書評「絶望からはじまる患者力 視覚障害を超えて」 | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

Twitterで、kaneshinさんから、
「『銀海』という眼科の関連冊子の書評で、『絶望名人カフカの人生論』が引用されています」
と教えていただき、
その内容をうかがったところ、
とても読んでみたくなりました。

現在、それがネット上にもアップされていて、
それがこちらです。

書評「絶望からはじまる患者力 視覚障害を超えて」

別の書籍の書評で、
『絶望名人』は最後に一文、引用していただいているだけですが、
全体の内容が素晴らしいです。
とても感銘を受けました。

「病を乗り越えた話は聞きたくない。
 乗り越えられなかった人の手記を読みたい」


という患者さんの言葉も引用されていますが、
わかるような気がします。
(もちろん、ご当人がどういうお気持ちが言われたかわかりませんし、
 あくまで、わかるような気がするだけですが)

私も、目の病気ではありませんが、
難病で、13年間、闘病しました。
その間、病気でも頑張った人の話ばかり聞かされました。

もちろん、それはとても励みになります。
明るい気持ちにもなります。
見習おうと思います。

でも、一方で、
小学生が、親から、立派な人の伝記をたくさん読まされて、
「こういう立派な人になるんだよ」と言われるような、
そんな無理な圧迫も感じてしまいます。
そうそう、立派な人になんかなれません。
遠すぎて、自分はどうしていいのかわかりません。

お見舞いに渡される本は、
やはりポジティブな内容の本です。
でも、「もう一生、治らない」と言われているときに、
「信じていれば、願いは何でもかなう」なんて言葉を読まされても、
哀しみが胸に迫るばかりです……。

そんなとき、
もともと好きだったカフカの、
でもそれまでは小説中心だったのですが、
日記や手紙を読むようになって、
病院のベッドで読むそれは、
まさに絶望に効く薬でした。
悲しいときには悲しい音楽が心にしみるものですが、
言葉もまったく同じです。

『絶望名人カフカの人生論』は、
そのときの体験から生まれたものです。
昔の自分のような人の手元に届くことを願っていましたが、
病院のお見舞いに持って行ってくださる人は少なそうです。
絶望している人に手渡してくださる方も少ないかもしれません。

でも、この書評の最後のところには、
こういうことが書いてあります。

「ただ、そのようなネガティブな手記はまず日の目を見ることはありません。
 いや、1つだけあります。文学です。
 ある種の文学作品の中に、ネガティブ思考の底力が表現されているのです。
 例えばフランツ・カフカ。彼は次のように書きます。……」


これはもう私としては、感激せずにはいられません。
こういうことを、
お医者さんが書いてくださったということが、
それも患者のことをとても親身に考えておられる方が書いてくださったということは、
なんとも嬉しいことです。

なお、これはまったくの偶然なのですが、
『絶望名人』を書く前に、
私は一時、目を悪くして、本を読むのが難しくなりました
そういう経験があったので、
『絶望名人』を書くときには、耳で聞いてもわかりやすいように、気をつけて書きました。

出版された後、
ボランティアで朗読してくださる方や、
点字に訳してくださる方もおられました。
これもとても嬉しいことでした。

今回の書評を書かれている医師も、
眼科ということで、なんだか不思議な気がします。

「心療眼科」というのがあるのは、恥ずかしながら、初めて知りました。
目も心が関係するんですね。
精神的問題が視覚に現れた患者さんを、たくさん診ておられる先生とのことです。