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自衛隊は合憲か? 現行憲法上、核武装は可能か? 敵基地への先制攻撃は違憲か? そして、集団的自衛権を現行憲法は認めているのか、その行使は憲法上可能なのか? 



等々、本稿は、このブログでもこれまで断片的に書いてきた「安全保障を巡る現行憲法の意味内容」について整理するものです。併せて、憲法解釈の枠組みとしての「憲法基礎論の思考パターン」についてもこの機会に触れることにしました。



蓋し、アカデミックな観点から言えば、本稿の叙述にはほとんどオリジナリティーはない。要は、「安全保障を巡る現行憲法の意味を確定する理路と論点」に限定すれば、本稿の記述は、「憲法基礎論-法学方法論」のデ・ファクト・スタンダードな世界の<通説=常識>の紹介に過ぎないと思います。



けれども、安全保障を巡る現行憲法の意味を確定するための論点に関して本稿の理路に従い世界の<常識>を並べた考察が我々を連れて行く所は、「自衛隊も核武装も、そして、先制攻撃も集団的自衛権の行使も日本の現行憲法から見て合憲となり得る」という帰結。



而して、(イ)その帰結が戦後の日本の<常識>とはほとんど180度異なるがゆえにでしょうか、あるいは、(ロ)デ・ファクト・スタンダードな世界の<通説>があくまでも<専門家コミュニティー内部の常識>であり、それを理解するには、些か、法哲学(≒法概念論&法学方法論)のテクニカルな知識が不可欠だからでしょうか。日本では、素人にも結論が白黒はっきりする大学受験参考書の「章のまとめ」の如き形式で、かつ、世界の<通説>を踏まえた安全保障を巡る日本の現行憲法の総合的な解釈を私は寡聞にして知りません。ならば、素人が素人向けに書いた本稿もなにがしか読者の皆様に参考になるところもある、鴨。と、そう私は考えています。



尚、集団的自衛権に関する世界の<通説>としては、例えば、佐瀬昌盛『集団的自衛権』(PHP新書・2001年)、および、現行憲法における集団的自衛権論の詳細に関して下記拙稿をご参照ください。



・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9a5d412e9b3d1021b91ede0978f0d241





◆憲法9条の源流
集団的自衛権を現行憲法は認めているのか、就中、その行使については如何。この問いに答えるための論点と理路は大凡次の通りであろうと思います。


①そもそも憲法は自衛権を放棄できるのか?
②現行憲法9条が制限している「国権の発動たる戦争」および「武力による威嚇又は武力の行使」「交戦権」の行使に自衛権の行使は含まれているのか? すなわち、現行憲法9条に言う「国際紛争」には自衛戦争や自衛のための武力の行使は含まれるのか?

③所謂「個別的自衛権と集団的自衛権」は別物か?
④集団的自衛権に関して内閣法制局が述べるが如き、保有するが行使できない権利なるものはそもそも存在しうるのか? それは「アイスクリームを食べる権利は誰にでもあるが、健康のためにアイスクリームを控えることはその人(=日本国)の自由」(長谷部恭男氏)という類のものか?
    
少し退屈な記述になろうかと思いますが、これら①~④の考察に先立って、現行憲法9条の源流を一瞥しておきましょう。集団的自衛権に関する世界の<通説>から現行憲法の意味内容を理解するためにはこの作業が不可欠だろうからです。



畢竟、1947年に施行された日本国憲法の9条は、国際連盟規約(1920年)、「パリ不戦条約」(1928年)、および、国連憲章(1945年)の流れを汲むものです(以下「不戦条約」はKABU訳)。



パリ不戦条約に曰く、「締約国は国際紛争解決のために戦争に訴えることを非とし、かつ、その相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄する」(1条)、「締約国は相互間に起こり得る一切の紛争又は紛議はその性質または原因の如何を問わず平和的手段に依るの外これの処理または解決を求めない」(2条)、と。

国連憲章に曰く、「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によつて国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない」(2条3項)、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」(2条4項)、と。 

 

【参考】
◎日本国憲法 第二章 戦争の放棄
9条1項 
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


9条2項  
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

    
不戦条約および国連憲章の内容を盛り込んだ、少なくとも、

その思想的な影響下にあると解される憲法は、



【国際紛争の平和的解決】ウズベキスタン、キルギス、中央アフリカ
【侵略戦争の否定】ドイツ、フランス、韓国
【国際紛争を解決する手段としての戦争放棄】日本、イタリア、ハンガリー    



等々枚挙に暇がありません。よって、9条に着目して「平和憲法」(パチンコ台製造メーカーの社訓?)と呼ぶ論者もいる現行の日本国憲法が、実は、世界的に見てそう特異なものでもないことが分かると思います。



而して、安全保障を巡る現行憲法の規範意味を理解する上で更に参考にすべきは、不戦条約の前文第3項とその条約締結に際して、締結国がつけた解釈の留保(「解釈公文」:その締結国は不戦条約を以下の内容のものとして締結するのであり、それ以外の解釈にその締結国は拘束されないとする条約締結の条件)、および、国連憲章51条の規定です。



