海馬之玄関amebaブログ



2011年のEUの金融危機や2008年のリーマンショックを契機にして、あるいは、所謂「失われた10年」から日本を脱却させた小泉構造改革が道半ばで小休止したことに起因する、(それ自体は根拠薄弱さを曝して竜頭蛇尾に終った)所謂「格差社会論」の残り火によるものなのか、、(アメリカの「the 99%」による「ウォール街占拠騒動」とは些か趣を異にしてでしょうか。喰うに困っているわけでもなさそうな、朝日新聞の編集員や税金で暮らしている左翼・リベラルの国立大学の教員等々のインテリさん達からの)「新自由主義」に対する批判を超えて「資本主義」自体に対する批判がまた日本では喧しいようです。


しかし、リーマンショックやEU危機の直撃を受けている、その欧米自体では、現在の「資本主義-市場主義経済」にどのようなスタビライザー(制度的な安定装置)を組み込めば世界金融システムは再生可能なのか、あるいは、どのような「経済的-社会的規制」のパッケージを導入すればアメリカ流の強欲資本主義的な反社会的で美しくない企業行動を抑制できるかが政策論議の中心である。それに対して、日本では「正か邪か!」の如き勢いで、かつ、「文芸批評家的」な高みからする無責任な「資本主義の終焉論」が論者の口の端に上ることも稀ではないように思われます。


換言すれば、現下の資本主義の昂進、すなわち、グローバル化の波濤の前に、既存の間接民主主義的の政治制度が機能不全状態に陥っているかの如き現前の事態に茫然自失となり、謂わば、羹に懲りて(あるいは、福島の原発事故に悪乗りして)膾と法螺を吹く、「資本主義は終わった」とかのたまう論者が日本では少なくないということでしょうか。


けれども、「社会主義の勝利は歴史の法則」と強弁して、「マルクスの史的唯物論の無謬性」を詐称したマルクス主義者とは違い、保守系の論者は、史上誰一人「資本主義が完璧な制度だ」などと言ったことはない。ただ、チャーチルが民主主義について語った顰みに倣えば、「資本主義は、所得と資源の分配と交換に関する最悪のシステムである、ただし、「社会主義」を筆頭に今まで存在したシステムを除けば」とは考えてきたの、鴨。而して、「マルクスの史的唯物論」などは「マルクスの唯の私的な呟き」にしかすぎなかったこと。このことを1989年-1991年の社会主義崩壊の前後に全人類が目撃したのではないかと思います。


ならば、確かに、資本主義は、例えば、①利潤の追求が自己目的化する(資本の自己増殖を基本的には制御できない)、②資源と所得の分配が基本的には<市場>に任せられ、<欲望の暴力>が支配する無政府状態的システムではあるが、人類は当座それと添い寝するしかない。畢竟、この諦観というか、現世利益を期待しない大人の態度からは(要は、保守主義の立場からは)、「倒産こそ資本主義の強靱さ(robustness)と資本主義社会の活気(vitality)の裏面」とも理解できるのかもしれません。


カール・マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852年-1869年)の劈頭で「ヘーゲルはどこかで、すべて世界史上の大事件と大人物はいわば二度現われる、と言っている。ただ彼は、「最初は悲劇として二度目は喜劇として」とつけ加えるのを忘れた」と書いていますが、「社会主義-共産主義の破綻」も二度あるの、鴨。もちろん、最初は「悲劇-社会主義諸国の崩壊という歴史上の事件」として、そして、二度目は「喜劇-社会主義という<死者>を蘇生させようとする無意味な文芸評論的の茶番」として。


本稿はそのような「喜劇」を楽しむための、つまり、「隠れ左翼の遠吠え」をよりよく理解するための「観劇ガイド」です。他方、それが結局はいかに馬鹿げた主張であれ、なにほどかの根拠に基づき論理的に語られる主張はその知の領域に不案内な者にとって、例えば、ミシェル・フーコーが語った意味での「権力としての知=素人たる他者に沈黙と隷属を強いる力としての専門知」になりかねないでしょう。よって、本稿の第二の目的は、日本の隠れ左翼たるプロ市民やリベラル派に対する「携帯用理論武装アイテム」を保守派の同志の皆さんに提供することです。


実際、書籍でもネットでも、マルクスに関する簡潔な「要点便覧」は極めて稀。Wikipediaにせよ、それは左翼の(百歩譲って左右の)「マルクス愛好家」による、「マルクス愛好家のためのマルクス紹介」でしかない。蓋し、戦後民主主義を信奉する左翼プロ市民や朝日新聞の主張に反論する上でマルクスについて何を知っていればよく何は知らなくてもよいのかを仕分けした上で、(不愉快ながら必要になる蓋然性の高い)要点のリストと要点の概要をまとめたそれこそ印刷すればA3サイズ2枚二つ折のリーフレット程度にまとめられた保守派向けの情報はほとんどないのではないでしょうか。而して、「ないなら作ってしまえ!」と。これが本稿作成のそもそもの動機です。


加之、本稿にはもう一つの目的がある。それは保守派の皆さんにマルクスの社会思想に対する興味や関心を持っていただくことです。蓋し、ポスト工業化社会における「限界費用逓減」の傾向が現実味を増しており(マルクスの経済学が依拠するパラダイムたる古典派経済学を打ち倒した)新古典派総合の経済学さえその理論的基盤が揺らいでいる現在では尚更「マルクス主義経済学」なるものには、最早、学説史上の価値しかない。要は、マルクスの思想が「マルクス主義経済学」にすべて還元可能ならば経済学史に興味のある向きでもない限りマルクスの著作を今更紐解く必要はまずないのです。


