ハイチ大地震は18日で発生から1週間が過ぎた。同国のベルリーブ首相はこの日、家屋が全壊するなどの被害を受けた市民が150万人にのぼるとの見通しを明らかにした。被害が拡大する中、被災者の怒りは有効な対応ができなかったハイチ政府自身に集まっている。国連平和維持活動(PKO)を通じた政府機能の再建という試みが軌道に乗り始め、自立への一歩を踏み出そうとしていた矢先の大惨事。当事者能力を失った政府に代わり、国際社会はさらなる関与の拡大を迫られている。

 目の前に倒壊した大統領府を臨む首都ポルトープランス中心部の広場。一家でテント生活を強いられているジャン・マッケンジーさんは18日、「地震から1週間たっても、政府から水1本の支援も届かない。国連は、事務総長が大統領と会うより、直接被災者に支援物資を配るべきだ。さもなければ、すべてが横領されかねない」と怒りを込めて政府を批判した。

 ポルトープランスでは同日、崩れた大学校舎のがれきの下から6日ぶりに23歳の女子大学生が救出された。米CNN(電子版)が伝えた。携帯電話のメッセージで救助を求め、ペルーの救援隊に発見されたという。こうした朗報の一方で、被災者の不満や怒りはさらに増幅している。

 「西半球の最貧国」という形容がすっかり定着した昨今のイメージからは想像しにくいが、かつてハイチは地域の有力国のひとつでもあった。1975年12月、のちの米国大統領と国務長官のカップルとなるクリントン夫妻が新婚旅行先に選んだのは、カリブ海のリゾートとして高い人気を誇っていたハイチだった。

 当時、ハイチは1957年から続く軍事独裁体制下にあった。86年、父親から独裁を引き継いだデュバリエ大統領が国外に脱出し、独裁に終止符が打たれると、不安定化した政情が皮肉にもハイチを次第に貧困に追いやった。

 こうした中で、国際社会が選んだのが、PKOの国連ハイチ安定化派遣団(MINUSTAH)による国家機能の再建という道だった。2004年から始まったこのPKOについて、国連外交筋は「順調に成果が上がっており、PKOの中でも成功例とされていた」と指摘する。中心課題とされていた治安維持についても、1万人規模のハイチ警察の育成に着手。ようやく成果が見えだしていたところだった。

 MINUSTAHの一員としてポルトープランスに駐留するブラジル軍部隊のアラン・サンパイオ・サントス大佐は、ハイチ警察について「首都の治安維持を担当するブラジル軍と合同で実務にも参加するところまで来ていたが、地震の後は雲散霧消してしまった。われわれ国際社会の部隊はいつかハイチを去らなければならないが、その時期が大きく遠のいたことは間違いない」と話す。

 ハイチの政権に対する国際社会の評価も厳しい。ハイチを視察したことがある国連関係者は「指導者に、どうすれば国を豊かにできるかという視点がない。今回の地震の結果、これまで以上に国連の活動を拡大する必要が出てくることはまちがいない」と話す。

 1804年にフランス革命の影響を受けた解放黒人奴隷による反乱を成功させ、中南米で初めての独立、そして世界初の黒人国家樹立を成し遂げたハイチ人の気位の高さは、衆目の一致するところだ。一方で、そのプライドが国家再建の足を引っ張っているという見方も少なくない。

 ハイチ支援を話し合う国際会議が25日にも開かれる見通しとなり、新婚旅行以来ハイチには特別な思い入れを持ち続けているというクリントン国務長官が、国連ハイチ担当特使を務める夫のクリントン元大統領とともに支援をリードする。国際社会からの支援が結集されつつある中で、ハイチ政府は今度こそその存在意義を問われることになる。(ポルトープランス 松尾理也)

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