食堂の主人がいそいそと店の奥に引っ込んでいくと、
入れ替わりに娘のエームが、つんとした顔をして現れた。
「父さんが、これ、あなたに持って行けって」
両手には、使い込まれた木のトレイを持っている。
トレイの上には、煮込み料理の皿と、薄くかりっと焼いたパン、
そしてスプーンが、のっていた。
「父さんの得意料理なの」
エームはそっけなく言った。
「ありがとうございます」
イチはエームを見つめ、感謝を込めた笑みを浮かべた。
途端にエームは赤くなり、空いたテーブルの方へと顎を突き出し、怒鳴りだした。
「さっさと座ってよ!」
イチは慌てて、テーブルについた。
目の前にトレイが置かれると、イチは煮込み料理の香ばしい湯気を吸い込み、
スプーンを手にした。
こってりとしたブラウンソースの中に、柔らかく煮込んだ羊肉や玉ねぎが入っている。
イチはスプーンにのせた羊の肉に向かってささやいた。
「申し訳ないけれど、いただかせてもらうよ。
明日も大切に生きるからね。ありがとう」
「何よそれ」
エームがイチを見下ろし、尋ねた。
「私の国では、獣の肉を食べる時には、お詫びと感謝の言葉を言うんですよ」
エームは顔をしかめて首を振った。
「悪趣味なしきたりね。謝っても、感謝しても、食べる事には変わりないんでしょ」
「そうです。でも、言わずにはいられないんですよ」
「ふうん」
エームは不満そうに言った。
イチはもう一度、羊の肉に「ありがとう」とささやくと、それを食べてた。
そして思わず呟いた。
「美味しい」
「あたりまえじゃないの」
エームはイチの隣の椅子に素早く腰を下ろし、得意気に言った。
「その薄いパンを浸して食べても美味しいのよ」
イチはさっそく試してみると、エームに顔を向け、にっこりとうなずいた。
「本当ですね」
しかし、また顔を赤くしたエームに怒鳴られた。
「こっち見てる暇があったら、さっさと食べて!
父さんが、からくり人形を持って戻ってきたら、店中大騒ぎになって
食事なんて出来なくなるんだからね!」
イチは急いで皿に向き直り、エームに聞いた。
「からくり人形というのは、どんな人形なんですか?」
「あなた見た事がないの?」
エームは少し馬鹿にしたように聞き返した。
イチはうなずいた。
「残念ながら、ありません。
別の町で噂は聞いた事があります
とても素晴らしいものだけれど、高価なので持っている人は少ないと」
「そうよ。すごく高価なの。
昔、お祖父さんが伯母さんの誕生日に、無理して買ってあげたものなんですって。
伯母さんっていうのは、父さんの姉さんの事よ。
病弱な人で、子供のうちに亡くなったの。
ずっとベッドの中で過ごしてたから、遊び相手もいなくて、
からくり人形を毎日眺めていたんですって。気の毒よね。
綺麗で優しい人だったって、父さんが言ってた。
亡くなった後、からくり人形は形見として父さんに譲られたの。
父さんはそれからずっと大切にしてるわ」
「大切な思い出の品なんですね」
イチはエームの方に顔を向け、しんみりと言った。
エームは顔を赤くして、怒鳴った。
「こっちを見てる暇があったら、さっさと食べてって何度言えば分かるのよ!」
イチは慌てて、皿に向き直った。