阪神・淡路大震災のときは学生の頃で、ナホトカ号重油流出事故の時は就職も決まって時間がありあまっていた時期だった。ナホトカ号の時は、ボランティアが必要との新聞記事を見た次の日にバスに乗り、重油をすくうために加賀の海岸に向かった記憶がある。

自分なりに必要装備を揃えて行ったつもりだったけど、食料も自炊装備もテントも持っていない私に、先輩ボランティアは『それではボランティアにならない』と真顔で諭してくださった。結局、地元のお寺に泊めてもらうことになり、各地から送られてきた菓子パンを食べ、地元の人が差し入れてくれたおむすびを食べながらの「ボランティア」が始まった。

自然保護だとか、地元の生活を守るんだとか、そんなことを言う人はだれもいなかった。ほとんどのひとは「たまたま」タイミングが合ってそこにいるだけで、自分探しのためにボランティアをしているだけのように見えた。私もそのなかのひとりだった。

募金と称しわずかなお金しか出さず被災地に行かない人に対して、私は心のどこかで優越感を持っていたことを正直に告白しよう。あの災害の時に私はいち早く現場に駆けつけて支援したのだ、そう心のどこかで思っていた。あの何日間かの実績がこれまでの私に自尊心を与え続けていたのかもしれない。

その一方で私は気づいていた。私は地元の人に心の底から感謝されたことがあっただろうか。いつも遠巻きに眺めている地元の人と積極的に交流しようという気はさらさら無かった。私は自分の自己満足のためにボランティアをしていただけだったのだ。「ボランティアという名の観光客」まさに私はボランティアに名を借りて、被災地を興味本位で歩き回る観光客のようなものだったのではないだろうか。当時はそのような自覚が無かっただけに、始末の悪いことこの上ない迷惑な存在だったような気がしてならない。

それから14年が経った。私は社会人になり、家庭も持った。全てをほっぽり出して現地に行くことはもうできない。いや、そんなことは言い訳でしかない。本当は分かっているのだ。私が現地に行ったところで迷惑になりこそすれ、役に立つことは何もないということを。

被災者に対してことさら同情することも、思いつきで不要な物資を送ることも、自分自身はそれで気が済むかもしれないけれど、現地では迷惑でしかない。14年前、大量に送られてくる菓子パンは3日もすれば飽きてしまい、どんどん積み上がり固くなっていったことが思い出される。とてもドライな意見だけど、必要なのは気持ちではなくてお金なんだ。

私はもう自分探しを許される年齢ではない。社会で14年も働いている私がすべきことはお金を提供すべきなのだ。そして、今の私はそれができる立場にある。

そう思い立ってはたと困った。いくらが妥当な額なのだろう。とりあえず10兆円ほどの資金が必要だという記事があった。生産年齢人口で割ればだいたい13万円になる。あるいは、仮に自分が現地に出向いた場合の日当に現地までの交通費を加えた額を募金するという考えもある。1週間ボランティアするのであれば、これもだいたい13万円。どちらも似たような額なので、この金額を目安にしようか。あとはこれを日本赤十字社に送金すれば良いだけ。

ネットバンクにログインして私の世帯(ふたり)分、26万円を振り込む段になって私ははじめて気づいた。これっぽっちの額を募金することがどれだけ凄いことかを。

内外の有名人が義捐金を被災地におくっているという記事が出てくるにつれ、金持ちはいまこそ金を出すべきだという雰囲気になってきていることに大きな違和感を感じている。この国には金持ちよりも圧倒的に「普通のひと」が多いのだ。ほんの一握りのお金持ちにお金を出せと言い放つ(しかも匿名で!)のはたやすいが、身銭を切ることができる人がどれだけいるだろうか。

恥ずかしながら、私はこのわずかな額を募金することに対しても非常に葛藤している。自分の器の小ささに驚くとともに、あれだけボランティアだのなんだのと言っていたのはただのパフォーマンスに過ぎなかったのだということを改めて突きつけられた気分である。『募金をお願いします!』と街頭に立ち叫ぶことよりも、自分が懸命に働いて得たお金を差し出すことの方が困難なのだ。だからといって、自分の中にある偽善に気づきながら見て見ぬふりをするということは非常にかっこ悪い。そればかりか、私という人間がこれまで拠り所としていたものを失いかねない不安に駆られてしまう。被災者にとっては焼け石に水の、わずかな額であるのに!

結局のところ、私は自分自身のために募金をするのだ。自分の存在価値を失わないためであって、被災者のためというのではない。しかしそれでいいのだ。たとえそうであったとしても、ただただ迷惑でしかなかった14年前の私からすれば、少しは進歩したのかなとも思う。これだけ葛藤しておいてそれっぽっち?と呆れられる額ではあるが、何らかの足しにしていただければ幸いです。



追記
確定申告のついでに休眠口座の残高を整理していたら、忘れていた口座に50万円を発見しました。寄付はもちろんのことですが、それだけではなくて、もう少しまとまった金額を使って、もう少し素敵なことをしてみたいと考えています。ただ、所詮これは自己満足の延長です。こんなことをしました!みたいな報告はかっこ悪いので以後慎みたいと思います。今回の記事は私の内面のつまらない葛藤を素直に書いてしまいました。かっこ悪くてごめんなさい。


誠実にボランティアをされている人にとっては甚だ気分を害する内容であると思います。今日のボランティア不要論は、私たちが積み重ねてきた実績が招いたものであると深く反省しています。また、被災者の方々にとっても大変失礼な内容もあろうかと思います。申し訳ありません。
最後になりましたが、今回の災害に際し、心よりお見舞い申し上げます。