●理不尽な幸運 | サンロフトの本とテレビの部屋

●理不尽な幸運

●理不尽な幸運
体験談であっても、公共の場へ書く以上はオチありきで構想している。しかし、妄想の話をしていただけなのに、「ゆびとま」に天才の彼女本人が登場するという想定外の事態が発生し、彼女のことも書かざるを得なくなった。だから、用意してあったオチが弱かったり、うまくオチへつながらない恐れも出てきた。いや、構成し直したのでうまくいくと思うけど、そのせいで今日、天才の彼女の話をさらに足すはめになった。ここで、多少の説明も加えておく。

 

連日、好きな人が次々登場しているが、まだまだ足りない。私がおかしいのではなく、小学校時代の状況が異常だったのだ。中高校では本命が各1人、気になる人が計数名程度しかいなかった。

 

草加市立西町小学校は、草加小学校から分裂した。開校10週年の小3の時、校庭で人文字をつくり航空写真を撮った。だが、その翌年には早くも児童数増加が限界となり隣の小学校と我が校それぞれから分裂する形で氷川小学校が開校した。(我々入学前の)旧校舎増築&新校舎建築や、小2からのプレハブ校舎増築も焼け石に水。

 

加えて、45人学級制から40人学級制に移行する時期だったため、1年8組→2年9組→3年8組と組替えを繰り返す羽目になった。我々の学年と1つ上の学年だけが、毎年の組替えと学校分裂を経験したことになる。マンモス校ゆえの大人数と毎年の組替えという偶然から数多くの出逢いが生まれ、好きな人がたくさん出来ることにもなった。当時は理不尽だと思ったが、結果としては得難い幸運であった。

 

遊びや友情、その他悪い話まで小学校時代を全部書くと原稿用紙5000枚程度、即ち銀英伝の本伝10巻分ぐらいになってしまう。ワンテーマとはいえそれを50枚程度にまとめるのは無理があったのかもしれない。中高校時代なら各250枚、その後の30年でも500枚程度に収まってしまうだろう。いかに、あの6年間に人生が凝縮されていたかが分かる。

 

●天才の彼女を巡る迷走

 

   1・天才好き

 

小4初日の帰り道、私が好きになった人を友人たちに一発で当てられた。なぜかは分からないが、「なんか分かるんだよ」と言われた。彼女を好きだという人は何人かいたものの、クラスの男子半分が好きだったのは別の人だ。その人がモテると知る前、「色っぽい人だな」との第一印象を持った。しかし、それ以上の感情を持つことはなかった。

 

妙な話だが、ほどなく小2で同じクラスだったある人のことが、どうしようもなく好きになった。本人はいない。サバサバしていて野性的ですらあり、天才の彼女とはまったく違うタイプだったが、ただ顔が似ていた……。

 

私は体育がまったく出来なかったが、唯一得意なのが走り高跳びだった。幅跳びはぜんぜん跳べないのに、高跳びはクラスで5~6番目ぐらいに跳べた。それは、小4で初めて高跳びをやった時に知った。バーの高さを上げて順番に跳んでいくうちに人数が減る。バーは95センチ。一度目はバーを落とした。しかし、コツは掴んだ。助走しながら、私は座っている天才の彼女を見た。その途中、彼女は視線を上げ、私と目を合わせた。が、1ミリも興味のなさそうな顔だった。私はバーを落とし、その日の体育は終わった。体育が出来ればカッコいいわけじゃないんだな、と落胆した。次の体育では95センチも100センチも簡単に跳んだ。

 

小4の終わりに、もう一人の天才が登場。長身でショートカット、顔は似ていないが雰囲気が天才の彼女によく似た人を知ることになる。5年2組すなわち1年上の彼女は、連れの女子から「教授」と呼ばれていた。坂本龍一のあだ名が「教授」だと知られるのはもっと後の話。あだ名の由来は分からないし、名前も分からない。実のところ天才なのかも分からないけど、天才の彼女より数段頭が良さそうな顔だった。後日談もあるが、本テーマと関係がないのでたぶん書かない。

 

   2・天然好き

 

小5の組替えで、また天才の彼女と同じクラスになったが、なにせ去年があの状態。脈は無さそうだ。それより、初日から別の人に釘付けになった。頭の良い人好きの原点が天才の彼女なら、平愛梨、岡副麻希ら天然に強く惹かれる原点は、ここ。背中まである茶色の髪にたまご型の顔。高く透き通った声で、なぜか「ひ」が言えない彼女だ。

 

自己紹介が出色だった。立ち上がって一通り言い終えると「よろしくお願いしま」と言って座った。隣の女子と顔を見合わせ、「す」が言えなかったとまた立ち上がり、「よろしくお願いしま」と言って座った。また言えなかったと隣の女子と顔を見合わせ笑ったが、もう立ち上がらなかった。顔、性格、仕草など全部ひっくるめ、知っている全女性の中で一番可愛い人だ。今までの人生で一目惚れしたのは、天才の彼女と、彼女によく似た上級生、それとこの彼女の3人だけである。

 

天然の彼女とは、家庭科の班が同じで急速に仲良くなった。出席番号順の席で男子4人、女子2人。うちの班だけが6人全員友だちという感じだった。天才の彼女は出席番号こそ近いが、班のテーブルは斜め後ろ。家庭科室は2教室ブチ抜きの広さのためずっと遠くであった。班では小1と小5で同じクラスの親友が私の隣。二人して、向かいの席の彼女をからかったりした。あまりにすぐ接近したためか、彼女を好きだということは誰にも言わなかった。親友は、私が天才の彼女や(昨日マスゲームで書いたように)あの人が好きだとは知っていたのだが……。

