東芝メモリ買収、交渉長期化なら撤退=シャープ首脳

7/3(月) 11:00配信

時事通信

 台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業傘下のシャープの首脳は3日、記者団に対し、東芝の半導体子会社「東芝メモリ」の買収について、「長引くと技術のチャンスがなくなる」と述べ、交渉が長期化する場合は撤退する考えを示した。シャープは鴻海と組んで、東芝メモリ売却の2次入札に参加した。

 買収まで時間がかかれば、技術開発で競合他社に後れを取り、事業価値が低下するため、東芝メモリは不要との認識を示したとみられる。東芝は6月21日に政府系ファンドの産業革新機構を中心とする「日米韓連合」を優先交渉先に選んだ。シャープ首脳は、東芝や経済産業省の動向などに触れ、「もしめちゃくちゃなストーリーなら(東芝メモリは)もういい」と述べた。 

 

このおじさんにやってもらうのが一番よかったのです。

 

郭台銘(かく たいめい、1950年10月8日-)は台湾実業家鴻海精密工業(鴻海精密工業有限公司)の会長、現鴻海グループ(鴻海集團、Foxconn)を部分的に所有する。山西省をルーツに持つ外省人である。日本でも英語名のテリー・ゴウで呼ばれることがある。

富豪として知られ、雑誌フォーブスによる2006年度世界長者番付においては、世界で第77番目の長者に選ばれている。また、2007年度世界長者番付でも世界で第78番目の長者に選ばれている。2013年の番付によると、台湾で第4番目の富豪[1]

 

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1950年台湾生まれ。台北市にある中国海事専科学校(今の台北海洋技術学院)の航運管理科を卒業し、兵役を終えた後、復興航運に入社する。ここで郭は船の手配を担当していた。その後、貿易そのものより、物をやり取りする貿易の基本である「製品」に関心が向くようになる。そして製造業に将来性を感じ、1年間の会社員に終止符を打って起業した[2]

起業[編集]

1974年、24歳の頃に投資資本額30万台湾元を集めて「鴻海プラスチック企業有限公司」を設立し、プラスチック製品の製造・加工を始めた。企業名「鴻海」の由来は「鴻飛千里、海納百川(鴻は千里を飛び、海はすべての川を納める)という意味で、企業が大きく羽ばたくよう期待した。

その後1975年に「鴻海工業有限公司」と改名した[3]

パーソナリティ[編集]

台北市に在住。24歳時の結婚以来連れ添ってきた前妻とは息子1人と娘1人がいるが、2005年3月に乳がんのため死別した。2007年には弟も白血病で亡くしている。

 

2007年に、19年前の女性投資家との不倫をネタに恐喝されたとして、裁判を起こした。当時、女性との別れ話がこじれた際、女性にベッドインの写真とビデオを撮られ、手切れ金を支払ったが、後年再び金品を要求されたため、女性は訴えられ、警察に3か月収監された。その後、別の男性がこの話を元に恐喝した[4]

2008年に24歳年下の振付師の女性と再婚し、こちらも息子1人と娘2人を儲けている

エピソード[編集]

  • 1日に最低16時間働き、幹部を夜中の12時に呼びつけて業務報告させたり会議を開くことは日常茶飯事であるとされる。高額の報酬で鴻海にヘッドハントされた優秀な人材の多くが数年で心身を病んで辞めていくという伝説もある[5]
  • 台湾学生による立法院占拠が起きた際、「台湾経済は実際のところそんなにひどくもない。経済構造は転換しないとだめだがね。それなのに1回の“通りすがり”、1回の街頭運動でどれだけの社会資源を消耗していることか。民主主義ではメシは食えない。民主主義は経済力に依存しているんだ。競争力、向上力、各種活動の背後にはいずれもコストがあるが、(デモなどの)見えないコストがどれだけ国家のリソースを消費しているか。(…)民主主義はGDPには何の役にもたたない。民主主義が国家の重要な人材、政府のエネルギー、治安維持の警察力を浪費している」と語った。[6]
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  • 中華人民共和国政府と親密な関係にあり、かつての胡錦濤とも会談しており、中国共産党総書記習近平とは2013年[7]2014年[8]に会談して握手も交わす仲であり、習総書記が掲げる中国の夢に関して「中華民族の子孫として血が沸き立つ」と述べた[9]
  • Wikipedia

 

 

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