
新高塚小屋で昼食を食べているとふたりの登山者が登ってきた。どちらも非常に小さなザックを背負っており、ひとりはいま流行りのウルトラライトのギアで縦走を試みる青年、もうひとりは荒川に停めた車を起点に夜通し歩き、一周するという男性。どちらも型どおりの登山をするのではなく、自分なりの挑戦をしているという意味において、画一的で硬直しがちな従来型の登山に新しいスタイルの風を吹き込んでいるように思え感慨深かった。
食事を終え、新高塚小屋を後にした数分後、雪のトラバース道を転げながら走ってくる青年に出くわした。その青年が視界に入った瞬間、「これは亡霊だな」と思ったほど、この場所にそぐわない光景であった。ジャージに薄っぺらいスニーカー姿。履いていた薄いカッパはお尻のところで大きく破れており、しかも手ぶら。息は上がっており全身びしょ濡れのようであった。体つきをみても、どうみても登山経験などなさそうな彼が、午後1時に新高塚小屋にいる。素早く計算してみたが、すぐに下山しなければ、彼が明日の朝まで生存できる可能性はあまりないように思えた。
高塚小屋から縄文杉、ウィルソン株とのんびり観光しながら下山を続けた。本当は高塚小屋でもう1泊した方が余裕を持って下山できるのだが、山行4日目でもあり、早めに下界に下りたい気分であったし、おそらく命からがら下りてくるであろうジャージ姿の青年をどこかでサポートしなくてはならないだろうという思いもあった。下山中に天気は崩れ、雨。すぐに止むと思っていた雨足はどんどんと激しさを増していった。トロッコ道に下りて、早足で楠川分かれを目指すも暑くなり、ついついアウターのジッパーを少し開けてしまったのがまずかった。ジッパーの隙間からわずかに露出しているフリースに雨が染みこみ、そこから進入した雨がほんの数時間のうちに全身をびしょ濡れにしてしまった。ようやくビバーク地にたどり着いたときまで、衣類をすべて濡らしていることに気づかなかった程、切羽詰まったトロッコ歩きであった。
ついにジャージの彼は我々に追いつかなかった。空身である彼がこの時間までに我々に追いつけないということは、小屋にとどまっているか、宮之浦岳に向かったか、途中で滑落しているかである。おそらく高塚小屋で1晩を過ごしているのだろうと判断し、とりあえず自分のことを優先させることとした。タープを張り、その下で衣類をすべて脱いだ。吐く息がもうもうと白くなり、ヘッドライトの光に照らされ視界を覆うほど冷え込んでいた。しかし、すでに標高727mまで下りていることから、裸になってもそれほど寒くはない。防水袋に入れておいた非常用の下着を身につけ、シュラフカバーに夏用シュラフをセットする。このままシュラフの中に潜り込めたらどんなに幸せかと一瞬躊躇したが、思い直し、乾いた下着の上に濡れた登山服を履いた。自分の体温で明日の朝までに乾くだろう。
深夜になると風が強くなり暴風雨となった。パートナーが危険を感じ、すでに寝ていた私を起こすほどの激しい雨風であったが、我々にできる最善を尽くしているのでこれ以上はどうすることもできない。せっかくの熟睡を邪魔されはなはだ迷惑ではあったが、大丈夫だと言い聞かせ、恐ろしい風の音をシュラフ越しに聞きながら再び眠りに落ちた。
深夜3時。ふと目覚めると風の音がいくぶん小さくなっていた。雨も降っていないようだ。縄文杉を目指す観光客がここを通過するまでに出発しようとシュラフから這い出す。思った通り登山服は完全に乾いていた。真っ暗な辻峠は、疲労のたまった寝起きの身体にはきつかった。身につけている衣服とシュラフ以外はすべて濡れていることから、食事とガソリンが減っているにもかかわらずザックは30kg以上に感じられた。ヘッドライトの電池も切れかけており、わずかな光量で踏み跡を探しながらのろのろと登っていった。
