間頃のある日の図工の後、絵の具のパレットを洗おうとしたら、奥の方で天然の彼女も同じように洗っているところだった。戻るわけにもいかず、私は一番手前で洗い始めた。はじめ何人かいたのに、すぐ我々2人になった。私は何も言わず、彼女も無言のままだった。声をかけたら、絶対に返答がある。しかし、どうしても声がかけられなかった。彼女もそれを察しているかのようだった。この時ほど、小4の時再会した☆☆を思い出して後悔したことはない。なぜ、あの時、次に会う約束をせずに別れたのか? あんな人はもう二度と現れないだろう。天然の彼女よりも、一番しっくりする彼女よりも近く、1年以上のブランクも関係ないほどの人。

 

そもそも、小3の組替えはいわくつきだった。小3初日、我々の学年は体育館に集められた。新しい組の発表がなかなか始まらず、先生たちが集まって何やら話し合っている。転校生が2、3人来ていてあと1人来れば、9クラスのままでも40人学級の基準を満たすので、8クラスに減らさなくていい、つまり組替えは中止になるというのだ。

 

その日は解散。翌朝、我々は校庭に集められた。しかし、それ以上転校生は現れず、予定通り組替えとなった。1組から新担任が呼んでいく形式で、私は自分の名前と、幼稚園から好きな人の名前に耳を研ぎすませた。8クラスの中から探す困難さをよく分かっていたからだ。で、2組、3組、4組、5組、6組、7組と緊張感はMAX。そして、呼ばれずに残ったメンバーに私とその人がいたという劇的な展開に酔い、本当に大切な人がどこで呼ばれたかまで気が回らなかった。

 

あり得ない偶然の数々は、幸運をもたらしただけではなかった。わが8組だけが3階だったのは、1年間☆☆と会わせないための偶然。幼稚園から好きだった人と同じクラスになったのは、☆☆を思い出させないための偶然。これら一連の偶然はあまりに悪魔的である。小2の初期には別に好きな人がいたものの、中期から末期まで、好きな人は幼稚園からの人と☆☆だけだった。なのに、このような事情から忘れることになってしまった。

 

3学期最後の話へ飛ぶが、クラスで同窓会の幹事を決めた。たった1年しか一緒にいなかったのに、大人になってこのクラスで集まるんだな、と妙な気がした。多くの人は草加中学校でまた会うが、引っ越していく私は違う。草加中に行ったら、天才の彼女も一緒だし、「教授」に会えるかもしれない(いや私立へ行ったかな)。1年待てば、みゆきちゃん似の下級生に会えるかもしれない。そして何より、氷川小学校へ行った仲間たちもみな戻ってくる。そこには、☆☆もいるはずだ。なんということだ!! ずっと後、「この指とまれ!」を知った時も、違う小学校だから互いの消息を知ることはないと落胆した。

 

50歳近い今になって、しみじみ思う。生涯1番の天才の彼女や川島海荷似のあの人は、どこまで行っても片想い。生涯唯一のパートナーは、小4で再会した☆☆なのだ。大切さに気づかなかったことより、出逢うタイミングが早すぎたことに憤る。引っ越さずに(または引っ越しが遅れ)中学校で再会したとして、その先があったのだろうか? 中学、高校になると事情も違ってくるはず。可愛い彼女だ。何人かに告白もされるだろう。もし、出逢いが大人になってからだったとしても、同じようにいくとは思えない。仮定の話は意味がないが、永遠に失ったのは動かしようのない事実。

 

 

尚、明日の「総括・後編」でこの話は終わりだ。結構重要な人がまだ何人も出てきていないが、それが目的ではないのでいいだろう。