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川から戻り、薄いスープと硬いパンの食事が終わると、


イチはヴァールのおばさんを食堂の椅子に座らせた。



「なんだか、ドキドキするねえ」



そわそわと落ち着かない様子のおばさんに、イチはにっこり微笑みかけた。



「簡単なスケッチですから、そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」



イチは鞄から紙と鉛筆と画板を取り出し、


おばさんの正面に置いた椅子に座ると、何も言わず描き始めた。



男達は仕事を探しに行く前に、少しだけ見るつもりでイチの後ろから


絵を覗き込み、そのままそこを動けなくなった。



イチが無造作といっていいほど素早くひいた線は、紙に描かれた瞬間に、


目の前にいるおばさんの生き生きとした頬や、瞳や、唇になっていった。


まるで魔法のようだった。




それほど時間が経たないうちにイチは鉛筆を置いた。


そして背後から異様な気配を感じ、驚いたように後ろを振り返った。


自分の後ろにずらりと並び、口をぽかんと開けて絵を凝視している男達の顔を見て、


イチはおかしそうに笑うと、こう言った。



「完成しました」



出来上がった絵は、確かに簡単なスケッチだったが、


絵なんて生まれてからほとんど見た事がない男達でさえ、


それが素晴らしいと分かるほどの出来栄えだった。



描かれた髪の毛の一本一本は、まさにヴァールのおばさんの髪の毛だったし、


瞳にはおばさんが楽しげにお喋りをしている時の輝きがあった。


少し開いた唇からは、今にもあの甲高く陽気な声が聞こえそうな気がした。


ふっくらとした頬は、薔薇色に染まっている気さえした。



「イチ。ありがとう。こんな素敵な絵を描いてくれるなんて」


ヴァールのおばさんは絵を見つめたまま、涙ぐんだ。



結局、俺も俺も、という事になった。


テーブルがどけられ、椅子が並べられ、村の男達は緊張した顔でそこに座った。


イチはにっこり笑って新しい紙を取り出し、


椅子の位置や顔の角度を簡単に支持した後、描き始めた。



出来上がった絵は、ヴァールのおばさんの絵と一緒に


壁に貼られ、みんなで眺めた。



素朴で力強い男達が、楽しげに集まっている絵だった。



「俺って、いい男だったんだなあ」



ヴァールは自分の顔を見つめ、しみじみと言った。


ヴァールのおばさんは、感謝をこめてイチの手を握り締め、こう言った。



「ねえ、イチ。あんた、しばらくハルテルの町にいるんでしょ。


 それなら、この町にいる間は、ここに泊まっていきなさいよ。


 ベッドはあるし、食事だって出してあげる。


 さっきみたいな、スープとパンばっかりだけど、ちゃんと出してあげる。


 ねえ、みんないいでしょ」



誰にも異論はなかった。



「ありがとうございます」


イチは嬉しそうに言った。


その時、何か思いついたような顔をしたヴァールがイチの腕を掴んだ。



「なあ、イチ。ちょっと来いよ」



食堂の隅に引っ張っていき、



「頼みがあるんだ」



妙に真剣な声でイチに言った。


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