なぜ悪いのか、きちんと子供に理解させて指導するのが良い。
このように言われることがある。
この考えが一般化しているらしく、どうやら教室では、子供に対して「なぜ悪いのか」という理由を説明して、指導している場合が多い。

「危ないから、やめなさい」
「みんなが待っているから、急ぎなさい」
「そんなことを言ったら、相手が傷つくでしょ。言っちゃダメ」

こういう指導は、誤りではない。
誤りではないが、こういう指導だけではいけない。
こういう指導をしてばかりいると、指導されたほうが常に理由を求めるようになる。
次のようにだ。

ストーブに腰を掛けている子がいる。
教師「そこに座ってはいけないよ」
子供「え? どうして?」
教師「ストーブが壊れるだろ」
子供「今は夏だよ」
教師「そこは、座る場所ではないだろ」
子供「だって、みんな座っているよ」
教師「そんなの関係なから、降りろ」
子供「はぁい。」

いつでも理由を説明する丁寧さが、他者に理由を求める我儘を育てている。
「だめだ」と禁止を教え、理由は自分で考えさせるのも必要である。

「ならぬ事はならぬものです」
会津藩の「什の誓ひ」にある言葉である。

「だめなものは、だめ」
それでよい場合も多い。