本日より群馬県高崎市の日本絹の里で人形展を開催中です。
展示作品の一部をご覧下さい。
源氏絵巻縁起
いづれの御代に、と申しておきましょう。
そんな遠い昔、今では絵巻物で想像するしかありませんから、
それは美しい御代にと申しておくのです。
はかない命が帰らぬ物となった桐壺の更衣の里へ、帝は
靫負命婦を遣わして更衣の母親を慰め、
靫負命婦を遣わして更衣の母親を慰め、
遺児若宮の参内を促した。
庭では月光に照らし出された秋草が生い茂り、従者達さえも
涙を隠せなかった、、、しみじみと哀れな秋の夜の光景。
涙を隠せなかった、、、しみじみと哀れな秋の夜の光景。
桐壺亡き後帝は、この若宮を大変かわいがり、
皇嗣にと懇願したのだが、
強力な後ろ盾が無ければその地位を保つことは
強力な後ろ盾が無ければその地位を保つことは
とうてい難しく断念するほかなかった。
そのころ渡来した高麗の相人の観相によると、
「この若宮は帝王足るべき資質を有しているが、
「この若宮は帝王足るべき資質を有しているが、
もしも帝の位に就いたら国が乱れるであろう、
さりとて国政を補佐する臣として終わる器でもあり得ない。」
さりとて国政を補佐する臣として終わる器でもあり得ない。」
とさしもの相人もその将来は予見できなかった。
光源氏は十二才で元服したが、その儀式は帝みずからが采配を振って、
宮中の清涼殿で盛大に執り行われた。
その夜、光源氏は加冠の役をつとめた左大臣の姫君の葵の上と
結婚する。左大臣の婿として新たな人生をあゆむこととなった。
結婚する。左大臣の婿として新たな人生をあゆむこととなった。
第一帖「桐壺」
完