海馬之玄関amebaブログ



夏がくる。<2011年3月11日午後2時46分>があった昨年も、<2011年3月11日午後2時46分>の翌年の今年も、夏は来る、多分。大黒摩季さんの『夏が来る』じゃないけれど、そう、今年も多分夏が来る。そう、6月23日の沖縄慰霊の日から8月6日と9日の廣島・長崎の原爆投下、そして、8月15日の終戦記念日まで;毎年、戦争体験なるもの継承を訴えるTV番組や新聞の特集記事が垂れ流される。退屈で空虚な戦争体験物語がこの列島を覆うだろう、そんな空虚で退屈な夏が今年も展開される、多分。


例えば、第二次世界大戦が終結してから今日まで(2012年1月22日現在)、世界に現存する197ヵ国(今年、<2011年3月11日午後2時46分>の年の7月14日に新しく加盟した南スーダンを加え国連加盟193ヵ国+台湾+バチカン+コソボ共和国+クック諸島)の中でこの間に戦争・内乱を体験していない国は8ヵ国(+バチカン)にすぎず;アイスランド・ブータン・デンマーク・フィンランド・日本・ノルウェー・スウェーデン・スイスのこれら8ヵ国の人口は、(国連の推計による、2011年10月31日時点における)世界人口70億人の「2.3%:1億6千万人」足らずであること。このことを鑑みれば、毎年、ほとんどすべてのマスメディアを動員して「戦争体験物語」を垂れ流している日本は世界でもかなり特異な存在であることは確かだろう。


而して、光陰矢の如し、しかし、10年一日の如し、この「戦争体験の継承」について面白いコラムを朝日新聞紙上で読んだことがある。大矢雅弘論説委員の署名コラム、「戦争体験は退屈か」(2006年7月18日の『窓 論説委員室から』、朝日新聞東京本社版夕刊)である。以下このコラムの引用。


「言葉が心に届かない」。沖縄県内で3年前、ひめゆり学徒隊の生存者の講演を聴いた女子高校生がそんな感想を述べた。


その場にいたノンフィクション作家の下嶋哲朗さん(65)はこの言葉に衝撃を受けると同時に、触発もされた。戦争を語り継ぐための新しい方法論を模索して一昨年、下嶋さんは「虹の会」を立ち上げた。県内の高校生や大学生の17人が参加した。(中略)


「虹の会」では、戦争体験者が語り、若者が聴くという一方的な講演方式はやめた。若者らは毎月、戦争体験者を囲んで座り、事前に練り上げた質問を投げかけた。対話を重ねるうち、聴く方に尋ねる力がつきだした。その力が、深い苦悩を抱えて生きる戦争体験者の内面をあらわにする。


語る人と聴く人との共同作業を通じて、深い信頼関係も生まれた。お互いの言葉が相互の心に届いたとき、戦争を体験しない若者たちは、戦争をこころで「体験」したといえるのかもしれない。(中略)深く考えるようになるなど飛躍的な成長ぶりをみせた。


戦争体験の風化が言われて久しい。ともすれば、語る人の側が責任の矢面に立たされがちだ。だが、聴く側の姿勢や工夫にこそ真の原因があることを「虹の会」の試みは見事に示している。(以上、引用終了)


下嶋哲朗さんは<住民の集団自決>を一つの切り口に沖縄戦を精力的に取材されてこられたノンフィクション作家である(★)。而して、この「戦争体験は退屈か」に私が興味を持ったのは次の2点。


(1)「虹の会」の方法論はあらゆる研修の定番のメソッドの一つにすぎない
(2)「虹の会」メソッドにより話し手と聞き手の相互理解が進んだとしても、それは、戦争体験なるものの内容が歴史学的-国際政治学的に正しいということにはならず、まして、この戦争体験なるものは(1945年に生きたほとんどの日本人の戦争体験の真部分集合にすぎず)、それは2006年現在の安全保障政策の選択決定に何か特別で特権的な認識を提供するものではない;実際、戦争体験なるものは大東亜戦争後の67年間も、世界の人口の97.7%が自分自身で体験していることなのだから


