96歳まで独り暮らしをしていた伯母がうちの利用者様になった。


ほんの数か月前まで、カートを押しながら歩いて、ほぼ毎日買物やあんまさんに行っていた。


それをピタッと急にやめてしまったのである。


お金のことだって気にかけなくなってしまったという。


ちょうど小規模多機能が併設された安心ホームが空いていたので急遽手続きをして入居してもらった。


こんなタイミングで空いていたのは奇跡に近い。


私が自分の妹の子だということはわかっている。


私がここで何をしているかははっきり理解できていないようだ。


私の事がわかったり、わからなかったりしているようだ。


会いに行くと「どうもすみません。お世話かけます。」を連発するのでこちらが恐縮してしまう。


伯母の妹の私の母は若くして死んでしまい、父も母を追うように逝ってしまったので、私たち兄弟は叔母たちにはお世話になった。


親戚一同で私たちを見守っていてくれたことを肌で感じて暮らしていた。


その伯母にこんな形ではあるが恩返しができたのかな。


本当は住んでいた家で最後まで独り暮らしを支えたかった。


でもそれだけは叶わなかった。


みんなに「姪のところにいくぞ」と言われ、知らないうちに(伝えているけど忘れちゃう)部屋の用意をされ、連れて来られ、でも来てみると意外と住みやすくて、困ることもそんなになくて、みんなやさしくしてくれて・・・・・


毎日通う息子にも(東京から来ている)「もう来なくていいぞ」と言ったという。


きっと困っていないし、ありがたいと思っているし、心地よく過ごせる新しい家。


家族は心配で心配で仕方がなかった。


家族も本当はあの家で暮らさせたかった。


だけどその心配は想像を絶するのだろう。


そんな家族の想いを受け止めるかのように、伯母は静かに新しい家で暮らしている。


おばさん、ありがとう。

『RUN伴2013』


今年もみんなで参加します。


今年は「チーム苫小牧」として

総勢約100名のランナーとサポーターで襷を繋ぎます。


また、その他に各地の沿道で多くの応援が予想されています。


そんな中、なんと当日は岩倉市長が駆けつけてくださることになりました。


そして苫小牧市の公式キャラクターであるとまチョップ君が市長と一緒に応援に来てくれます。


そしてそして、そのとまチョップ君にラントモTシャツを着せようではないか!

ということになりました。


作ってくれるのは私たちの仲間である「GH幸福の里あすか」に入居されている利用者様。


さっき、とまチョップ君の採寸を自らしてきてくれたとの報告がありました。

これです。


グループホーム「花縁」物語-と間チョップ


楽しみですね・・・・・!!


かわいいとまチョップ君が益々かわいくなりますね!


RUN伴Tシャツ似合いそう!!!


「心を開く」ということ。


「心を開く」ってどんなこと?


どんな人に「心を開く」?


どんな人に「心を開いて」もらいたい?


心を開くのと、心を開いてもらうのとどっちが先かな?


どっちもあるし、両方が一緒に進行するね。



大好きな人には心を開くし、心を開いてもらいたい。

大切な人には心を開くし、心を開いてもらいたい。


心を開きあえるときとは、それぞれの価値観や考え方や性格などの何かの条件がそろっているときなのだろう。


心を開きあっていると思っていたのに、ある日違うと気づいたとき、それが「裏切られた」ということなのかもしれない。


心を開きあっていても、すべてを開いているわけではなく、相手によって開き具合がちがうこともあるだろう。


誰かの何かの困難を解決しようとするときは、自分から心を開くように意識するかもしれない。


助けてほしいと言われた人に、手助けしようとしても、心を開いてくれないと助けることはできない。



心を閉ざす理由がある。それはそれでいいだろう。

問題なのはそれに気づいているのかどうか。



「心」

自分の心に気づいているか。

気づかなければ開くこともできない。


私には私が心を開きたい人と、そうでない人がわかる。

心を開きたい人は、尊敬できる人、大切な人、大好きな人、等々である。

と同時に、それらの人は私に「心を開いてくれる人」であると思う。

だから尊敬できて、大好きで、大切な人なのではないだろうか。




グループホーム「花縁」物語-yottyann


グループホームで暮らすあるおばあちゃんの様々な想いが、同じ町に住む青年の手によって『きおく』という歌になった。




グループホームに住んで3年になる彼女は、自分の両親の存在さえも忘れたことに驚愕する。その体験を通して、今のうちにこの町を確かめたいと外に出るようになる。生きるって楽しい、生きる事って素晴らしいことを伝えたい、またこんな風に生きている年寄りがいることを誰かに聞いてもらいたいと言うようになる。


