『変身』がどのようにして生まれたか、カフカ自身の手による記録が残っています! | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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『絶望名人カフカの人生論』『絶望読書』『絶望図書館』、NHK『絶望名言』などの頭木弘樹(かしらぎ・ひろき)です。
文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

『変身』がどのようにして生まれたか、
それはかなり詳しくわかっています。

というのも、カフカは、
『変身』を思いついて、書き終えるまでの間のことを、
フェリーツェへの手紙に書いているからです。

フェリーツェへの手紙に、
最初に『変身』の話が出てくるのは、
1912年11月17日のことです。
(以下、手紙の引用は、新潮社の『決定版カフカ全集』からです)

「ある小さな物語を書くつもりです。
 その物語は、ベッドで悩んでいるとき思いうかび、
 ぼくを心の底から苦しめているのです」

グレーゴルはベッドの中で、
虫になった自分に気付きますが、
カフカはこの物語を、ベッドの中で思いついたのでした。

このときはまだ「小さな物語」と呼んでいます。

次は、翌日の18日の手紙です。

「いまちょうど、昨日のぼくの物語を書こうと腰をおろしました。
 自分をそのなかへすっかり注ぎこみたいという無限のあこがれを持ち、
 明瞭に、すべての慰めなさに煽りたてられて。
 ……一日前から進まぬ長編小説に面しながら、
 新しい、同様にせき立てる物語を続けようという荒々しい願望をもち……」

「ぼくの物語」「新しい、同様にせき立てる物語」というのが、
『変身』のことです。
長編(失踪者)を書いている途中でありながら、
『変身』が心をとらえて離さず、
もう書かずにはいられなくなっている様子がよくわかります。

次は、11月23日です。

「いまはたいへん夜がふけて、ぼくは自分の小さな物語を横に片づけました。
 もっとも、それはもう二晩全然手を着けてないのですが、
 いつのまにかもっと大きな物語になりはじめています。
 ……読むためになにもお送りするつもりはありません。
 ぼくはあなたに朗読したいのです。
 そう、楽しいことでしょう、
 この物語をあなたに読んできかせ、
 同時にあなたの手をつかんでいなければならないということは。
 というのは、この物語はすこし恐いからです。
 それは『変身』という題で、あなたをひどく恐がらせるでしょう、
 そんな物語はまつぴらだとおっしゃるかもしれません」

「ぼくはいまあまり陰気で、
 あなたにお便りすべきではなかったかもしれません。
 ぼくの小さな物語の主人公もしかし、
 今日はひどい状況になりましたが、
 それはただ彼の持続的なものとなってきた不幸の最後の段階にすぎません。
 どうして、ぼくが陽気になれましょう!」

タイトルが『変身』と決まっています。

「そんな物語はまつぴらだとおっしゃる」読者は、現代でもいますね(^^)
カフカもそれはわかっていたようです。

翌日の24日の手紙。

「いままた片づけるこの書きものは、
 なんととりわけ嘔吐を催させるような物語でしょう。
 いまはもう半分すぎまで進んでいて、概して不満ではありませんが、
 それは限りなく暇吐を催させるものであり……」

『変身』を「嘔吐を催させるような物語」と言っています。

翌日の25日の手紙。

「今日はぼくは、最愛のひと、昨日のようにたくさんは
 とても書けなかった小さな物語をわきにのけ、
 あのいまいましいクラッァウヘの旅行のため、
 一日いや二日間、放っておかねばならないでしょう。
 大変残念なことだ、まだ三、四晩は必要なこの物語に
 あまり悪い結果を及ぼさないようにと望んではいますが。
 あまり悪い結果というのは、
 残念ながらこの物語はもうすでにぼくの仕事のやり方で十分害を蒙っているからです。
 こういう物語は、せいぜい一度の中断で十時間ずつ二回にわたって
 書きおろさなくちゃなりますまい、
 そうすれば前の日曜にぼくが考えていたような自然な動きと流れを得るでしょう。
 しかし十時間二回という時間はぼくの自由にならない。
 だから、最善ができないのだから、
 できるだけ善くしようとするほかはありません。
 でも、あなたに物語を朗読できないのは残念です」

この「旅行」というのは、
仕事の出張のことです。
これをカフカは後でもとても嘆きます。

翌日の26日の手紙。

「それはひどい旅行でした。
 空費された昨晩は、ぼくをまったく憂鯵にしました。
 旅行の間、少くともいくらか不幸でなかった瞬間はおそらくありませんでした」

「うちで全力を必要とする仕事のあるものは、
 決して旅立ってはならないし、
 むしろオフィスでの服従を拒否すべきなのです。
 いまもまだぼくが抱いているこの永遠の憂慮、
 つまり旅行はぼくの小さな物語を害するだろう、
 ぼくはもうなにも書けなくなるだろう等々……。
 こんな考えを抱いてひどい天気の外を眺めなければならず、
 ぬかるみのなかを歩き、ぬかるみにはまり、五時に起きなくてはなりません!」

短い旅行なのに、大文句です(笑)

長くなってきたので、続きはまたにしましょう。
『変身』についてのカフカの手紙はまだまだ続きます。

『変身』という名作が生まれる過程で、
このように克明に記録されていることは、
とても幸運なことだと思います。

それもフェリーツェのおかげで書けていると思っていたからこそです。
カフカはフェリーツェにちくいち報告したかったのでしょう。
日記のほうには、この間、『変身』に関する記述はまったくありません。
すべてフェリーツェに向けてのみ書かれているのです。