後白河法皇 | 辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

辻村寿和Collection「寿三郎」創作人形の世界

創作人形作家辻村寿三郎の作品を皆様にご紹介いたします。

本日ご紹介の作品は現在目黒雅叙園で展示中です。
お近くの皆様是非お出かけください。

後白河法皇
ジュサブロー館の創作日記
2009年制作
撮影 Canon EOS 5D Mark II
EF100mm F2.8 マクロ USM

1127年、鳥羽上皇と中宮・藤原璋子の第四皇子として生まれる。

親王宣下を受けて「雅仁」と命名。

幼いころは皇位継承とは無縁で気楽な立場にあった雅仁親王は
「イタクサタダシク御遊ビナドアリ」と、遊興に明け暮れる生活を送っていた。

田楽・猿楽などの庶民の雑芸が上流貴族の生活にも入り込み、
催馬楽・朗詠に比べて自由な表現をする今様(民謡・流行歌)が盛んとなっていた。

雅仁は特に今様を愛好し、熱心に研究していた。

後年『梁塵秘抄口伝集』に「十歳余りの時から今様を愛好して、稽古を怠けることはなかった。

昼は一日中歌い暮らし、夜は一晩中歌い明かした。

ジュサブロー館の創作日記

待賢門院が亡くなって五十日を過ぎた頃、崇徳院が同じ御所に住むように仰せられた。

あまりに近くで遠慮もあったが、今様が好きでたまらなかったので前と同じように毎夜歌った。

鳥羽殿にいた頃は五十日ほど歌い明かし、東三条殿では船に乗って人を集めて四十日余り、
日の出まで毎夜音楽の遊びをした」と自ら記している。

後白河法皇
ジュサブロー館の創作日記
2009年制作

写真をクリックすると大きいサイズで見ることが出来ます。
細かいディテールをご覧ください。

撮影 Canon EOS 5D Mark II
EF24-105mm F4L IS USM

その没頭ぶりは周囲からは常軌を逸したものと映ったらしく、
鳥羽上皇は「即位の器量ではない」とみなしていた。

今様の遊び相手には源資賢・藤原季兼がいたが、他にも京の男女、端者、
雑仕(ぞうし)、江口・神崎の遊女、傀儡子など幅広い階層に及んだ。

雅仁の最初の妃は源有仁の養女・懿子だったが、1143年、守仁親王(後の二条天皇)を産んで急死する。

次に妃となったのは藤原季成の女・成子で2男4女を産むが、終生重んじられることはなかった。