 

しかし、天然の彼女は小6で3組へ。せっかく親しく出来ているのに、告白して終わらせることはできなかった。正直、うまくいく気はまったくしなかったのだ。全体からみると天才の彼女は生涯1番だが、小5に限れば、天然の彼女と川島海荷似のあの人と気持ちが半々だったかもしれない。そうだ。書写の時間、自分の課題をすぐ片付け、先生に代わって何かの題字を書くほど習字のうまい彼女もいたっけ。その人もかなりモテていて、私も惹かれていた。

 

   3・光明も無に

 

私は欠席が多く、宿題を当日の授業で知ることもしばしばだった。ある日の国語で略語を考えてくるという宿題が出ており、順番に発表していくことになった。窓際一番前の天才の彼女が「電卓」と言った。「なるほど、そういうやつか」と思った。私は4列目の後ろの方だったので、他の人とかぶらなそうなのを考えた。私は「サラ金」と答えた。すると、なぜかクラスは大ウケ。天才の彼女が振り返って笑った。まだ、一度もしゃべったことがない時期であった。一筋の光明だが、私は面白いことをやって目立つタイプではないので、この手は二度と使えないと思った。この出来事は、神社での写生と、手のデッサンの間だろう。

 

彼女とは小6で別のクラスになり、朝礼等でよく見かけたものの、再び話す機会は最後まで訪れなかった。小5の最後に隣にいただけに、いっそう距離を感じた。うちのクラスがなぜか屋上で授業をやっている時、2組の彼女たちが上がってきた。「こんなところでやってるの?」と誰かが、そして彼女が「面白いね」と言った。近距離だったので、「声が聞こえなくて授業にならないよ」と嘆いてみせようかと思ったが、言葉が出なかった。卒業間際、プレハブ校舎の中で卒業生が学校に寄贈する動物を象った大きな置物(?)を作っている時、帰りがけに製作中の彼女を見かけたものの、素通りせざるを得なかった。1組はカメ、2組はタコだったかな。あれが最後のチャンスだったかもしれない。

 

ここで、天才の彼女の外見的なことを少し。髪はいつも肩までの長さで、最初外向きのカールだったが、後に内向きのカールになった。もみあげを根元から剃っていて、いつも、おでこを出していた。連続して瞬きするのが癖だった。スボンよりスカートが多めで、ジャンパースカートをよく見た。たぶん小5の日曜参観日、ただ一度だけ普段のイメージとは違うピンクの半袖ワンピースを着ていた。あれはもう一度見たかった。可愛いとか、似合うとかは、まず言えない。隣の席になった時、彼女はしばしば無邪気さを発揮したが、「可愛い!」と思った瞬間、毎度それを察してすごくイヤな顔をされた。

 

天才の彼女には妙な後日談がある。引っ越してきたこちらの中1のクラスで、好きな人ができた。初めは気づかなかったが、彼女が国語の授業で教科書を朗読した時、ハッとなった。方言なので分からなかったが、標準語だと天才の彼女とまるっきり同じ声だったのだ。柔らかい中音だが、ところどころノイズが入る独特の声。顔はまったく似てないのにだ。あれには悩まされた。余談だが、あの人や川島海荷って声に特徴無いからなぁ。声が似ていないのは確かだけど。

 

●二人の天才からもらったもの
オチの前にこれも書いておかなければ……。

 

小6初日、友人が戦艦大和を描いたノートを見た。誰かが見ていたものが偶然目に入ったのだ。彼とはその後1年間、宇宙戦艦を描きまくり、卒業文集の表紙を競作したりすることとなる。彼とは小1で同じクラスだったのだが、当時はまったく交友が無かった。玄関に貼りだされたクラス表で名前を見つけた時には、予想もしなかった展開である。

 

二人ともオリジナルメカを描く点で共通していた。絵を描くことよりデザインすることが好きだったのだろう。彼は私より一枚も二枚も上手(うわて)で画力も高かったが、発想力こそ抜きん出ていた。子供らしい発想ではなく、未熟ながらプロのデザイナーのような発想をした。それに比べ私のデザイン力は低かったが、小6の終わり頃からデザイン性が飛躍的に向上してきた。無意識のうちに彼から学んだと思われる。それに加え、卒業間際にヤマト・パート1とさらばのロマンアルバムを買ったからねぇ。

 

画法というか線の引き方や画面構成は、天才の彼女の影響だ。私の絵は個性派ではなく、他人の影響を極端に受けやすい。流行りものや気に入ったものをすぐコピーしてしまう。絵を描くときには、いつも頭のどこかに彼女の絵があって、無意識にだんだん寄っていった。小6の冬にオマージュの版画を彫った頃には、そうとう近づいていた。水彩画と版画の違いはあれど、並べれば一枚の絵になるほど似通った線だったはず。彼女の影響が無かったら、小6でメカを描いていたか定かでない。

 

作画力とデザイン力は、それぞれこの二人の天才からもらった。後に、中2からの(天才というより奇才の)友人の影響でキャラ(人物画)を描くようになる。キャラの有無はあまりに大きい。だから、二人の天才と出逢っていなかったら、絵もデザインもやっていない可能性さえあると思うのだ。

 

 

はてさて、すべての伏線を回収するにはあと2日掛かりそうだ。伏線は回収より、張った方が効果的か、張らない方が効果的かの判断が難しい。オチに近い部分を書いてしまったかな? 逆に、明日、オチに近い部分を唐突に出して失敗するかな? と2、3不安が残る。