★註:沖縄戦での住民の集団自決
渡嘉敷島と座間味島を舞台にして<軍の命令による住民の集団自決>があったという主張は、現在では、曽野綾子『ある神話の背景』によって完膚なきまでに粉砕されている。


軍の命令による住民の集団自決というお伽噺の代表的論者・琉球大学の高嶋伸欣さんも、現在では流石に、「軍による自決命令がなかったとしても軍の関与は明らか。住民はさまざまな形で強制され、追い詰められた」と述べ認識を修正しておられる。下嶋さんも、読谷村での集団自決に焦点を当てたその著書『チビチリガマの集団自決 「神の国」の果てに』(凱風社・2000年10月)では、集団自決への日本軍の直接的な関与よりも沖縄の悲劇の描写に比重を移しておられる。


しかし、そこには、所謂「従軍慰安婦」の存在が否定されるにともない、(貧困や韓半島における峻厳な階層格差の存在等々)「広い意味の強制」が慰安婦の募集と調達の背景にあり朝鮮総督府も軍もそのような強制と無縁だったとは思われないと強弁を張り、所謂「従軍慰安婦」の虚妄を大々的に報じた非をいまだに認めようとしない朝日新聞の姿勢と相通じるものを私は感じる。



◆「虹の会」の方法論≒研修の定番メソッド
講師が一方的に語りかける講義形式の出来栄えは(≒講師が伝えようとした情報を、聞き手が「把握」→「記憶」→「定着」→その情報に従い行動できる「使える知識」へと情報を血肉化させることのパフォーマンスは)、聞き手のマインドセットと話し手の力量のパラメーターである。


簡単な話しだ。講演のテーマや内容にあまり関心のない聴衆に対しては、予備校のどんなカリスマ講師の話も馬の耳に念仏である。よって、「若者らは毎月、戦争体験者を囲んで座り、事前に練り上げた質問を投げかけた」というのは、話し手の力量の当たり外れを補い、かつ、話しを聴こうとする聞き手の態度を改善する定番の教授法にすぎない。


また、「語る人と聴く人との共同作業」、「対話を重ねるうち、聴く方に尋ねる力がつきだした」「その力が、深い苦悩を抱えて生きる戦争体験者の内面をあらわにする」というのは、共同での事後的記憶の創作とまでは言わないけれど、少なくとも、「ある特殊な価値観に基礎づけられた共同解釈ではあろう。それは、すべての聞き手と話し手が互いに他に対して行う洗脳作業であり;実際、それは宗教団体や政治党派だけでなく、多くの企業組織やNPOで経営理念-活動理念を参加メンバーが共有するためにしばしば使われる研修メソッドでさえある。


この研修メソッドはビジネスのプレゼンテーションでもミュージカルや演劇の脚本理解でも有効だ。蓋し、赤穂浪士を描いた「仮名手本忠臣蔵」や鍋島騒動に題材を得た「花嵯峨猫魔稗史」は史実そのものではなく、「虹の会」の取り組みもそのような戦争体験なる戯曲の理解を深める作業にすぎないと思う。


畢竟、「お互いの言葉が相互の心に届いた」「若者たちは、戦争をこころで「体験」し、深く考えるようになるなど飛躍的な成長ぶりをみせた」というのは、単に、その研修や洗脳が成功したというだけのことであり、それは戦争体験なるものの普遍性を意味していない。蓋し、戦争体験なるものに普遍性があるからこそ研修スタイルやメソッドを工夫すれば戦争を体験していない若者も戦争を理解できるようになるのではない。



◆「虹の会」メソッドと戦争体験なるものの普遍性
大東亜戦争終結後66年。1945年に成人した方はすでにとうに傘寿を超え卒寿間近の87歳。ならば、大東亜戦争の記憶を持っている方が年々鬼籍に入られることは自然の流れであり、「戦争経験→反戦」がダイレクトにかつ普遍的に導かれるものと願望する向きにはこの自然な流れは困ったことではあろう。