何度かの小休止を経て、ようやくヘッドライトの電池を替えた頃には、樹々の間にのぞく空がいくぶん明るくなっているとみえ、樹の枝や葉のシルエットが確認できた。いつものことであるが、この瞬間、無事に朝が来たことを感謝する気持ちになる。もう大丈夫。すぐに朝が来る。
暗闇の中で、何でもないところで踏み跡をロストしたり、何度もザックを下ろして休んだりした結果、かなりの時間を費やし辻峠に到着。ちょうど日の出直前であり、ひょっとすると太鼓岩から日の出が見えるのではないかと思ったが、これ以上登るのは嫌だろうなとパートナーに聞くと登ろうと言う。そこで、ザックをデポし、カメラと行動食、山専ボトルのみをアタックザックに詰めて太鼓岩に登ることとした。
急にほぼ空身となったことで、身体がふわふわして地に足がつかない。文字通り飛ぶように太鼓岩まで駆け上がった。太鼓岩は貸し切り。体温を一気に奪う強烈な風が吹きつけていたが、東の空は晴れていた。この風すらも、我々にとっては爽やかに感じられた。太鼓岩の中央に両足を投げ出し、日の出の瞬間がやってくるのを待った。
山専ボトルから熱々のココアをカップに注ぎ、それをすすりながら東の空を無言で見つめる。 モノトーンの下端から徐々に彩度が増していき、寒色系の空が暖色に染まっていく。そして、日の出。あまりの感動に息をのむ。強い光が瞳を貫く。たまらず後ろを振り向くと、我々がまる5日間をかけて縦走してきた山々が朝日に照らされ紅に染まっていた。相変わらずの強風に身体を揺さぶられながらも、全く寒さを感じることは無かった。奥岳のアルペングリューエン。
思う存分日の出を堪能した後、白谷小屋に向かう。小屋の前で今回の最後の食事をとり、ゆっくりと休憩する。ここから下は通い慣れた観光地である。もう安心。その思いがあったが、これからさらに楠川の海岸まで標高差830mを下らなくてはならないのだ。白谷小屋を出発し、さつき吊橋を渡らず直進すればもう他の登山者に会うことも無いマイナー歩道になる。ガレたトラバース気味の登山道は滑りやすく意外に危険。ゆっくりと標高を落とすこととした。たった60分のコースタイムが永遠に感じる。ようやく登山口にたどり着いたときは正直ほっとした。
登山口から海までは非常に気楽であった。後日、この道を車でなぞってみたが、びっくりするぐらい長い車道であった。しかし、もうすぐ山行が終わるのだという気持ちと、滑落の心配のない安全なアスファルト歩きという精神的な気楽さが足取りを軽くさせた。途中、常宿の
コテージ高平岳のゆうこさんとかずくんが車で応援に駆けつけてくださり、下界に下りてきたのだという思いがさらに強まった。山羊の放牧地を右手に見ればその先は県道。ここから集落に入ってしばらく歩けば海が見える。海の傍には神社。この神社は三国名勝図会にも記載があり、現在は楠川天満宮と呼ばれている。ザックを置き、無事に山行を終えられたお礼をする。そこから海岸線にしばらく歩くと砂浜に出る。防波堤の階段を下りれば目の前は青々とした東シナ海がひろがっていた。
ザックを背負ったまま砂浜に近寄る。寄せては返す透明の液体にそっと右手を差し出せば、波に洗われた指先にほんのり海の温もりを感じた。
昨年の12月28日に栗生の海にふれてから5日目。島の反対側の海まで自分の足で歩いてきた。「栗生と海の味が違う!」と言うパートナーの言葉に、そっと右手の中指を口に含んでみる。海塩のしょっぱさが口の中にひろがったその後に、確かに、他の風味も感じられた。それが、これまで触れた登山道の土の匂いであることに気づいた瞬間、この5日間の記憶が一気に身体を駆け抜けた。その後、じわじわと胸の奥から沸き上がる達成感にしばらく身を任せつつ、しばらく海を眺めた。

太鼓岩から見る二日の出。
倒れこみながらも海にタッチ!