●『アルプスの少女ハイジ』再考 | サンロフトの本とテレビの部屋

●『アルプスの少女ハイジ』再考

●『アルプスの少女ハイジ』再考
現在、NHK BSプレミアムで放送中。また、「家庭教師のトライ」やエースコック「スープはるさめ」のパロディCMが流れるなど人気は衰えない。1974年作とは思えないクォリティの高さもだが、一度も“忘れられた名作”にならなかったことがリメイクを妨げた理由だろう。


本放送時はビデオなど無い時代だったので、どうしても物語終盤の印象が強くなる。「クララが立った!」の名ゼリフでおなじみの、アルムの山でクララが立って歩くまでの件である。これがメインテーマとさえ思えるほどだ。だが、改めて全話観通してみると、様相は大きく違っていた。


観ているうちに、『あしたのジョー』を連想した。以前、NHK BSで『BSマンガ夜話』、『BSアニメ夜話』という番組があり、『あしたのジョー』の回の興味深い解釈を思い出したのである。「物語が進むにしたがって普通は主人公が変化するが、丈は変化しない。丈と関わった人たちが変化していく」というものだ。
ハイジも変化しない。アルムの山へ来た時も、山での生活を続けた後も、フランクフルトでも、山へ帰ってからも、まるで変わらない。変わったのはおんじであり、クララだ。


加えて、『アルプスの少女ハイジ』は特異な構造を持っている。この物語は、いわゆる「子育てもの」だ。子供と無縁そうな男が、突然ひとりで子供を育てることになるというもの。ドラマでは『パパと呼ばないで』、『パパはニュースキャスター』、『マルモのおきて』等がある。男が2人や3人だったり、子供が1人、2人、3人だったり、細かいバリエーションはあるが、子育てを通して男が変わっていく点は共通している。
無論、その男とはおんじである。頑なな性格だったのが徐々に和らぎ、再び社会と関わっていく物語なのだ。


特異な構造と感じたのは、おんじが主人公なのに中間でまったく登場しなくなることだ。ハイジがいなくなって再び頑なな性格に戻ったという描写があるだけ。ゆえにハイジが山へ帰ってきた件が、あまりにも効果的だった。同じ物語をおんじの視点で描いていたら、ハイジがいなくなった日常はさぞ退屈なものだろう。


これって、何かに似ていないだろうか?
『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)だ。ハイジがアムロでおんじがシャアに当たる。ガンダムは、主人公が大きな物語に関わらない特異な作品と言われた。当時流行っていた『宇宙戦艦ヤマト』では、ヤマトの勝利と地球が救われることはイコールだった。しかし、ガンダムの活躍と連邦の勝利にはほとんど関係が無い。はっきり覚えていないが、Z、ZZ以降はガンダムの活躍が物語の中で重要になっていったと思う。
これが物語として成立したのは、シャアの存在に他ならない。ザビ家への復讐という主題があってこそ戦争の全貌が描けたのだ。単に強大なライバルだったら話はあんなに面白くならなかったろう。

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