大切な思い出を忘れてしまうという切なさ、それでもたくさんの仲間たちと一緒に生きて行こうとする姿、そして家族を思い、家族に愛を残して行こうという想いをこの歌で彼が代弁する。



またこの歌では、愉快でユーモラスな彼女の中にある、豊かな感受性と芸術的な思考が生みだす感情や、発する言葉を上手に表現している。




そして介護を仕事とする人たちへ伝えたい。

彼らの生きる姿から感じ取ってほしい。

人は誰でも自分の足で立つことを望み、自分ひとりで解決することを望む。認知症という障害を抱えた人も同じである。彼らの起こす行動は全て今を必死に生きる姿なのである。BPSDなどという専門用語で表現されるような難しい話ではなく、ただただ必死に自分の人生を生きる当たり前のありのままの姿なのである。彼女が「街を知りたい」という行動も同じである。そのとき彼女の行動を制するのではなく、また彼女がそういう行動を起こすことをよくない事と捉えるのではなく、その行動が表現できるような環境作りをしてくれないだろうか?これを実践するために最も近道がある。それは介護者自身も「自分の生きる姿」を見直し、「介護する人とされる人」の立場を超えて、共に生きるものとして向き合うことだ。

彼らは精いっぱい「心」を使って生きている。その喜びや悲しみ、苦しみや楽しさなどの一瞬一瞬の感情があるからこそ、「今を生きる」人間らしさがあふれてくる。そんな彼らと共に生きるためには、私たち自身も精いっぱい「心」を使うことが求められる。「心」を使わなければ、彼らが使っている「心」を見つけることもできないし、彼らの本当の「生きたい姿」だって見えやしない。彼女の「心」は今も毎日を必死で生きている。その「心」を取りこぼさない様私たちは今日もまた「心」を使って彼らと共に生きていく。

日本中で頑張る専門職たち、あなたは「心」を使っていますか?目の前の人の生きる姿と共にある時、その「心」がカギを握ることを忘れないで。そしてそれは認知症という障害があってもなくても同じことなのであるということも忘れないでほしいのだ


あなたの隣にいる人は幸せですか?!

どうか皆さんこの歌に耳を傾けてください。


自分の人生だから死ぬまでしっかり生きて行こう!!











『グループホームで生きることを支える』


こんなタイトルで講義をすることになった。


なった。。。。。というよりもうすでに一度してきたが・・・


どんなふうに感じてくれたか?


随分と大それたタイトルである。


そもそもこのタイトルに決めた理由はあまりはっきり覚えていない。


研修を依頼してくれた人に、どんな話をしたらいいのか聞いていたら、このタイトルが浮かんできた。


グループホームという共同生活の場で、誰が何をしようとしていて、どんなことで困っているのか?

