一つ前のブログに関連します:
21世紀なのに、世界史上最も人を殺したチンギンス・カンがモンゴルの 神 であり 英雄 である。
ことにこそ問題があります。
残虐行為のシンボル的人物が国家的英雄で神?
モンゴル人はそのことを恥ずかしく思うべきなのに。
脳の中が12世紀、13世紀のままに留まっているようではちゃんとした国家・国民とは言えません。
Wikipedia
ис хаан、ラテン文字化:Činggis Qan または Činggis Qa'an、漢字:成吉思汗、1162年5月31日 - 1227年8月25日)は、モンゴル帝国の初代皇帝(在位:1206年 - 1227年)。
大小様々な集団に分かれてお互いに抗争していたモンゴルの遊牧民諸部族を一代で統一し、中国北部・中央アジア・イラン・東ヨーロッパなどを次々に征服し、最終的には当時の世界人口の半数以上を統治するに到る人類史上最大規模の世界帝国であるモンゴル帝国の基盤を築き上げた。
死後その帝国は百数十年を経て解体されたが、その影響は中央ユーラシアにおいて生き続け、遊牧民の偉大な英雄として賞賛された。特に故国モンゴルにおいては神と崇められ、現在のモンゴル国において国家創建の英雄として称えられている[1]。
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人物
- ある日、チンギス・カンは重臣の一人であるボオルチュ・ノヤンに「男として最大の快楽は何か」と問いかけた。ノヤンは「春の日、逞しい馬に跨り、手に鷹を据えて野原に赴き、鷹が飛鳥に一撃を加えるのを見ることであります」と答えた。チンギスが他の将軍のボロウルにも同じことを問うと、ボロウルも同じことを答えた。するとチンギスは「違う」と言い、「男たる者の最大の快楽は敵を撃滅し、これをまっしぐらに駆逐し、その所有する財物を奪い、その親しい人々が嘆き悲しむのを眺め、その馬に跨り、その敵の妻と娘を犯すことにある」と答えた。(モンゴル帝国史)
【チンギスハーンのモンゴル帝国の子孫?栄光と虐殺】戦争と虐殺の仕方オゴタイハンモンケハンフビライハン
https://matome.naver.jp/odai/2143341024095384501
「4000万人を殺したというチンギス・カンは地球の温度を下げたか?」
https://gigazine.net/news/20110125_genghiskhan_cooled_the_planet/
国民的英雄が殺人鬼で強姦魔、の国
からやってきた男たち
ちゃんと躾をしてあげる、のが役目なのに興業のことが最優先で、責任放棄し貴ノ花を悪者にしている者たち。