よく来てくれたね。
うん、そうなんだ。これは完全に「映画の解説」でもあるし、ネタバレでもある。
だから映画をまだ見ていない人はすぐに引き返した方がいい。
え、内容が気になるのかい?
でも、それはやめた方がいい。
「好奇心は身を滅ぼす」ってよくいうよね。
きっと、これもそうしたものの一つじゃないかな。
それでも、けして後悔しないといいのなら、このまま下にスクロールしてみるといい。
断っておくけれど、これを書いているボクは映画の関係者でもないからある程度は「憶測」に基づいている部分がある。
だから内容や解釈についてはけして保証はない。
それと、今回は少し長くなるからいくつかにわけるよ。じゃあ、そろろそはじめようか。
さて、今回はいつもの口調で書いてみることにしようか。
その方がキミたちもたぶん親しみがもてるよね?
正直にいえば、今回の実験はまったくの予想外だった。
「好奇心は身を滅ぼす」。
キミたちや、そして彼女にもそう忠告していながら、ボクたちの方でそんな格言をまったく忘れてしまっていたのは、キミたちの言葉でいえばいささか滑稽だったと思うけれど。
まさか、「円環の理」があれほどの存在とはね。
けれど、それ以上に予想外だったのはやはり彼女だ。
暁美ほむら。
まさか、彼女があんなことを企んでいたなんて思いもよらなかったよ。
え、最後まで見たけれどよくわからなかったのかい?
そうか。確かに、わかり難い部分もあったね。それじゃあ、少し解説をしてみようか。
まず、思い出して欲しいのはあのテレビ版の最後のシーン。
劇場版のはじまり方が唐突だったから、これがどう劇場版と繋がっているのかわからなかった人もいそうだけれど、何のことはない。
あくまでも「劇場版」はあのテレビ版のラストシーンからの続きだよ。
あのとき、ほむらは「魔獣」と戦っていたよね?
そう、実はあのとき彼女のソウルジェムはもう限界だったんだ。
その結果、最後の魔獣との戦いで彼女ほぼすべての魔力を使い切ってしまった。
後はもう「円環の理」に導かれるしかない。
ところが、「円環の理」が「鹿目まどか」という少女であり、ソウルジェムの消滅にそうした「現象」が関わっていることをボクは聞いていた。
うん、これもテレビ版の最終回の通りだね、
そこで、ボクたちはある大掛かりな実験をすることにしたんだ。
まず、外部から一切の干渉を遮断するフィールドを作り、そこにほむらのソウルジェムを閉じ込める。
そうすれば、彼女のソウルジェムは「円環の理」に導かれることはできない。
そうなれば、暁美ほむらを救うために、「円環の理」は必ずそこに何らかの干渉を行うだろうと予測した。
こうして一度でも「円環の理」という現象を観測することができれば、いずれはそのデータをもとにもっと効率的なエネルギーの収集ができる可能性は十分にある。
ほむらのいう「魔女」というものがどんなものか。それはボクたちも大いに興味があった。
これがまず、劇場版のはじまる前に起こっていたことさ。
そうしてはじまった実験は、早速思いもかけない結果をもたらした。
ほぼ消滅間近のソウルジェム、ほむらの言葉でいえば「魔女になる寸前のソウルジェム」を遮断フィールドに入れたところ、なんと本来なら「外部」に形成されるはずの「魔女の結界」というものがソウルジェムの中に生成されるという現象が発生した。
これはもちろん、ほむらの話にもなかった。
そこで形成された結界はどうやら「彼女の意志に基づいた」見滝原の街を再現した風景らしい。
まさか結界の中に一つの街を生み出してしまうなんて、「魔女」という存在の力がこれほどとはね。
しかも、その結界はほむらの意志のままに彼女が呼び込みたいと思っている人間たちすらもその結界の中に呼び込もうとしはじめた。
もちろん、本来なら「遮断フィールド」がある以上、いくらほむらが外部の人間を自分の結界に呼び込もうとしたところでそんなことはできない。
けれど、観測を続けるためにはそれは不可欠だとボクらは判断した。
そこで、フィールドの性質を変え、「外部からは干渉できない」ものの、「内部に人を呼び込む」ということだけを可能にするように調整したってわけさ。
すると、ほむらの結界には彼女が必要とする人間たちが集まりはじめた。
まずは同じ魔法少女である、巴マミと佐倉杏子。
それに学校の同級生や、鹿目まどかと関係のあると思われる親子。
こうして集めれた彼らは、そこがほむらの結界の中とも知らずに、「偽りの記憶」を植えつけられたまま、あたり前のように日常生活を送りだしていった。
この偽りの記憶も、どうやら魔女の能力らしい。
「魔女の口づけ」とほむらはいっていたけれど、魔女にはどうやらこうした能力があるみたいだね。
この観測から得られたことは、暁美ほむらにとって「最も望むべき世界」に不可欠なのは鹿目まどかと、それをとりまく人々だということ。
いうなら「箱庭」だよね。
あるいは「祭壇」といってもいい。
そこに鹿目まどかという存在を迎えるために、ほむらが作り出した偽りの見滝原。
そう、映画の最初にマミや杏子がいたのはこの世界さ。
そうして、ついに極めつけの「あの」変化が起こる。
結界の中に、過去にも、未来にも、現在にも、およそありとあらゆる世界に存在するはずのないものがあらわれた。
そう、彼女こそボクらの待ち望んでいたもの。
――鹿目まどかだ。
~続くよ~