どっちの方を向いていけばいいのか、みんなで真剣に考えたいと思っているからだ。



難しいけど、このタイトルは自分でも意外と納得している。


こんな支援ができることが私の目標なんだと思うから。


ずーっと前から『人としてあるべき姿で・・・』を言い続けてきて、やっぱりそれは変わらないということを今また実感している。


具体的にはきっとまだまだだろう。



素直に誰もが


『生きていてよかった』

『いい人生だった』

『しあわせな人生だった』

と思いながら生きてもらいたい。


生まれてきてよかった、と


生きていることが尊いことだと、と


すべての人が思えるようにするにはどうしたらいいか。


新しい仲間たちと熱く語った。


RUN伴というイベントで知り合った仲間たちである。



このような話題で盛り上がれる仲間はなかなかいない。


周りが引くくらい熱いトークだった。

私にとってとっても貴重な時間になるし、明日へのエネルギーになる。



この仲間たちは、それぞれの場所である共通の思いを持ちながら、自分の人生を生きている。


みんなRUN伴に参加したいと自然に思い、普通のことのように経験した。


その行動の根底にあるものが、共通の想いなのだとわかった。



子供も大人も老人も、みんな自分の人生をしっかり自分の足で歩いている、歩いていくんだと思えるような社会にしたい。


そのために、自分の立っている場所で伝える工夫を惜しまない。


お互いに学びあえるし、刺激をもらえる素晴らしい仲間だと実感した。



これからもたくさん刺激をもらっていきたい。



自分だったらこうしてほしい。


そんなことはあてにならない。


だって、自分と一緒じゃないもの。




思い込みが全ての始まり。


真実を見失う全ての始まり。


でも真実はわからないことのほうが多い。




人を信じる。


信じるのは自分の勝手。


勝手に信じておいて裏切られたと嘆くのは筋違い。




人は安易に人を傷つける。


よかれと思う行動のほうが人を傷つける。


それは


自分と人が一緒と思い


真実を見ようとせずに


信じているという思い込みも意識せず


「○○さんのため」なんていう行動を起こすからだ。




本当に必要なのは


あるがままの姿で生きることなのではないの。










どうにかしようとする。


人はなぜ一生懸命「どうにかしようとする」のだろう。


それが自分の仕事だから。

それが自分の使命だから。

それが自分の責任だから。


あるがままの姿で生きていることをちゃんと見ているのだろうか。



この世の中にはいろんなことが起きて


自分ではどうしようもないことなんかは数限りなくやってくる。


そうならないように「どうにかしようする」ことで


いったいいくつのいろんなことを排除できるというのだろう。



どうにかしようと必死になることで


全く予想に反するまた別のことが起こってくるのである。



もう


どうにかしようなんて思わないでいい。


あるべき姿が答えなのだから。


その姿を、その存在を、そのままに。




人はなぜ「どうにかしようとする」のだろう。


それが結局、虐待であり、殺人であり、戦争であり、自殺であり・・・・・。



どうにもできないことを早く知ってほしい。


今、この場所で、こうしていること。


それがあなたのあるべき姿なのだから。




認知症による様々な症状に対しては、アセスメントをして必要に応じ対策を考えていくことが重要であることは言うまでもない。



こんなことがあった。


Iさんという、女性利用者。

昨年、認知症も徐々に進行していて、食事もとれなくなり予断を許さぬ状態に落ちいっていた。


薬を飲むのもままならず、主治医と相談しやむなく内服薬を中止し、食事が取れないので点滴をして栄養補助食品を開始した。

そしたら何が良かったのかわからないが、徐々に元気になり、以前と同じように食事が取れるようになっていった。

内服薬を全部中止したのがかえってよかったのかもしれない。

主治医からは利尿剤が一日おきに処方されていた。


今年に入り3月ごろから、「幻視・幻覚」の症状が出るようになり、そんな日は不穏な訴えと共に眠らないこともたびたびあった。


幻視や幻覚があるのは毎日ではなく、1週間に1度から多いときで2度程度。

興奮状態に移行して行き、一人で歩こうとして転倒したこともあった。

その日に彼女に何が起こっているか、よくよくアセスメントシートを見てみる。

そうすると、利尿剤を服用している日にその日が多いように見える。


主治医に相談すると、すぐにその利尿剤は中止するよう指示が出た。

中止してみると、幻視・幻覚を起こす日はめっきりなくなっていった。


生活リズムも安定してきて、食欲も十分あって3食きちんと食べている、最近ふっくらしてきたとの情報もある。

そうであれば、栄養補助食品は必要ないので、これも主治医に相談し中止することにした。


同時に排便のコントロールを始める。

今まではでなくなったら下剤を増やしていたが、そうすると失禁が多くなったり、奥のほうだけ軟便になったり、軟すぎたりすることで、腹部の違和感の訴えも多かった。

毎日の食後に整腸剤とセットで下剤を服用することで、毎日良い状態の排便にすることができた。失禁も減っていった。


この状態にして数週間経って、また変化が現れた。

幻視・幻覚が再度出現したのである。


利尿剤の影響だったころよりも頻度が高くなっていく。

夜寝ないことも、3日ほど不穏が続くこともある。

前よりもひどくなっている?印象さえあった。


なぜだろう?


利尿剤はやめている。

整腸剤で周辺症状がでるなんて、聞いたことないし。

栄養補助食品をやめたせいか?

また、全く別の何かがあるのか・・・・・?


7日GH協会で行われたスタッフ研修Ⅱ『疾患別認知症の理解』の担当だったため会場で内海先生の話を聞いていた。

その中で先生が『せん妄』の説明をしていたときだ。

『電解質の異常でも「せん妄」は起きます』

という説明がなんとなく気になった。


何故かというと、Iさんの症状は認知症による周辺症状というよりも「せん妄」に近いと感じていたからかもしれない。

Iさんに「電解質の異常が起こっているのか?」

そう考えた私は、栄養補助食品を再開しては?と考えた。

すぐに当日勤務するスタッフに伝え、その日から一日1袋再開してみた。


それから1週間がたった昨日、たまたまカンファレンスでIさんの近況報告を受ける。

あの後、一度も幻視・幻覚は起こっていないという。

毎日穏やかな日を過しているという。


まだ、何が起こるかわからないが、不思議なことだと思った。


彼女の体にはこの栄養補助食品が不可欠なものになっているのか?

そんなことってあるんだね。


電解質の異常なのかどうかは定かではないが症状が起きていないことは事実だ。


このまま不穏な状態が起こらないことを祈るばかりである。


しかし、こういったことがあるとしたら、本当に気をつけたい。


なぜそうなっているのか?

変化はなにか?