けれども、世界の97.7%の人々は自身が戦争体験者であるにもかかわらず、絶対平和主義の信奉者などは統計上は無視して大過ない数値にとどまる;また、大東亜戦争を経験した日本人の過半がこの半世紀以上、実際には日米安全保障条約と自衛権と自衛隊を支持し続けてきた。蓋し、「戦争経験→反戦」がダイレクトにかつ普遍的に導かれるという根拠は成立しないのである。


ならば、朝日新聞や岩波書店に代表される大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力の願望とは裏腹に、「虹の会」の取り組みなど学芸会の台詞理解とそう大差はなく;そこで継承される戦争体験なるものは他者の大東亜戦争理解や戦争そのものの評価、あるいは、戦争責任/戦後責任の理解を普遍的に拘束するものではない。


戦争体験なるものを継承しようとする論者は、同時に、日本では現在に至るまで戦争責任がきちんと問われてこなかったと主張されているようだ。而して、戦争体験なるものを継承することは、


(イ)戦時指導者の戦争の責任を問い、(ロ)多少に係わらず日本国民として植民地支配や戦争に協力した自己の責任を問い、(ハ)戦後の不十分な責任追及を認識し、(ニ)諸外国の日本が戦争被害を与えた者の訴えに十分耳を傾けてこなかった日本国民の戦後責任を認識し、よって、(ホ)戦後もアメリカが繰り返し引き起こしてきた多くの戦争に日本国民が協力してきた事実を反省する契機と基盤になると、そのような論者は主張しておられるように見える(尚、戦争責任/戦後責任についての私の基本的な考えについては下記拙稿を参照いただきたい)。


・高橋哲哉『歴史/修正主義』
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3ddaab9f79ee4ac630414d90fd957c75



畢竟、政治家は国政に関して法的には結果責任を負わない。結果責任を問われるのは政治責任/道義責任であろうが、もともと「確実に国民を幸福にする/間違っても敗戦に伴なう塗炭の苦しみを国民に味あわせない」などを履行する義務も責務も政治指導者は負ってなどいない。


なぜならば、歴史の激動が人智を超えるものである以上、不可能事を誰も約束もできないし、不可能の不履行を責められる筋合いは誰にもないからである。まして、国際法的にもきわめて根拠の怪しい「東京裁判」や所謂「A級戦犯」、他方、戦争体験なるものを根拠に当時の政治指導者や日本国民の責任を追及しようとする心性は、国は国民を幸せにする責務があり、また、国家はそれを行う能力を持っているという国への甘えと幻想に発するものであろう。


日本は自身の手で戦時指導者を裁いてこなかったのか? 否である。日本国民には彼等を裁くチャンスはいくらでもあった。しかし、実際には、国会の全会一致で戦時指導者を含む所謂「戦犯」の名誉回復を行うことを日本人は選択した。ならば、これこそ日本人が戦時指導者に下した明確な<裁き>ではなかろうか。それとも、戦時指導者への裁きとは彼等を批判・糾弾するものに限定されるとでもいうのか?  そんな限定の根拠はどこにもない。ならば、戦時指導者を批判的に裁くべしという主張は<私怨>もしくは<反日&親特定アジアという特殊な政治的イデオロギー>の帰結に過ぎない。


蓋し、この両者のいずれにも無縁な若者にとって、「虹の会」のような研修メソッドを導入した所で、戦争体験なるものが退屈なのは当然なのだ。イラクに派遣されていた陸上自衛隊の任務終了に伴う帰国に際して、我が優秀で勇敢なるその陸上自衛隊の隊員諸君の制服での民間チャーター機への搭乗を(帰国する自衛隊員を感謝と真心をもって迎えたいという国民の圧倒的な声に)航空会社労組もとうとう抗えず容認せざるをえなかったこの社会のあり方の異常さ。すなわち、極めて空虚で文学的な戦争体験なるものを根拠に大東亜戦争の意味を自虐的に理解させよとする試みに対して、多くの若者がそれを現実の歴史や現下の国際政治とは無縁な「退屈な戦争体験」という評価を下すことは当然であろう。私はそのように考えます。