1995年1月17日 | 三丁目の庶民

三丁目の庶民

岐阜から電波を発信しています。
言う事は熱帯低気圧くらい暑苦しいです。
ジョークは爆弾低気圧くらい寒いです。

おかしな葛藤でひとりテンパって、ギンギンに目が冴え拷問のような状態に耐えていたその時それは来た。

午前5時46分
ズズズズ、、ズン、、
という重い音と共に建物が揺れ出した。

「!!うおっ! 地震!」
思わず声を上げる私。
そしてその揺れは、酔って寝込んでた皆をも目覚めさせるような大きなものに変わっていった。
6階の我々の部屋は、ことさらに揺れが大きく広く感じた。

怯える女性陣の悲鳴が飛ぶ。
「大丈夫や落ち着けっ! 布団頭にかけろ! 護れぇ!」
私が大きな声で注意を促すと、皆一斉に布団に潜り込み身体を護る。

そして隣の女の子に布団をかけ、無意識のうちに頭を抱いて護っていた。
怖い怖いと怯える彼女に、私はとにかく「大丈夫大丈夫!」としか言えなかった。

ずいぶん長い時間に感じた揺れがおさまると、皆、自分を取り戻すように周りを見渡した。
私も「ふぅ、、、」と安堵のため息をつき、彼女から離れた。

その時の「Kくん、ありがとう…」と言ってくれた彼女の顔は、私は一生忘れる事は無い。

緊急地震速報はおろか携帯電話など普及していなかったこの時代、まず何よりも情報を得るのはテレビやラジオだけ。
テレビを点けるとまだ詳しい情報は何も入っていなくて、とりあえず「関西地方で大きな地震が起きた」と伝えられるのみで、被害の情報は「おばあさんが倒れてケガをした」という程度だった。

関西の地震が、200kmくらい離れたここ(山代温泉)であのデカさだぞ…
ケガ人どころのレベルじゃ無いやろこれは……


冬の早朝の暗さは、何もかもが不明のままだった。
そして夜が明けたその時、初めて目にした甚大な状態に我々は戦慄することになる。。。