太宰治「失敗園」 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。


「失敗園」


昔、電子書籍が読めるようになった時に、文豪短篇小説巡りをしていたことがあった。
文章の短さのみにひかれて読んだものだが、感想も残していなかったので書いておく。


僕は自分の批評眼に自信がないし、結構本を読むのは、時間も体力も労力も使うので、「つまんなかったなあ」というだけの感想を持つのはなんだかいやだなと思う。
だから、どんなに面白くなくても、なんとか、ここがよかった、あそこがよかったという部分をみつけようと思うのだけど、この本はさっぱりわからなかった。


「わが陋屋には、六坪ほどの庭があるのだ。愚妻は、ここに、秩序も無く何やらかやら一ぱい植えたが、一見するに、すべて失敗の様子である。それら恥ずかしき身なりの植物たちが小声で囁き、私はそれを速記する。その声が、事実、聞こえるのである。必ずしも、仏人ルナアル氏の真似でも無いのだ。では。」
という前置きではじまるように、野菜たちのささやきが書かれているのだが、いったいこれが何を意味するのかわからない。
風刺なのか、諧謔なのか、それさえもわからない。


最も、野菜のなる様子など、ここ何年も見ていないのだから、そもそも情景が浮かばない。
その上に、普段ありうべからざる、野菜がしゃべる小説なのだから、ぴんとこないのは小説のせいだけでもないのだろう。


せっかく記事にするのだからと思ったので「仏人ルナアル氏」とは誰かと思って検索してみた。
ジュール・ルナールという20世紀に活躍したフランスの作家がおり、代表作に「にんじん」がある。
なんだか、聞いたことはある気がする。
ネットで検索したらいろいろと出てきたが、信頼するにあたいするかどうかすら判別つかないため、誠に中途半端であるが、これで今日は筆を置こうと思う。