では、マルクスの思想はマルクス主義経済学に還元可能か? 私はそうは考えません。比喩を使い敷衍すれば、マルクスの思想は「宇野経済学」に収まりきれるものではなく「向坂逸郎のマルクス主義」をも包含している、と。マルクス経済学などは、最早、過去の遺物にすぎぬとしても、マルクスの社会思想はいまだによりよい社会の再構築を希求する者にとって豊饒なアイデアの源泉である、と。


蓋し、マルクスは結果的にせよ『資本論』という経済学の書物に表示義(denotation)としての経済理論のみならず共示義(connotation)としての社会思想・社会哲学を盛り込んだと言えるのかもしれない。『資本論』の副題が「経済学批判」であることはそれを暗示しているように私には思えるのです。


もちろんこれらのことは読者の側のテクスト解釈に任せられるべき事象であり、私は、例えば、アルセチュール『資本論を読む』や廣松渉『マルクス主義の成立過程』『物象化論の構図』の如く、私のマルクス解釈が「マルクスの真意」であるなどと僭称する者ではありません。というか、誰にせよ「ドイツ語のできる腕っこきの降霊術師」でも雇わない限りマルクスの真意なるものを特定することは不可能なはず。


ならば、2012年に生きる我々にとってのマルクス主義とは歴史的に受け取られてきた(つまり、マルクス=レーニン主義からのマルクス解釈を中心とした)マルクスの<テクスト>の意味内容でしかなく、アルセチュールの解釈も廣松渉の解釈もこの知識社会学的な観点からは単なるプライベートなマルクス解釈のone of themにすぎないのでしょうから。


畢竟、マルクスの社会思想(例えば、弁証法的唯物論-唯物史観、「上部構造-下部構造」論、疎外論・物象化論・物神性論、商品論-貨幣論、「市民社会-政治的国家」論、恐慌論)は現在では人類の知的共有財産と言うべきものであり、而して、それは我々保守派が「態度としての保守主義」を超えて体系的かつ実践政策的な「社会思想としての保守主義」を構築していく上でアイデアの宝庫とも呼ぶべきものではないのか。


マルクスの社会思想に対してこのような認識と評価を持つがゆえに、(専門外の素人であることを顧みず)謂わば「マルクスの可能性の残余」と私に思えるマルクスの社会思想の便覧を保守派の同志の皆さんに向けて書くことにしました。


尚、私の「保守主義」「マルクス主義」を巡る基本的な考え方は

下記の拙稿をご一読いただければ嬉しいと思います。


・保守主義-保守主義の憲法観
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11144611678.html


・「左翼」の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148165149.html


・覚書★保守主義と資本主義の結節点としての<郷里>(上)~(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/bdcdd6661ad82103a6d8d07d93eb7049



・地震と政治-柘榴としての国家と玉葱としての国民(上)~(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c53f3d49dc682027abeb71bf42726026



・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11146780998.html






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◇目次
・マルクスの生涯と著作
・マルクス社会思想の背景と構図
・マルクス関連必須用語
・保守主義から見たマルクスの可能性の残余



◆マルクスの生涯と著作
カール・マルクス(Karl Marx:1818年-1883年)はドイツのラインラント州トリーア市にプロテスタントに改宗した「洗礼ユダヤ人」弁護士ハインリッヒ(Heinrich Marx:1777年-1838年)の子として生まれました。しかし、マルクスの父方も母方もユダヤ教のラビ(rabbi:ユダヤ教の教師・律法学者)の家系であり、マルクスも「割礼を受けたユダヤ人」ですが6歳の時に洗礼を受けプロテスタントに改宗しています。マルクスの生涯を大雑把に整理すれば次の四期に区分けすることができると思います(下記URLの地図参照)。


http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/10/be0980a5bd6ae4b0bc95a362c5b0f051.jpg?random=abf9a25e3dee24c9ca5a55d6d803df52


(Ⅰ)ドイツ時代:1818年5月-1843年9月
(Ⅱ)パリ時代:1843年10月-1845年1月
(Ⅲ)ブリュッセル時代:1845年2月-1849年8月
(Ⅳ)ロンドン時代:1849年9月-1883年3月



マルクスの生涯の同志であり親友であったエンゲルス(Friedrich Engels:1820年-1895年)はマルクスより2歳下。多少因縁めいた話をすれば、マルクスの没年(1883年)に「マクロ経済学」の創設者ケインズと「資本主義の経済発展におけるイノベーションの死活的重要性」を説いたシュンペーターが生まれています。


日本でマルクスと生年の近い人物としては、井伊直弼(1815年-1860年)、島津久光(1817年-1887年)、勝海舟(1823年-1899年)、大村益次郎(1824年-1869年)、天璋院篤姫の夫である徳川家定(1824年-1858年)等々がおり、大久保利通(1830年-1878年)、吉田松陰(1830年-1859年)、孝明天皇(1831年-1866年)はマルクスより一回り下の世代にあたります。


而して、マルクスの主著『資本論』の第1巻(1867年)が世に出たのは大政奉還の年、我が明治維新の年なのです。アダム・スミスの主著『国富論』(1776年)が出版された年に独立宣言がアメリカで採択されたことと併せて歴史の妙を感じてしまいます。



<続く>