渡辺さん
古代職業部との関係
昨日は「光源氏」を説明しながら、唐突に渡辺氏や松浦氏の名前を登場させた。
偶然選んだニックネームのモデルの先祖が嵯峨源氏の始祖、その子孫が渡辺、松浦。
今朝、古くからの友人・渡辺君に電話で確認した(当然ながら怪訝そうな声だった(爆笑)
間違いなく「嵯峨源氏で家紋も渡辺星」だった。\(゜□゜)/
図1.渡辺星(代表例)
最も良く見られる。三ツ星はオリオン星座の中央で勝ち星(将軍星)、一は一番乗り。
渡辺さんとは間違えても喧嘩をしてはいけない。勝ち目はないぞ!
実はもう一つ偶然がある。相互読者のK氏のブログで、「判子屋泣かせの渡辺氏」
を拝読した。情報源は判子(スタンプ)メーカーのシャチハタらしいが、
「渡辺の辺の表現文字が130種類もある」
「注文が来れば作らざるを得ない」と。\(゜□゜)/
普通の「渡辺」「渡邊」さん以外の表現文字は
渡部- ワタナベ、ワタベ、ワタリベ 職業部の一つ、渡船の事を職とした。
----- 越後にこの地名がある。後世の渡部氏は嵯峨源氏であり、渡邊氏に同じ。
綿鍋- ワタナベ 安房国の洲崎神社縁起に伝わる。
渡那部-ワタナベ 渡部、渡邊に同じ。
渡多邊-ワタナベ、ワタベ 同上。
和田鍋-ワタナベ
渡鍋-ワタナベ
競--- ワタナベ
綿奈辺-ワタナベ
綿奈部-ワタナベ
綿部- ワタナベ
以上10種類を見付けた。御存知の方はコメントまたはメッセージで宜しく。m(_ _ )m
家系図:系図は存在するが人数が多いので、ブログでは「図」に示すのが困難。
嵯峨天皇は漢籍や中国文化を好み、皇子や皇女に一字名を与えた特徴がある。
代々その伝統が受け継がれた。 その系列を「→」で示す。「↓」は兄弟関係。
52代
嵯峨天皇→融(源氏の初め16人の12番目)→昇→仕→宛→綱(渡辺)→**
**久→正→糺ーーーーーー綱の子:久は松浦氏の祖になるが割愛した。
ーーーーー↓
ーーーーー安→伝→重→調
ーーーーー↓ー↓ー↓ー↓
ーーーーー↓ー↓ー↓ー親→定→了
ーーーーー↓ー↓ー↓ー↓
ーーーーー↓ー↓ー↓ー教→連→尋
ーーーーー↓ー↓ー↓
ーーーーー↓ー↓ー満→備
ーーーーー↓ー↓ー↓ー↓
ーーーーー↓ー↓ー↓ー省→学
ーーーーー↓ー↓ー↓ーーー↓
ーーーーー↓ー↓ー↓ーーー授
ーーーーー↓ー↓ー↓ーーー↓
ーーーーー↓ー↓ー↓ーーー与
ーーーーー↓ー↓ー↓
ーーーーー↓ー↓ー昇→競→馴
ーーーーー↓ー↓
ーーーーー↓ー至→双→加→注
ーーーーー↓
ーーーーー貞→順→悟→知
ーーーーー↓ーーー↓
ーーーーー精ーーー走
結論として整理をしておく:
1.渡部族:古代のワタリ部で船渡し。今の船頭ではない。人の命を預かるので、
重要で神聖な仕事でワタリ部の専業で、大切な渡し場なのでその周辺を
渡辺と言った。亘理(ワタリ)と言う地名も残る。
渡部氏は日本海側に多いのはこのためである。
2.渡辺族:嵯峨源氏の子孫「源綱(みなもとのつな)」がこの渡辺の土地を領有した。
地名をとって「渡辺」を名乗った。この一族は武力にも優れ、戦国時代になると、
武田・今川・織田・徳川・毛利など有力戦国武将に仕え、大いに成果を挙げた。
渡辺氏は全国に広まっていった。
東日本では4位と多く、西日本では13位、全国では5位になる。