不戦条約前文3項
その相互関係における一切の変更は平和的手段に依ってのみこれを求めるべきであり、又平和的で秩序ある手続の結果でなければならいないこと、及び、今後戦争に訴へて国家の利益を増進しようとする署名国は本条約の提供する利益を拒否せられることになることを確信して・・・本条約を締結する。



・ドイツの留保
この条約は、どの国も持つ自己を防衛する主体的権利に影響するものでないと信ずる。もしある国がこの条約を破れば他の締約国がその国に対する関係において行動の自由を回復するのは自明の理である。従ってこのような条約違反により損害を受けた国が平和を乱す国に対して武器を取るのは何ら妨げられることはない。


・アメリカの留保
不戦条約・・・は、如何なる形であっても自衛権を制限し、または傷つける何者をも含まない。この権利はどの主権国家にも固有のものであり、どの条約にも暗黙に含まれている。各国は如何なる時にも、また条約の条項の如何を問わず、自国の領土を攻撃または侵入から守る自由を持ち、また事態が自衛の為の戦争に訴えることを必要ならしめるか否かを独自に決定する権利を持つ。


・英国の留保
世界のある地域は、その繁栄と保全が我々の平和と安全に特別かつ死活的利害関係を持つ・・・これらの地域を攻撃に対して護ることは英帝国にとって一つの自衛手段である。我々は新条約がこの点につき政府の自由行動を害しないものと了解してこの条約に賛成する。


国連憲章51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。

   
蓋し、不戦条約も国連憲章も「自衛戦争=自衛権」を否定してはいないこと(かつ、不戦条約締結に際しての英国の留保は明確に集団的自衛権を主張していること)、よって、国連憲章が発効した後に制定された日本の現行憲法9条についても自衛戦争や自衛権の行使が「武力による威嚇又は武力の行使」ではないことは自明であろうと思います。



畢竟、実際、このような国連憲章と各国憲法の不戦条項の理解が世界の<通説>なのです。すなわち、現行の日本国憲法も自衛権を否定するものではない、と。では、集団的自衛権を現行憲法は認めているのか。いよいよこの検討に入りたいと思います。



尚、日本と世界の<常識>の乖離、すなわち、日本と世界が安全保障を巡って謂わば「同床異夢」の関係にあることについては下記拙稿をご一読ください。



・国際社会と日本との間で<人権>を巡る認識の落差が拡大しているらしい
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11916348036.html


・歴史修正主義を批判するリベラル派の知性の貧困
 --占領憲法をガダラの豚にしましょう
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11972266400.html


・戦争は人為か自然か?
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c187dd58fb5747c0f767685c241e0f2b

◆集団的自衛権を巡る憲法論
結論から書けば、安全保障を巡る日本の現行憲法の意味内容はこう捉えられるでしょう。



①憲法は自衛権を放棄できるか?
・自衛権は国家の「固有の権利=自然権」(国家が主権国家であるという事実だけによって認められる不可侵かつ譲渡不可能な権利であり)憲法典の規定をもってしてもそれを放棄することはできない。



②「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」に自衛権の行使は含まれるのか? 
・自衛戦争や自衛のための武力行使が不可避な状況の存否は日本が単独独力でそれを左右できるものでない。ならば、「法は不可能を誰にも求めない」の法箴どおり、憲法9条が制限している「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇又は武力の行使」には自衛権の行使は含まれず、同様に、憲法9条に言う「国際紛争」には自衛戦争や自衛のために武力が行使される事態は含まれない。


ならば、自衛のための武力(自衛隊)の保有と行使、または、それが自衛のために必要かつ相当であれば核武装と核兵器の使用、そして、敵基地への先制攻撃も憲法上可能である。尚、自衛権の行使は、予防・防衛・報復の三類型を含むことも自衛権理解の世界の<常識>である。



③個別的自衛権と集団的自衛権は別物か?
・国連憲章、および、パリ不戦条約締結の際の英国の留保を紐解くまでもなく(世界のどの国の安全も他のどの国のあり方と無関係ではなくなっている現下のグローバル化の時代において、要は、各国が単独ではその安全と生存を全うできない)現下の状況において、「他衛権」としての集団的自衛権も自国の安全に不可欠な制度であり、而して、主権国家の「固有の権利=自然権」である点において自衛権に個別的と集団的との差異は存在しない。



④保有するが行使できない権利なるものは存在しうるのか? 
・外に対しては独立の内に対しては最高の法的権威である主権国家にとって(自己の意志によって政策的に「権利を行使しない」という判断はあり得たとしても)、集団的自衛権を憲法上保有しているが憲法上行使できないというのは背理である。すなわち、累代の内閣法制局の憲法解釈は破綻している。


ならば、プリコミットメントとして、政策的に「アイスクリームを食べない=集団的自衛権の行使を行なわない」という「決定=憲法制定&憲法の有権希釈」を行なうことは可能ではあるけれど、その決定は、(憲法改正や新憲法の制定等の手続を踏むことなく)主権国家がいつでも撤回できる「原理=政治的スローガン」に過ぎず、それは、国家の「固有の権利=自然権」としての集団的自衛権を否定するものではない。すなわち、現行憲法9条は集団的自衛権の行使を究極的最終的に否定するものではない。 
  
以下、敷衍します。



<続く>