出会いって不思議だわ。
人と人との出会いもそうだけど、音楽との出会いもそう。
あたしにとって音楽との出会いは、人との出会い以上に難しい。
自分で意識してないものの、なにかこだわりがあるんだろうか?
いいな、と思うものはあっても、はまるものは絶対的に少ない。
ないときは数年ない。
そんな意味不明なじゅんじゅん丸でございます。
毎日毎日有線で数え切れないくらい、いろんなアーティストの曲を聴いているのにも関わらず、そのなかで極端にはまるものはほとんどない。というか、ないと言い切っていいくらいの割合でなかったりする( ̄ー ̄;
いろんなアーティストが、自分自身に影響されたアーティストだとか、好きなアーティストだとかでたくさんの名前を出したりしてるけど、やっぱりアンテナが多いんだね。
感度がいいというか。
たくさんのいいところを知ってるのか、知ろうとしてるのか。
なんでだろう?
これもあまのじゃくの一環なんだろうか?
あたしは数多くのアーティストのCDが欲しいとか、何度も聴きたいとか思うことができない。
自分の中で、これ、と思うものしか愛せない。
それも歳を重ねるごとに強くなっていく。
一番よくいろんな曲を聴いたのは10代後半。
それもV系ばかりだったけど(笑)
小学生のころはチェッカーズにはまり、
中学生は光GENJI
高校になってV系にはまり、BY SEXUALを筆頭にKUSUKUSU、AURA、かまいたちなんかにはまった。
専門のときはライブハウスに通うようになり、デビュー前のGLAYに通いつめた。
あと、名前は忘れちゃったけど、HELLOWEENっぽい歌い方してたバンドにも通ってたんだよなぁ。
当時、よくGLAYと対バンしてたBLUEってバンドがいたんだけど、知ってる人いないかなぁ。
千葉~神楽坂近辺でよくライブやってたんだけど。
みんな元気かなぁ(笑)
それからSIAM SHADEにはまり、解散後は何もなかった。
数年はまる音楽に出会えなくて、あーライブ行きたい・・・とずっと思っていた。
そしてその後、Janne Da Arcと出会うのです。
でも実際にはずっと前から彼らの存在を知っていたにも関わらず、はまらなかった。
きっと当時は彼らの存在は、あたしのなかでは重要ではなかったから。
でも久しぶりに聴いた彼らの奏でる音楽と、あたしの中の歯車がぴったりとかみ合ったんだと思う。
しかし数年後、彼らの活動休止にともない、あたしの心は想像以上に何かを求めていたんだ。
あたしの場合は、その曲やそのアーティストに突然はまるのって、その人やその曲に、自分自身が必要としているものがそこにあるから、なんだと思っている。
それが寂しさゆえなのか、楽しいからなのか、憧れからなのか、心を救ってくれるものなのかは人それぞれだけど。
あたしの心が、落ちたあの時。
あれからずっと虚しかった心に届いた曲。
本当に枯れかけていたときだった。
どうにもならない苛立ちや、虚無感で心を重く引きずっていたとき、声が届いた。
ああ 何度でも叫ぶよ
君の名前を届くまで
『SIGNAL』
彼らの音はあたしに届いたんだ。
心触れ合うことがこんなにも
優しく切ないなんて
彼らの音は、ビックリするくらいすんなりと入ってきた。
自分の中に押し込めたいろんな感情や、見たくない汚い部分を真っ白にして。
彼らの曲を聴いていてすごく思ったのは、
『さぁ』というフレーズが多いこと。
「さぁ、~しよう」とか、「さぁ おいで」とか、なんだかあったかいキモチにならない?
引っ張ってくれるような、迎え入れてくれるような。
このタイミングで、出会えるのって本当に不思議。
KELUNに出会えていなかったなら、今も心を引きずったままだっただろう。
笑顔を浮かべながら。心は枯れそうなままで。