クローバーBRICs経済研究所(代表 門倉貴史) では表題のレポートを発表しました。概要は下記のとおりです。詳細はHPをご参照ください。


ジャカルタ証券取引所の歴史は古く、オランダ植民地時代の1912年に設立された。ただし、第一次世界大戦や第二次世界大戦の期間中は閉鎖されており、1952年に取引が再開された後も、事実上の休眠状態が続いていた。しかし、スハルト政権時代の1977年に政府監督機関の資本市場監督庁(Capital Market Executive Agency) が発足すると、インドネシア政府主導で資本市場や証券取引所の整備が急速に進むようになる。

1988年には、上場基準の緩和や外国人投資家参入の認可など、相次いで規制緩和策が打ち出され、ジャカルタ証券取引所を通じた株式売買が活発化するようになった。さらに、1992年7月13日には、政府(大蔵省)が直接運営していたジャカルタ証券取引所の民営化が実現した(ジャカルタ証券取引所が株式を発行して、会員となっている国内証券会社がこれを引き受けた)。

95年からは株式取引のコンピュータ・システムが導入され、その効果によって株式取引規模が大きく膨らむことになった。ジャカルタ証券取引所の87年末時点の上場企業数はわずか24社にすぎなかったが、2007年3月末時点では342社に上る。また時価総額も膨らんでおり、87年末の1000億ルピアから、2007年3月末時点では1280.2兆ルピアへと大幅に拡大した。

ジャカルタ証券取引所の代表的な株価指数がジャカルタ総合株価指数である。これまでのジャカルタ総合指数の推移をみると、通貨・金融危機が発生した97年から98年にかけては指数が大幅に落ち込んだ。しかし、200410月にユドヨノ新政権が誕生して以降は、インドネシアのマクロ経済が好調に推移しているうえ、政情も安定していることから、上昇基調をたどっている。2006年は1年間で株価指数が55.3%も上昇した。2007年3月末時点の株価指数は1830.9ポイントとなっている。

最近では、外国人投資家だけでなくインドネシア国内でも個人投資家が株式市場に参入するようになってきた。現在、インフレの沈静化を受けてインドネシア中央銀行が金融緩和政策を進めていることから、インドネシアの株価は2007年も上昇傾向で推移するとみられる。

最近、ジャカルタ証券取引所は、近隣の東南アジア諸国の証券取引所との連携を強めている。ASEAN経済共同体(AEC)が2015年に創設されるため、システムの共有化や相互上場などの動きがASEAN域内で広がりつつあるのだ。インドネシア政府は、インドネシアへの進出が活発化しているマレーシア企業に限って、マレーシア証券取引所とジャカルタ証券取引所の二重上場を認めることになった。


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