常に考えないといけない。


でないと、この症状がどんどん悪化して、それを抑える薬を飲まなくてはならなくなるから・・・・・


良かれと思って施すことが、逆に悪影響を与えることはあるものだ。

そのとき即元に戻すこと。

今までと変えたことにいつまでも執着せずに、それまでの状態に戻してみること。


そして何より、『気付き』なのである。


それが私たちの仕事なのである。


どんな気付きでもいい。


気付いて声に出して実践しよう。



7月27日~7月29日まで行われた『RUN伴2012』


苫小牧エリアでは中学生のサッカー少年たちが走ってくれました。


FCユーベルの子どもたちです。


グループホーム「花縁」物語


走る前に「サポーター養成講座」も行い

認知症とは何か、認知症の人をサポートしてほしい

そんな話を聞いてもらいました。


認知症のことを多くの人に知ってもらいたい

という活動であることも知ってもらって、当日参加してもらいました。


沿道ではグループホームのお年寄りや地域の人たちが

「ガンバレー!」「ガンバレー!」ってたくさん応援してくれました。


ゴールでは大歓迎・大応援で出迎えてくれ、

「ありがとう!」「お疲れさん!」「がんばったね!」

なんていう言葉が飛び交い、走った子どもたちに拍手が送られました。


彼らの走りが一本の襷で繋がれていきました。

そこにはいろんな人の想いが託されており

また、それを待っている人たちへ繋がれていきました。


走っただけじゃなくて、応援してくれたおばあちゃんたちのいるグループホームに行って、話をしたり、遊んだりと交流を持ちながら、一緒に応援してくれた子もいました。

そんな彼らが感想文を書いてきてくれました。


この子達はすごいよ。


この子達は身体と心で感じてくれたよ。


その一文をご紹介します。

『★走ってくれた先輩たちもすごいと思った。僕たちのかわりにタスキをわたしてくれて、そのタスキはまた次のところにわたされて、その一部にユーベルが参加して、ぼくたちは走らなかったけどなんかいい気持になった。この活動に参加する人がいっぱいいて、日本はすごく暖かいなあと思った。

★とにかくおばさんたちが笑顔で迎えてくれたのでよかった。おばさんたちは助けがないとできないことがたくさんあるので、助けを求められる前にそのことを自分で察して自然に助けられるような人になりたい。

★自分はラントモで走り、数々のグループホームを回りました。そしたら認知症の人が笑顔で出迎えてくれ、「ありがとう」とか「お疲れ」とは言っていただいて本当にうれしかったです。ぼくは本当は「えー5キロも走んのー」と心の中で思っていたけど、いざ走り終えて、たくさんの人たちに応援され感謝され本当に楽しく、気持ちよく走れました。監督、このような貴重な体験をさせていただきありがとうございました。もし、監督が認知症になったら、ここで学んだことを思い出して、僕たちが監督をお世話します。

★GHにはとてもいろいろな人がいました。その中でもぼくは怒りっぽい人に対して、どのように接するといいのかを考えながらすごした。すると、その人が何かをしでかして注意された。するともっと怒りだしてきた。その時ぼくはこう思った。この人は怒られるのが嫌なのかな。だから怒られたら反発して怒っているのかな?と思った。だからぼくはそのことを意識して、話しかけてみた。すると、その人は笑って返してくれた。ぼくはその時すごくうれしかった。

★今回のイベントは認知症の人をサポートするという形で参加しました。僕は人のために走るのは初めての体験でした。走っているときに認知症の人や色々な人が「頑張れ」という声援がとても力になりました。そこで僕は自分たちもサポートされているんだと感じました。今回のイベントで学んだことは、みんながひとりのために、ひとりがみんなのために。本当に今回のイベントは良い経験になりました。

★自分は認知症は遠い存在だと思っていました。でもちがいました。それは自分の祖父や祖母がなる可能性があることです。実際GHにいた人たちも孫がいました。自分から会えないのは悲しいだろうと思います。でもおじいちゃんたちはすごく楽しそうでした。辛いこともいっぱいあると思うけど、なんかすごいなあと思いました。自分は認知症になったらなんか悲しくなるイメージだとかんちがいしてました。でも本当は個人差はあるけど明るく強く立派に生きていました。すごく自分の中に残りました。』


中学生の感想です。

すごいでしょう。



感謝しています。


また来年も走ってね!!!みんな本当にありがとう!


そして駒澤大学の学生さんたち!!


グループホーム「花縁」物語


当日はこんな立派な横断幕で出迎えてくださり

本当にありがとうございました!!


グループホーム「花縁」物語


そしてこの襷を引き受けてくださり感謝しています。


確かに繋がっていきましたよ!!


来月は東北を通り東京へ行きます。


また来年お願いしますね!


みなさん本当にありがとうございました!